⑦Chapter.1
白瀬と鵜飼は別の車両に乗っていた塔乃たちと合流し、溢れ出てくる人々の流れに逆らいながらビルの正面ゲートをくぐる。ひっきりなしに金属探知機が作動し、人々の狂騒が絡まり合い、とても騒がしい。エレベーターで九条自然義体会社の入っている最上階を目指そうとするが、それも大量の人で埋め尽くされており、エレベーターホールに近づくことすら困難だった。
「何が起きてるんだ?」
玖島の呟きに、宇野が答えた。
「どうやらこのビルに爆弾を仕掛けたという情報がネットに流されているみたいです」
「階段で行きますか?」
白瀬が呟くと、玖島が首を横に振る。
「五十階もあるんだぞ。時間がかかりすぎる」
「ヘリで屋上へ行く」
言うが早いか、塔乃は〈リック〉を操作し、こちらにヘリを向かわせていた。
「到着まで十五分かかる。その間に玖島と私は階段で最上階へ向かう。白瀬、鵜飼は屋上からロープで最上階へ降りて。宇野はそのサポートへ」
「今なんて言いました!?」
白瀬が訊き返すも、塔乃はそれを無視した。鵜飼が鋭い視線をこちらに向ける。
「やれないなら僕一人でもいい」
「やれないとは言ってない!」
だけれど、正気の作戦とは思えなかった。
──これが義体犯罪捜査課。
覚悟を決めるしかない。白瀬は腹をくくった。やっと掴んだ警察官という夢。簡単に手放すわけにはいかない。
***
全身義体である塔乃と玖島にとって五十階の階段を上り切ることは息切れひとつさえ起こさせない運動だった。そうとはいえ時間は経過している。最上階に着いたとき、既に時計は十分間進んでいた。
「玖島は右を、私は左。同時に開ける」
両開きの扉の左右に立つ。玖島が深く息を吐き、吸う。どちらからということもなく、同時にドアを開け、銃口を向けた。
「「警察だ!」」
中にいたのは社長らしき男性と、秘書と思わしき数名と、それらに銃口を向けている逢野、それからもう一人の青年、おそらく九条聡だろう。
「来ないで!」
逢野が叫ぶ。彼女の握っている銃の先には、ソファに座らされ手をあげている社長の姿があった。
「逢野さくら。大人しく投降しなさい」
塔乃の氷のような瞳で睨みつけられ、逢野は一瞬怯んだ表情を見せた。それでもすぐに強気な瞳が戻ってくる。
「わかってないのはあなたたち警察の方よ。法から逸脱したものを捕まえるための組織なのに、あなたたちはこの会社に何もしなかった。この会社が何をしてきたのかわかる?」
玖島が銃を下ろさないまま答えた。
「君の映っている動画を見た」
「じゃあ、今更説明してあげる必要はないね。この会社は人間兵器を作ろうとしてる。いや、作った。その初号機が私……。お願い。本当のことを世間に公表して。こんなことはもうやめて」
逢野は懇願するような口調で社長に言った。うっすらと汗を浮かべているが、社長は強情そうな顔をしている。
「公表するも何も、ないものはあったとは言えない。君はその例のデータとやらを見つけたのか? 君のいう未熟児サイボーク化計画の真偽を証明できるものはあるのか?」
「だからそれを出してって、言ってるの!」
今にも泣きだしそうな顔で彼女の声は震えていた。怒りと悲しみがない交ぜになったような感情が伝わってくる。
早くしないと心が暴発しちまう……。
玖島が唇を噛むと、社長室の窓の向こう、逢野の背後にたらりと一本のロープが降りていた。
***
付近の広場に止めたヘリから、屋上のヘリポートへと移動した白瀬、鵜飼、宇野は慎重かつ迅速に作業を進めていた。屋上の柵に全体重を支えるための大きなフックを取りつけ、ロープの強度がこれからの任務に耐えうるのかを確認する。宇野はラップトップ型のデバイスのキーボードを取り出し、ピアニストのようにキーボードにコードを打ち込んでいる。
「宇野さんは、うちの班で一番機械に強い」
鵜飼の言葉通り、宇野はほんの三十秒ほどでこのビルの監視カメラシステムに侵入していた。
「社長室の映像だよ」
部屋には既に塔乃と玖島の姿が見える。他にも秘書数名、銃口を向けられているのが社長の九条滋だろう。
「逢野さくらと九条聡は窓に背を向けている。チャンスだ」
そういう鵜飼に対し、白瀬は疑問を述べた。
「でも窓ガラスがあるだろ。どうやって」
「発砲の許可はおりてる。天井を撃てばいい。くれぐれも人は撃つなよ」
「無茶苦茶だな……」
「さあ、行こう」
ロープを垂らし、息を吐く。白瀬と鵜飼は同時に降下し、腰元と背中についているベルトが、ロープが伸び切ったことを伝える。逢野さくらに見つかる前に行動しなければならない。鵜飼が躊躇わず天井に向けて発砲する。白瀬も続いた。窓ガラスにヒビが割れて、体をスイングさせてガラスを蹴破ろうと動く。もしもロープが千切れたら、五十階分の落下が待っている。なるだけそれを考えないようにしながら、もう一度、体をブランコのようにしならせる。二度の蹴りで、ガラスが割れ、部屋の中に転がり込んだ。
逢野さくらが驚いてこちらに振り向く。白瀬は銃を持っている方の右手首を掴み、曲げてはいけない方にぐいっと押し込んだ。痛覚を切っているのか、逢野が痛みに声を上げることはなく、銃を手放さない。
「諦めろ!」
「離して!」
白瀬は手首を掴み逃げられないようにしたまま、掌底を彼女の腹部に叩き込む。逢野が呻き声をあげ床に伏せる。銃を奪い、手錠で拘束した。
「確保!」
見ると、鵜飼が九条聡に手錠をかけている。玖島が社長たちを部屋の外へと向かわせていた。塔乃が腕を組んで床に伏せている逢野を見下ろす。逢野は諦めたのか、うつ伏せになって動かない。かわりにすすり泣く声が聞こえた。
「泣いているの?」
塔乃が言った。
「警察は役に立たない。それは否定できない。絶対が存在しない以上、完璧な組織は存在しないから。けれど、最大多数の幸福のために、最大限の努力をすべきだということは変わらない」
塔乃美紅という人は情けをかけないし、容赦もしない。けれど、残酷なことを好んでいるわけではないのだろう。その瞳には多少とも同情の色が見えた。
「誰も助けてくれない。だから行動した。あなたは間違えた。誤った。けれど、それをただ責め立てる権利は、私にはない」
その目はやはり聖母のように慈愛を含んではいなかった。いつもと同じ、凛々しく強く何物にも染まらない闇夜の月のような漆黒の瞳。
「ただひとつ約束する。この会社の不正は、必ず証拠を見つけ出す」
逢野は再び顔を伏せた。何も言わずに。
彼女は自分の人生全てを否定されてしまった。生まれてきてからずっと、悪事に加担させられ、そうとは知らずに育ってきた。十七歳になりようやく真実を知った。だが、もう何もかも遅すぎた。第三次世界大戦は起きた。多くの中東に住む子供が義体兵となり、敵国のクラッキングにより操られ、自死させられた。
何かを言わなければならない。
この子を、守らなければならない。
警察官としてではなく、ひとりの大人として。
そんな衝動にかられた。しかし言葉が出てこない。口を開いたのは鵜飼だった。
「自分が何者なのか、考えたことはあるか?」
鵜飼からの真っ直ぐな視線を浴びた逢野は少し驚いたように目を開き、首を横に振った。
「ない、です……」
「僕も君くらいの年までは考えたこともなかった。けれど、考えざるを得ないことが起きた。自分の父親が人を殺したんだ。僕は父親を尊敬していたし、憧れていたし、大好きだったから、動揺したし、その血が自分に流れていることに絶望した。自分の正体が気味の悪い怪物に思えてならなかった」
逢野がきゅっと唇を噛む。
自分が話し始めている内容が、逢野にとっての正解になるのかはわからない。けれど、なにかを言わなければ。目の前の傷ついた少女を救わなければ。そんな気持ちだけで鵜飼は動いているのが白瀬に伝わってきた。
「君もそうなんだろう? 自分が研究を止めれば、僕が父を止めれば、こんなことにはならなかったと思ってる。先輩としてアドバイスするとするなら、その感情は消えないし、君は自分の過去を責め続けることになる」
道に迷った子供のように、暗い瞳で逢野は問いかける。
「私はどうしたらいいんですか……?」
「──君が生きている意味を、君自身が作るんだ。それが生きていくということだから。短絡的手段に頼らず、時間をかけてゆっくりでいいから、君にしかできないことをするんだ」
「私にしかできないこと……」
さまざまなことが逢野の頭の中を駆け巡っているだろうことが見て取れる。そのとき九条聡が口を開いた。
「さくら」
「聡くん……」
言葉はそれ以上、出てこなかった。鵜飼の気持ちが逢野に伝わったのかはわからない。
「連れて行って」
塔乃の指示に従い、逢野を連れて部屋を出た。
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