Chapter.2 人間の境界 ‐Boundary of a Human being‐

①Chapter.2


 人間とは何か? 考えたことはおありでしょうか?

 あいにくと私は科学者でも哲学者でもなく、一介の政治家にすぎません。あまりに大きな問いかけに対して、何と答えればいいのか言葉を詰まらせてしまいます。

 私の曽祖父は、まだコンピューターが世間に浸透する以前にIT関連の株を使い、財を成しました。先見の明があったのでしょうね。曽祖父はまだ幼い私にこんなことを言いました。

「いつか人と人とを分かつべき時が来る」と。

 どういう意味か、まだ私にはわかりませんでした。

 二〇三五年。忘れもしない第三次世界大戦が勃発しました。私は財産を失い、丸裸も同然でした。そこからの苦労話は置いておくとして、世界は──もちろん日本も急成長を遂げていきました。科学技術は我々の幸福に直結している。それはもう疑いようのない事実です。

 特に〈義体〉。

 今回のシンポジウムのテーマですね。仮の体。犠牲となった多くの兵士が義体となって生活しています。その技術を応用し、手足を失った人々や稀に美を求めるカーミラ夫人のような人々が義体に手を出していきました。

 皆が、より良い世界になると思いました。失った体を取り戻せるのだから当然でしょう。しかしここである疑問が生まれます。

 人間とは何か? 

 機械化された体をもつ義体所有者と人間は全く同じ生き物なのでしょうか?

 100メートルを9秒台で走るものと、8秒台で走るもの。

 スコープをつけたように拡大できる瞳。真っ白な人工血液。我々と彼らの違いはあげていけばキリがありません。

 義体所有者は人間ではない。そう言い切れば、人権団体から大きな声でお叱りをいただいてしまうでしょうが、あえて言います。

 我々と彼らは同じ生き物でしょうか?

 イエス、ノー。どちらのお考えもお聞きしたいです。討論会とはそういうものですからね。ですが、私は思うのです。義体所有者はそれとわかる〈ラベル〉をつけるべきではないかと。〈ラベル〉は我々を分断に導くでしょうか? そんなことはありません。むしろ〈ラベル〉は我々の違いへの理解を深め、互いを尊重し合うマークになると思います。


 ***


 警視庁、五階にある食堂が最近改装されて綺麗になった。入っている調理会社も変更されたのか、メニューもがらりと変わる。天丼、ラーメン、ハンバーガーに、ステーキまであるらしい。まるで表参道の瀟洒なレストランのようだ。

 昼過ぎに白瀬は食堂にやってきた。今日の仕事は午後三時から深夜まで。まだ昼食は食べていなかったので、少し早く来て食堂に立寄ることにした。白瀬は明太子パスタを選び、空席を探す。すると目立つ金糸の髪を見つけた。

「よう」

 背後から声をかけると、鵜飼が振り向いた。

「なんだ君か」

「なんだってなんだよ」

 向かいの席に白瀬が座る。座った途端、白瀬は「うわっ」と声を上げた。

「文句でもあるのか?」

 鵜飼が食べているのはイチゴの乗った生クリームたっぷりのパフェだった。

「おやつ?」

「昼食だ」

「信じらんない。ちゃんとしたもの食えよ」

「君こそ、パスタにタバスコをかけすぎじゃないか? 舌バカなの?」

「辛党なのは認めるけど、栄養バランスは考えてる。ほら、野菜のサラダ付きだし。お前のそれ、絶対に体に悪いよ。サラダ食べるか? 半分やるよ?」

「結構だ。それに毎日毎日パフェを食べてるわけじゃない」

 言い合っていると、ふとテレビの音が聞こえてくる。食堂に新しく設置された大型ビジョンには六十代くらいの大物政治家の姿があった。

『──であるからして、義体所有者にはそれとわかる〈ラベル〉をつけるべきです』

 白瀬はその政治家の名前を知っていた。たしか松江まつえすばる。厚生労働大臣だったはずだ。映像が松江の過去の発言からスタジオのキャスターへと変わる。

「松江大臣の発言が注目を集めていますが、どう思われますか?」

 スタジオにいる女性が答える。こちらも見覚えがある、たしか人権団体の西園寺という活動家だ。

『義体所有者蔑視に繋がる非常に危険な発言です。差別への助長とも言えます』

『ニュースフォーカスの調査では世論の八割はこの義体所有者ラベル案に賛成とあります』

『義体所有者も中身は同じ人間です。それに──』

 その後も白熱した議論が続きそうな雰囲気だったが、誰かがチャンネルを変えたのか、テレビは退屈そうな将棋コーナーに変わってしまった。

「〈ラベル〉と言わず、焼印とでも言えばいい。人と家畜をわけるように」

 甘ったるそうなクリームを食べながら、鵜飼が毒づく。白瀬も同感だった。

「……鵜飼は、初めて自分が義体になったとき怖くなかったのか? その、世間の目とかさ……」

 鵜飼は事故で足を失った。だが、それなら車椅子でも生活はできたはずだ。

「車椅子なんてごめんだったね。それに身体なんて所詮パーツだ」

「よく割り切れるな……」

「まだ七歳だったからな。世間のことなんて、わからなかった。好奇の目に晒される可能性よりも、走って転ぶことの方が大切だったのさ」

「俺は二十歳でこうなったから、やっぱりまだ慣れない。いきなり別世界にやってきたみたいだ」

「こちら側へようこそ」

 鵜飼がふふんと笑う。

「ま、だから生きてられるんだから、義体には感謝してるよ。一般人が機械化された人間を怖く思う気持ちも、わからなくはない。赤子の手をひねるように、人を殺せるんだから」

 くるりとフォークを回してパスタをすくい口に含んだ。少しタバスコをかけすぎた。

 午後三時、白瀬と鵜飼が義体犯罪捜査課のオフィスに行くと、塔乃の姿がなかった。電光掲示板には塔乃美紅の名前の横に〈不在〉の文字がある。自分のデスクに座っている宇野に挨拶をしてから白瀬が訊ねる。

「塔乃さん、今日はいないんですか?」

「うん。別の班の臨時班長の仕事が忙しいみたいで、こっちには来られないみたいなんだ」

「じゃあ、うちの指揮は誰がとるんです?」

 ちらりと宇野と向かいの席の玖島を見る。玖島は仕事なんてさらさらやる気がなさそうな顔をしていた。

「不本意だがここの副班長は俺だ。面倒だが、事件の概要を説明する」

 部屋の中が暗くなり、スクリーンに写真が映る。

「あ、この人。さっきテレビで見ましたよ」白瀬が言う。

「松江昴厚生労働大臣ですね」と鵜飼。

 玖島が頷いた。

「松江大臣のもとに殺害予告が届いた。俺たちと警護課警護第二係が警護を行う」

 警護第二係は国務大臣などを警護する専門の部署のことだ。彼らが出てくるのは当然として、なぜ自分たちが呼ばれるのだろうか。

 玖島が続ける。

「松江大臣の義体所有者は〈ラベル〉をつけるべきだという発言が波紋を呼んでいる。陰の賛同者は多いが、差別につながるという反対意見も表面的には多い。デモもあちこちで計画されている。今回の殺害予告は〈ラベル〉に反対している義体所有者である可能性が高い。だから俺たちが招集された。まあ、人員補充のための応援が主目的だがな」

 鵜飼が嘲笑うように綺麗に目を細め、呟いた。

「義体所有者を差別しようとしているくせに、義体所有者に守ってもらおうとするなんて、お笑い種だ」

 宇野が曖昧な表情で首を傾げる。白瀬は噂で聞いたが、どうにも宇野は義体ではないらしい。彼なりに居心地の悪さがあるのだろうと思うと、同情心がわいた。

「私情を挟むなよ」

 白瀬が釘を刺すと、鵜飼は涼しい顔をして黙った。

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