⑧Chapter.1


 下に降りるなり、現場に駆けつけた捜査一課の刑事たちに逢野と九条聡は連れていかれてしまった。警視庁で詳しく話を聞くのだろう。彼らは既にパトカーに乗せられ、現場を後にした。

 鵜飼はもう何事もなかったかのような顔をしているが、白瀬は少なからず彼に尊敬の念を抱いた。きっと逢野さくらを真の意味で救ったとしたら、それは彼女を確保した自分ではなく説き伏せた彼だろう。

 自動販売機で買ってきてくれたのだろう飲み物を持ってきた宇野と玖島がこちらにやってくる。

「お疲れ様。怪我はない?」

 宇野が優しくこちらを気遣い、コーヒーを白瀬に渡した。

「大丈夫です」

 清涼剤のような人だなと思う。癒し系と言うのだろうか。

 四人が車に背を持たれ、息を吐く。玖島が言った。

「これからが勝負だ。役立たずの警察官が、どこまでやれっか証明しないとな」

 巨大なビルを見上げる。敵は大きく、強い。おそらく国が絡んでいるのは間違いない。そんなものを相手にどこまで戦えるだろうか。

「問題ない」

 背後から声がする。振り返ると塔乃がいた。

「例の動画が拡散されている以上、国も捜査するしかない。必ず捕まるわ」

「塔乃さん」白瀬が口を開く。「怒ってるんですか?」

 一瞬、塔乃はきょとんとした目でこちらを見た。まるで子供に小難しい諺の誤用を指摘された大人のような反応だった。

「そう見えた?」そういう塔乃の目はいつもの氷山を思わせる冷たいものに戻っていた。「だとしたら気のせい」


 ***


 九条自然義体会社の立て籠もり事件から、二日がたった。逢野が撮影した動画の再生数は百万回を超え、ニュースやSNSで繰り返し拡散された。塔乃の言う通り、捜査のメスは確実に九条自然義体会社の喉元に迫っていると考えていいだろう。

「こんにちは」

 白瀬と鵜飼は病院に来ていた。四方をガラスで囲まれた特別な部屋の中にはベッドに横になっている逢野さくらの姿がある。

「……こんにちは」

 彼女の処分はまだ決まっていない。検察官送致になり刑罰を受けるか、少年院に行くか、十七歳という年齢はぎりぎりのラインだ。けれどひとまずは義体の体に不具合がないか、専門的な病院で検査を行うことになり、ここに入院している。もちろん今度は数名の捜査官の監視付きで。

「調子はどう?」

 白瀬はベッド横の丸椅子に腰かけながら微笑む。今朝方、病院から警視庁に連絡があり、逢野が二人に面会したがっていると教えられたのだ。逢野は微笑みを浮かべ頷く。

「平気です」

「そう。あのね、会いたがってるって聞いて俺は嬉しかったよ。塞ぎ込んじゃうんじゃないかと思ってたからさ」

 白瀬がそう言うと、逢野は鵜飼の方を見た。

「刑事さんが、応援してくれたような気がしたから。これから、どんな顔して生きていこうってずっと考えていたんです。たしかに、私はあの研究のことは知らなかった。でも関わっていたのは消えない事実で、少年義体兵を作り出してしまった」

「どんな風に生きていく、か。逢野さんはとても真面目で優しんだね」

 逢野は首を横に振る。

「そんなことないです。私と同じ立場なら、きっとみんなそう思う」

 白瀬は目を細めた。そう思える純粋な心が子供らしく、眩しかった。

「けど、結局、私がどんな風に生きていくかは私が決めるしかないことなんだと思いました。私が決めて、私が日々を生きていくしかない。私の代わりはいないし、私と同じ人間はいないから」

 だんまりを決め込んでいた鵜飼がようやく口を開いた。

「君ならきっと大丈夫。これから真っすぐ歩けるさ」

「……ありがとう、ございます」

 そう答えた逢野は、鵜飼の言う通り真っすぐ歩けるだけの強い瞳をしていた。

 またいつでも連絡してねと言って、白瀬と鵜飼は面会を終え、地下駐車場に戻る。助手席に座る鵜飼の〈リック〉が鳴り、何事かを話していた。通話を切り、彼が言う。

「九条聡のことで塔乃さんから連絡が入った」

「どんな?」

「審理不開始。実質無罪放免が決まったらしい。すぐにアメリカ留学を決めて、たった今、羽田から飛び立った」

「……そう」

 逢野と九条聡は再び出会うことはあるのだろうか。それは白瀬の与り知らぬことだが、共犯者になる道を選ぶくらいだ。二人の固い絆を信じたかった。

「九条社長は?」

「まだ捜査中。捕まえるのには半年はかかるだろう。上が頭を抱えている」

「……そっか。時間もかかるし、コネもいるよな。仕方ない」

 自分に言い聞かせるように、心の中で『仕方ない』と繰り返す。けれどどこかで逢野の前でも『仕方ない』と言えるのか? と誰かが呟いた気がした。

「こういう仕事をやっていると、自分の無力さが腹正しくなる」鵜飼はシートにそっと背を持たれる。「自分には何もできないと思い知らされる」

 白瀬はそれに答えず、ただエンジンをかけて、車を発進させる。外の夕焼けが眩しい。

 信号で車が自動停止する。部活帰りだろうか。自転車に乗った中学生たちが、笑い合いながら交差点を通過していった。

 この島国から遠く離れた中東で、十年前、多くの少年義体兵が自死させられた。その数は推定でも五万人を超えると言われている。逢野が関わった研究はおよそ兵士と呼ぶのに抵抗があるような乳幼児や未熟児さえも鋼鉄の身体に変えてしまう悪魔の所業だったことは疑いようがない。ようやく命を繋いだ子供たちも、戦争の中、死んでいった。

「これから何度も、逢野さくらさんは自分を責めるだろうな。でもその度に、きっと鵜飼に言われた言葉を思い出すよ」

 ──人の一生は短く、ときに過ちを犯し、ときに道を間違える。けれどそれでも人は生きて、自分の選んだ答えの正しさを証明し続けるしかない。


 ***


 とあるNGO団体から派遣された日本人数名が、中東シリアの首都ダマスカスを訪れていた。今日は提携している小学校に通う生徒たちの義体をチェックし、不具合があるものはパーツの交換をするなどした。今日の作業が終わり、一人の少年が声をかけてきた。

「うちで食べていく?」

 彼らは一瞬、迷った。

 九条自然義体会社の告発事件を思い出したのだ。報道によると、例の会社は、第三次世界大戦で多くの犠牲を出した少年義体兵を生み出すための科学技術を違法に本国や他国へ売っていたらしい。その技術は中東地域の未熟児や乳幼児にも適用され、彼らはその頃、生み出された元乳幼児や未熟児の全身義体たちだった。

 九条自然義体会社と直接的なつながりはないが、彼らに違法な手術を施した会社と国を同じくしていた日本人たちは誘いに乗るべきか悩んだが、無下に断ることもできず結局は少年の家に行った。

 夜が深まり、少年と彼を預かっている親族が豪勢とは言い難いが美味しいスープを作ってくれた。それを食べた後、少年が言った。

「ニホンジンには恩があるって、昔、母さんが言ってた」

「僕らに?」

「俺が生まれてくるとき、小さすぎて死にそうだったけど、義体になったおかげで助かったって。だから義体技術を持ってきてくれた技師さんたちに感謝しなさいって、母さんが言ってたよ」

「……そうか」

 日本人たちは返答に詰まった。その技術は君を幸せにするための物なのではなく、君を不幸にするためのものだったんだよ、とはとても言えなかった。少年が銃を持つようになる前に戦争が終わって本当に良かったと思った。

 食事の礼を言い、本拠地のポイントへとトラックで帰る。車に揺られながら、一人が言った。

「感謝されるなんて思いもしませんでしたね。後ろ指を指されてもしょうがないと思っていたのに……」

 皆もうなだれる。複雑な気持ちだった。最年長の一人がおもむろに口を開いた。

「未熟児を義体にするなど、許される所業ではない。けれど、誰か一人を救えたことも事実だ……」

 彼らは九条自然義体会社を告発し、立ち向かった少女のことを思いだした。未熟児として生まれ、知らずと戦争に利用された哀れな子供。けれどその子に伝えたかった。

 君が救った命は確かにここで輝いているんだと。

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