②Chapter.2

 夜八時。白瀬と鵜飼は港区にある松江昴の邸宅を訪れていた。玖島と宇野は日中の担当。白瀬と鵜飼は夜の担当だ。既に家の周りには警護第二係が到着していて、十人ほどのダークスーツの男たちがぎらぎらとした目で警戒に当たっている。

 〈リック〉を起動させ警察手帳を見せる。松江邸の大きな扉が開き、中に通された。さすがに家の中に刑事の姿はない。家政婦に案内されて、広すぎる居間に通される。クラッシック音楽が流れている瀟洒な部屋、革製のソファに松江昴が座っていた。

「警察への挨拶は既に済ませているはずだが?」

 爽やかだがどこか力強い印象も与える顔立ちに、グレイカラーの頭髪。鷹のような鋭い瞳には険しい政治家としての生き方が見えるような気がした。

「我々はさきほどご挨拶した警護第二係ではないので、改めてご挨拶に伺わせていただきました」

 嫌悪感こそないが、鵜飼の声音は冷たかった。ワインを口にしながら松江は笑う。

「ほう。では義体犯罪捜査課の刑事さんかな?」

 あまり鵜飼に話をさせない方がいい。そう判断した白瀬は口を開いた。

「はい。犯人が義体所有者である可能性が高いので、我々も応援に」

「そうか。ということは、君たちは義体所有者かな。私の娘もだ」

「え……」

 娘? 娘が義体なのに、義体差別を助長させるような法案を通そうとしてるのか?

「理由がわからない、という顔をしているな」松江昴は笑った。「なぜ私が〈ラベル〉法案を通そうとしているのか、君はよく知らないらしい。まあ、無理もないことだ。五年も前のことだからな。私の娘、涼花は生まれつき片腕がなく義肢をつけていた。ある日、道端で女性に声をかけられ道を尋ねられた。女は体調を崩し、吐き気を催した。涼花は彼女を路地裏に連れて吐かせようとした。だが、女のそれは演技で涼花を殺した。女は若く華奢だった。全身義体であるとは見た目ではわからない」

 白瀬は押し黙る。その事件のことを知らなかったのだろう鵜飼も少し驚いているようだった。

「義体所有者だとわかっていても、涼花は道を教えていただろう。構わない。だが路地裏へのこのこと歩いて行っただろうか? 多少の警戒はしただろう。そうすれば命は助かったかもしれない。男は筋肉があり、女よりも強い。同じように義体所有者にそれとわかる〈ラベル〉を貼ることは、そんなに悪いことかね? 差別がいけないというのなら、全力を尽くそう。だが、事が起きてからでは遅いとも思わないか……。いや、君たち公僕が政治家に何かを言うはずもないか。忘れてくれ」

 松江昴はそういうと、また赤ワインを口に含んだ。長話をするくらいだ。かなり酔っていたらしい。悲しい酔い方だと思った。

「おじいさまー」

 リビングの扉が開くと、八歳くらいの少女がいた。松江昴の孫だろうか。

「涼花が遺した私の孫だ……。ほら、刑事さんたちに挨拶なさい」

 髪を二つ結びにしている少女はにこりと笑う。

「松江ねいです。小学四年生です」

「白瀬です」

 白瀬が笑う。

「鵜飼です」

 鵜飼は笑わない。

「笑えよ」

 小声で言いながら肘で彼の身体をつつく。

「子供は苦手なんだ……」

 本当に苦手なのだろう。鵜飼は一歩引いているようだった。見慣れぬ人形に怯える猫のようだ。寧の興味津々という視線を浴びて、鵜飼はぱっと目をそらす。

「王子様!?」

「はい?」

「金色の髪。緑のおめめ。王子様みたい!」

 きらきらと輝く瞳に寧の目を焼かれたかのように鵜飼はぎゅっと目をつむる。それから助けを求めるかのように白瀬の袖を掴んだ。呆れた白瀬は肩をすくめる。

「まあ、王子様……みたいな顔はしてるね」

 内面は偏食な毒舌家だけど……。

 寧はそれからもしばらく鵜飼を観察する。鵜飼は居辛そうに、身体を縮めていた。ふと白瀬は寧の手にプラスチック製の人形が握られていることに気がつく。

「それ恐竜?」

 寧が持っているのは石頭そうな恐竜だった。

「パキケファロサウルスです」

「パキ……。え?」

「パキケファロサウルス。本物は四メートルから八メートルあるの。でもこの尻尾で器用にバランスを取って早く走れる」

 ターボエンジン付きの高級車を自慢するように、寧はパキケファロサウルスの速さを自慢する。いや、自慢ではなく蘊蓄を語っているのかもしれない。

「寧。刑事さんたちにはお仕事があるんだ。もうやめてあげなさい」

 祖父の松江昴が優しくそう言うと、寧はにこりと笑ってから頭を下げた。


 ***


 実を言うと徹夜は苦手だ。

 五階の食堂で塔乃美紅は無表情で豚骨ラーメンをすすっていた。眠たくて仕方がない。ラーメンを食べながらコーヒーを飲むのは如何なものかと思うが、この眠気を退治するにはそれだけの荒療治が必要だろう。

 ものの五分でラーメンを食べきると、塔乃は空き缶をごみ箱に捨てる。この後は課長からの呼び出しがかかっている。他の班の応援で忙しいときにいったい何の用事だろうか。

「失礼します」

 課長のいるオフィスに入る。一人用の部屋には日本国旗と書が置かれていた。『不撓不屈』。どこかの学校の横断幕のような四文字熟語だ。

「重要な話がある。このことは他言無用だ」

 五十代半ばの捜査課長・矢田やだ憲治けんじは椅子に座ったまま憂いた顔をしている。この人が感情を表に出すのはめずらしいと思いながら塔乃が言う。

「なんでしょうか?」

賀上かがみが日本にいるとの情報を得た」

 塔乃の眉根がぴくりと動く。

「餌にかかったのですか?」

「まだわからない。目撃されたのが本物の賀上かも調べている最中だ。君のやるべきことはわかるかね」

「はい。もちろん」

 矢田は眼鏡の奥の瞳でぎろりとこちらを見る。

「白瀬慶介を信用するな」


***


「学校、一緒に行かないんですか?」

 朝。夜の警護を終えた白瀬と鵜飼は玄関口で寧とすれ違った。どうやら寧は自分の警護に鵜飼がついてきてくれることを期待していたようだ。白瀬はなんだか可愛らしいなと思って目を細める。

「ごめんね。寧ちゃんのことは別の刑事さんが守ってくれるから」

 本来ならばとらない措置だが、念のため、警護第二係が寧の送迎車に付き合うことになっていると聞く。それならば松江昴も安心だろう。

「そうですか……」

 しゅんとした顔で寧がうなだれる。憧れの王子さまは、相変わらず居辛そうな顔をしていた。

「……そんなに嫌ならついていきましょうか?」

「いいんですか?」

「いいのか?」

「別に……」

 調子の狂った時計のように鵜飼は目線をずらして頷く。

「松江大臣は家の中にいるみたいだし、送迎の間だけでも一緒に乗れないか、確認してくる」

 そういって鵜飼は送迎車を担当している刑事の方に行ってしまう。

 子供が苦手だとは言っていたが、決して嫌いというわけではないようだ。

 午前八時。寧を後部座席の真ん中に載せて、挟み込むように白瀬と鵜飼が座る。助手席と後方車両には刑事が乗っていた。

「寧ちゃんの好きな、パキケファロサウルスだっけ? それの話をもっと聞かせてよ」

 寧はにこにこと笑う。

「うん。パキケファロサウルスはね──」

 信号が青信号になる。すると車両に突っこむようにして一台のトラックが前を塞いだ。急停車し、シートベルトにぐっと胸が押し付けられた。白瀬と鵜飼は即座に寧の安全を確認する。彼女は無事だ。それからトラックの方を見た。覆面をつけた人々が降りてくる。その手には銃が握られていた。

「銃?」

「穏やかじゃないな」

 鵜飼は寧の頭を押して伏せさせ、白瀬は銃を持って外に飛び出した。弾丸が足元に降り注ぐ。

 いきなり発砲? さては、人さらいのプロじゃないな。

 けれど、得てして非常時はアマチュアの甘い判断の方が危険だ。何をしでかすかわからないのは、暴発しそうな拳銃に似ている。

 防弾チョッキを身に着けたアマチュアたち六人は、たちまちに寧が乗っている車を取り囲み、乱暴にドアを開ける。鵜飼が銃で迎え撃ち、二人が倒れた。だがそのうち一人の弾丸が、彼の肩に被弾した。

「鵜飼!」

 赤い鮮血が飛び散り、寧が大きな悲鳴を上げた。鵜飼は引きずり出されるように車外に放り出され、叫んでいる寧が取り押さえられる。

「寧ちゃん!」

 白瀬が銃を向けたそのときだった。

 カチャリ。

 後頭部に銃口を当てられた。背後の男が言う。

「お前も来い」

 白瀬は銃をゆっくりと捨て、両手をあげる。

 どうする? このままでは寧ちゃんが誘拐される。犯人はなぜ俺も連れていこうとしている? 鵜飼は無事なのか? あの出血量で無事なわけがない。

 考えがまとまらない。心臓がうるさい。それでも白瀬は犯人の言う通り、トラックの後ろについていたハイエースに転がすように入れられる。そこには既に寧もいた。両手足をしばられ、目隠しをされる。〈リック〉を奪われ、あっという間に車が発進した。寧のすすり泣く声が聞こえる。

「寧ちゃん」

「うっ、うっ、白瀬さん……。鵜飼さん、死んじゃう?」

 白瀬は笑った。上手く笑えているか自信はなかった。

「まさか。王子さまはお姫様のピンチに駆けつけに来る仕事があるだろう?」

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