⑤Chapter.1


 翌朝、白瀬は緊急の呼び出しを受けて早朝から警視庁を訪れた。オフィスに入ると既に鵜飼たち全員の姿がある。

「何があったんです?」

 明け方、鵜飼からの電話があり、『早急に来い』とだけ伝えられたのだ。

 いつもの鉄仮面で塔乃が答える。

「逢野さくらが病院から逃げ出した。拳銃を持って」

「はぁ!?」

「護衛につけていた警察官から拳銃を奪ったらしい」と鵜飼。

「でも麻酔で眠っていたはずじゃ」

「全身義体の体は大概が人工血液を使っている。体の内部も普通の人間よりは色んなものに耐性をつけられている。もちろん医師もわかっていたはずだが、麻酔の分量を誤ったのかもしれないな。運悪く起きた」

 ため息を吐く鵜飼。玖島が舌打ちをした。

「監視カメラの映像は?」

「別の班に調べさせている。四人は病院付近の潜伏できそうな場所を捜索して。あと銃の発砲は許可が降りた」

「相手は高校生ですよ!?」

 宇野は糾弾めいた口調で言う。

「違う。全身義体の高校生よ」

 塔乃の言葉で室内が静まり返る。

「これまでの情報を統合するなら、彼女は何者かにクラッキングされて高校で暴れたことになる。けれど、なぜか彼女は自らの意思で銃を奪い病院から逃走した。なんらかの考えがある。それが何なのかはわからないけれど、銃を持っている以上、捕まえる他ない。違う?」

 宇野は言い返さず、下を向く。

 それを合図に、各々が部屋から出ていった。白瀬と鵜飼も地下駐車場に行き、車に乗り込む。シートベルトを締めながら、逢野が隠れそうな廃工場など、これから確認するべき場所を思い出していく。

 キーをかけて、発進する。早朝の首都高速は空いていた。目的地に近づき、一般道に降りる。信号が赤になり、車が自動停止した。ふとバックミラーを見ると、例の黒い車が映っていた。

「鵜飼」

「わかってる」

 『の』の4183

 そのナンバーの車の所有者は日本有数の暴力団組織・東龍会の構成員と登録されていた。構成員と言っても末端の末端。刑事に尾行を見抜かれるようではまだまだだ。

 車をまたコンビニに止める。黒い車も同じ駐車場に止めた。こちらの車が再び発進。慌てて黒い車が飛び出す。その時だった。大きなブレーキ音が鳴り、黒い車が止まる。車のバンパーの前に突然現れた白瀬がにこりと運転席の男に笑いかけた。

「こんにちは」

 黒い車が慌ててバックしようとするが上手くいかない。なぜなら、後ろには鵜飼に運転を代わった車が止めてあるからだ。白瀬と車に挟まれた形になり、運転手のチンピラが舌打ちをしてドアを開ける。逃げようとする足をすぐに白瀬がひっかけて、転がした。

「はいはい。動かないでー」

 前のめりに倒れた身体を押さえつけようとすると、チンピラが抵抗する。

「離せ! この野郎!」

「はい暴れた。公務執行妨害罪」

「横暴な刑事だな!」

 やはりこちらが刑事とわかっていながら尾行していたのか。

 白瀬が完全にチンピラの動きを封じたのを確認してから、鵜飼が車から降りてきた。

「警察だ。なぜ僕たちを尾行していた? 東龍会の指示か?」

「ち、ちげえよ! だから頼む! 見逃してくれ!」

「お前がこれから話す内容次第だな。東龍会には伝手がある。もしあんたが組に背く真似をしているのなら……」

 鵜飼が無言のまま偉そうに腕を組むと、チンピラは唇を噛んでから話し始める。

「小遣い稼ぎのつもりだったんだ! だから上には話さないでくれ」

 飴と鞭作戦で行こうと決めたわけではなかったが、なんだかチンピラが不憫に思えてきた白瀬はつい優しそうな声で言ってしまう。

「で、誰に頼まれたんだ?」

「く、九条自然義体会社だ。警察を見張るように言われた!」

「会社?」

「頼む! このことは上には報告しないでくれ! 別口で仕事を引き受けてることがバレたら、兄貴に処刑される!」

 鵜飼がため息を吐く。

「わかったよ。もういい」

 白瀬がチンピラを解放してやると、男は脱兎のごとく車に乗って逃げていった。その姿を見ながら、白瀬が訊ねる。

「さっきの話、本当なのか?」

「東龍会に知り合いがいるって? いるわけないだろ。寒さで頭が凍ったのか? それとももともとか?」

 こいつ……。

 宝石のような綺麗な顔をしているくせに、出てくる言葉は毒を含んだものばかりだ。

「そんなことより、九条自然義体会社だ」

 白瀬は〈リック〉を起動し、ワードを検索する。

「国内シェア八位の義体会社。名前が知られてないのも無理はないな」

 白瀬の〈リック〉を鵜飼も覗き込む。

「作っているのは大衆向けというよりは、高級路線を狙ったものか。なるほど。一応、僕から塔乃さんに連絡しておく。君は車を回せ」

「九条自然義体会社に行くのか? 逢野さんは?」

「でたらめに街を探すより、なぜ彼女が逃げ出したのかを探る方が、効率がいいかもしれない。確認しよう」

 結論から言うと、鵜飼の予感は正しかった。

 五十階建ての堅牢なビルの中に九条自然義体会社のオフィスはあった。警察手帳IDを見せ、事情を説明すると、人工の滝が流れる吹き抜けのロビーのような場所に通される。等間隔に並ぶ机や椅子も高級そうで、奥では裕福そうな客と社員が世間話をしているのが聞こえる。しばらくして四十代くらいの溌溂とした男性がやってきた。

「逢野さくらさんという方の義体について、でしたよね」

 白瀬が頷く。

「はい。もしかして御社で製作された義体ではないでしょうか?」

「確かに、逢野さくらさんの義体は当社が製作したものです。何か問題でも?」

 鵜飼がこちらに目配せをする。事件のことについては話すなということだろう。義体のクラッキングは社会的混乱を招きかねない。

「いえ、大したことではないのですか、カルテを確認させていただけませんか。義体手術をしたときのものがあると思うのですが……」

「申し訳ありませんが、こちらには守秘義務がありまして」

 男がにこりと笑う。鵜飼は笑わずに訊ねた。

「では逢野さくらさんはいつから義体に?」

 ぴたりと男の表情筋が固まる。

「いつから、とは。その……」

「何かお話しいただけない事情が?」

「守秘義務がございますので。申し訳ありませんが、お引き取りください」

 男はこれ以上、話さないだろう。諦めた二人は席を立ち、九条自然義体会社を後にする。帰りの車内で鵜飼はようやく笑った。

「十分すぎる成果だな。この会社は何か隠してる」

「そして当事者である逢野さんはもちろんその秘密を知ってる」

 企業が隠したがっている秘密。それを知る少女。

「逢野さくらは何をする気だ?」

 考えるときの癖なのか、頬杖をつく鵜飼がミラーに反射した。


 ***


 九条自然義体会社、社長室。社長・九条しげるの趣味であるワインセラーが置かれた立派な社長室には美しい腕や足の義体が芸術品のように並べられている。九条滋はやや細身で高身長、この会社を継いで三代目の社長となった。いつもは気品あふれる優雅なふるまいを心得とする彼だが、今日ばかりはそうはいかなかった。

「刑事? あのチンピラがへまでもしたか……」

 さきほど白瀬達を対応していた男が答える。

「逢野さくらの件で話を聞きたいと。守秘義務を盾に何もしゃべりませんでしたが……」

「馬鹿が。何かあるとこちらから言っているようなものだ」

 九条の剣幕に圧されるように、男は縮こまる。

「申し訳ありません!」

「それで、逢野さくらの居場所は?」

「鋭意捜索中です」

 痺れを切らしたように九条滋は机を拳で叩いた。

「なんとしても警察よりも早く回収しろ。あれが世間に流失してみろ。この会社は終わりだ」

「かしこまりました。そのことでもうひとつお話が……」

「次はなんだ?」

「聡坊ちゃんが行方をくらましました」

「聡? そんなこと、今はどうでも……。まさか……」

「聡坊ちゃんと逢野さくらには交流がありました。それが今も続いているとしたら」

 九条滋の頭の中でバラバラのはずだったピースがぴたりとはまりこむ。すると途端に九条滋は剥き出しの怒りを顕にした。

「聡をすぐに連れ戻せ! 何をしてもだ!」


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