③Chapter.1


 警視庁への登庁初日。白瀬は改札のようになっている入り口を通り抜けて、美術館のロビーのような中に入る。全面ガラス張りで、二十階分の吹き抜け。人工太陽光が大理石できた床を照らしている。廊下の赤いラインはロボットやアンドロイドが使う専用の道らしく、人間は歩いていない。白瀬は赤いラインを踏まないように気をつけながら、五十二階の義体犯罪捜査課のオフィスに向かった。五十二階は、蜂の巣のように五、六人用の部屋が並んでいる構造で、その中から塔乃班と書かれる表札を見つけた。

 ノックをして中に入る。オフィスは黒い壁紙に、大きな壁と一体型スクリーンがある。五人分のデスクと、申し訳程度の背の高い観葉植物が置かれていた。

 塔乃はまだ先ほどの事件の処理があるのかこの場にはいない。代わりにいたのは温和そうな茶髪の男だった。年齢は二十代後半か、三十代前半と言うところだろうか。身長が高い。百八十五センチ以上はありそうだ。

「君が新しく配属されてきた白瀬くん?」

 見た目を裏切らない笑顔で男がそういう。

「はい」

「僕は宇野うのはじめ。よろしくね」

「よろしくお願いします」

 続いて部屋に入ってきたのは銀色フレームの眼鏡をかけた宇野と同い年くらいの男だった。彼もこちらを新人とわかると面倒そうにだが自己紹介をしてくれた。

玖島くとうつかさだ」

「玖島さんは僕と組んでるんだ。不愛想だけど、根は良い人だよ」

「一言多いんだよ、お前。そっちこそちゃんと自己紹介したのか?」

「しましたよ」

「ちゃんとだよ。このお方は警視総監、宇野栄彦ひでひこ殿の息子だ」

「警視総監の息子!?」

 思わず大きな声が出る。玖島はニヤニヤと人の悪い笑みを浮かべながら続けた。

「世間知らずのお坊ちゃんさ」

 対する宇野は少しばかり怒っているようだった。

「もう。今度はそういう色眼鏡なしで見てほしいから黙っていようと思ってたんですよ!」

「狭い世界だ。隠し事なんてそうできない。俺を不愛想だなんて言うからさ。それに愛想のなさでいったら鵜飼の方が折り紙付きだろ」

「鵜飼?」その名前にぴくりと反応する。「えっと、恭一・アレクセイ、なんとかさんですか?」

 詳しい名前までは憶えていないが、そのようなミドルネームだったはずだ。

「知っているの?」と宇野。

「ええ。今日、多度の事件で鉢合わせになったというか、なんというか……。たしかにあんまり愛想がいいタイプじゃなかったですね」

「だろう? あいつはうちの班なんだ」と玖島。

 ノックの音。入ってきたのは鵜飼と塔乃だった。

「ああ、もうだいたい自己紹介は終わってるの」

 話し声が聞こえたのだろうか。塔乃はにこりともせず続ける。

「こちら白瀬慶介警部補。この班では鵜飼と組んでもらうわ」

 鵜飼と目が合う。白瀬は何といえばいいか考えながら、曖昧に笑っておいた。もちろん彼は笑い返さない。本当に愛想のないやつだ。

「早速だけれど、事件」

 塔乃が部屋の明かりを落とすと、スクリーンの明かりが暗い部屋の中で光った。

 映っているのは少女の写真だった。高校生くらいだろうか。セミロングの黒髪をくくり、真剣な面持ちでテニスラケットを振っている。真面目そうな今どきの女子高生というのが見た目の印象だった。

逢野おうのさくら、十七歳。都内の高校に通うどこにでもいる女子高生。体が全身義体フルボディなのを除けば」

「全身義体?」玖島が声を上げる。「第三次世界大戦のとき、この子はたったの七才だろう?」

 第三次世界大戦で戦場となったのは中東で、日本に被害はほとんどなかった。かわりに当時徴兵された二十代から三十代の多くの若者の体が義体となっている。だが、逢野さくらはまだ十七歳。当時も七歳で、テレビやニュースでしか戦争のことを知らないはずだ。

 もしくは治安の悪い〈区外〉と呼ばれる場所で暮らしているチンピラまがいの若者も義体を使っているが、彼らに全身のパーツを取りそろえられるような資金はなかなか簡単には手に入らないだろう。

「詳しい事情は調査中。けれど、とにかく彼女が事件を起こした」

 スライドが切り替わる。どうやら高校の教室らしい。机や椅子が倒れて、ノートや教科書が床に散らばっている。

「授業中に突然、暴れだした。怪我人はいなかったけれど錯乱状態で、付近の警察官がやってきたときには、既に暴れ疲れたのか気を失って倒れていたそうよ」

「怪我人がいないことが不幸中の幸いでしたね」と宇野が言う。

「玖島、宇野は高校に聞き込み。鵜飼、白瀬は逢野さくらが運ばれた病院で医師や本人から何か話が訊けないか確認。以上」

 塔乃がそう締めくくる。四人は息を合わせるでもなく、「はい!」と答えた。


 ***


 病院までは地下にある自動車に乗っていった。自動運転だが、後輩の礼儀として白瀬が運転席に座る。

「どう思う?」

 ぶっきらぼうな調子で鵜飼が訊ねる。

「どうって。逢野さんから話を聞いてみないことにはわからないだろ。相手は思春期の女の子だし。むしゃくしゃして暴れたかったのかもしれない」

 白瀬がそう答えると、鵜飼はわざとらしく深いため息を吐いた。

「そうじゃない。逢野さくらがなぜ暴れたかじゃなくて、なぜ全身義体なのかってことだ」

「…………さあ」

 情けない白瀬の返答も予想済みだったのか、鵜飼はもう何の反応もしなかった。

 しばらくして車が病院の駐車場に停まる。ショートケーキを入れる白い箱を巨大化させたようなまっさらな壁の大学病院。受付で刑事であることを伝えると、すぐに特別治療室へ案内された。特別治療室の前には受付から連絡を受けたのだろう逢野の主治医が待っている。

「逢野さんはどんな状態で?」白瀬が訊ねる。

 主治医はブラインドを開けて、ガラスを一枚挟んだ特別治療室を見せた。ベッドが一つだけ置かれていて、そこには写真で見た黒髪の少女が横たわっている。目を見開き、何も言わない。眼球が乾かないのかと普通なら思うだろうが、彼女は全身義体。瞳だって作り物だ。

「今は麻酔で眠らせています」

 義体はあくまでも外殻であり、内臓や脳は存在している。体を動かす司令塔である脳を眠らせてしまえば、勝手に動き出す心配はない。

「内部もさほど深刻なダメージは見られません。心肺機能も安定しています」

「覚醒させて話を聞くことはできませんか?」

 白瀬の質問に主治医は首を横に振った。

「できません。実はうちには機械技師がおりまして、彼にもあの義体を調べてもらったんです。すると」主治医は声を潜める。「奇妙な形跡がありまして……」

「奇妙な形跡?」白瀬が訊ねる。

「学校で暴れた際に外部からクラッキングされた跡があるようなんです」

 鵜飼が思わずと言う風に笑う。

「まさか。どうして女子高生を」

 義体へのクラッキング。それはウィルスと人体との戦いと同じように、いたちごっこが続いている。クラッキングされた体は、寄生虫に侵されたかのようにブラックハッカーの思うままに動いてしまう。そのため、第三次世界大戦ではたった一人のブラックハッカーが多くの義体兵を自死に追いやるということもめずらしくはなかった。

しかし、戦時中はともかく、なぜ平和な昨今、一般人の女子高生をクラッキングするのだろう。義体へのクラッキングは、誰にでもできることではない。もしそれほどの技術を持っていれば、大企業に高給で雇われるか、国に雇われるかしている。一朝一夕の悪戯心でできることではないはずだ。

「警察には既に届けてはおきました……。もしもまた外部からクラッキングされたら、麻酔をかけていても無意識のうちに動き出すかもしれない……。そう思うと恐ろしくてたまりませんよ」

 鵜飼がコンコンとガラスを叩く。

「だとしても、逢野さくらの義体構造上、この分厚い防弾ガラスを破れるような力はないはずです。問題ありません。ですがどうしても不安ならば、他の班から人員を呼んで警察官をつけましょう」

「ありがとうございます。助かります」

 昏々と眠る少女に白瀬は目をやる。誰が何のために彼女をクラッキングし、高校内で暴れさせたのだろうか。万が一だが、確かに愉快犯という可能性はある。しかしそれにしても、今回の事件は怪我人もいなければ被害も大きくはない。ますます犯人の目的が謎めいていた。

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