②Chapter.1


「動くな!!」

 大きな怒声が辺りに響き、白瀬慶介しらせけいすけは思わず立ち止まった。

茶色の髪に、黒い瞳。紺色のパーカー姿の、どこにでもいる二十代の若者、それが白瀬の外観だった。

 白瀬はたまたま自宅から職場に行く途中で、どうやら何かの事件現場に巻き込まれているらしかった。声の主の方に目をやる。

 スクランブル交差点の中央に三十歳くらいの男がいた。手元にはナイフ、もう片方の手には泣きわめいている六歳くらいの男の子。

「翔太!」

 離れた所で通行人に押さえつけられているのは母親だろうか。必死に息子に手を伸ばすが、到底届きそうにない。翔太と呼ばれた少年は命の危機を感じ泣き続けている。一方の男は大きな声で叫んだ。

「現金を用意しろ! 一千万だ! とっ、逃走用の車も!」

 それは、白瀬にはまったく計画性を感じられない、突発的犯罪に見えた。

 ──薬物にでも手を出したのか? 

 第三次世界大戦後、違法薬物は以前よりも更に簡単に手に入るようになった。違法薬物は戦争で疲弊した身体と精神をすぐに飲み込み、世界中に犯罪者を増加させ続けている。

 白瀬はすぐに腕時計型携帯端末〈リック〉に触れる。ホログラフィックが浮かび、瞬時に静脈認証を行いログインする。

「警察に連絡。人質事件だ」

『了解しました』

 男性リックの機械音声が返事をする。周囲にいる人々も同じように犯人と距離を取りつつ警察の到着を今か今かと待っているようだ。先に到着したのは付近に設置されているセキュリティ用のアンドロイドだった。白い体の機械が『ナイフを下ろしてください』と話しかけるも、男は相手にする様子はない。

「うるせぇ! 黙れ! 早く金を用意しろ!」

 ナイフの切っ先が少年に近づく。これ以上は危険だ。そう判断した白瀬は、一歩前に踏み出した。

「警察だ」

 再び〈リック〉に触れ、自身の身分証IDを男側に表示させる。そこには警部補と記されている。それを見た男は要求を繰り返す。

「金だ! 金を用意しろ!」

「その前に翔太くんを離せ」

「指図するな!」

 まるで話が通じない。もとより薬物中毒者を相手にまともな話し合いができるとも思えない。

 だが、これでいい。こちらに注意を引き付ける。それにこそ、意味がある。

 男がいるのは人通りの激しいスクランブル交差点。信号の色が変わろうと車は当然止まったまま、人も波が引いたように離れている。周囲は低いビルで囲まれていた。

 男の背後のビル五階相当に位置する階段。特殊部隊員がライフルで男を狙っているのが見えた。瞳の特殊レンズで拡大すればスナイパーが引き金に指をやるのがよく見える。

 当ててくれよ……。

 爆ぜるような音の後に、男の悲鳴が続く。手を撃たれた男がナイフを取り落とした。白瀬は雷光のように駆けて、地面に転がるナイフを蹴り飛ばし、そのままスライディングするように少年を抱きかかえた。

「痛いところはある?」

「ない……」

 腕の中で少年が泣いている。白瀬が優しくその頭を撫でようとしたとき、悪寒が走り、背後を振り向く。ナイフを落とした犯人が懐に手をやる。出てきたのは手榴弾だった。男が無事な方の手でピンを抜こうとする。その目は獰猛な獣のようにぎらつき、自分もろとも世界を破壊してやろうという狂気で爛々と光っていた。

「死ね!」

 引き続き、銃声。

 白い血しぶきを流しながら倒れたのは、足を撃ち抜かれた犯人の男だった。スローモーションのように男が前のめりに倒れる。幸い、手榴弾のピンは抜けていない。白瀬はほっと息を吐く。男が倒れたことで、その後方、拳銃を撃った人物が見える。金色の髪に翡翠色の瞳。中性的な顔立ちの美しい人だった。

「怪我はありませんか?」

 笑みを浮かべず淡々と犯人を銃で撃った美しい人が訊ねてくる。声が低い。どうやら男らしい。他の警察官が男を逮捕する。

「ない、です……」

 人質になっていた少年が弾かれたようにその場から走り出し、母親の胸の中に駆け込む。その様子を見ながら、白瀬は〈リック〉で警察手帳を表示させる。

「お疲れ様です。こちらは大丈夫」

「所属をお聞きしても?」

「義体犯罪捜査課です。といっても今日から配属の新米なんですが」

「だろうな。同じ課の僕が知らないわけだ。恭一・アレクセイ・ヒンシェルウッドだ。面倒だろうから鵜飼でいい。祖母の旧姓だ。みんなそっちで呼んでる」

「はあ」

「こちらへ来い。事情を聴く必要がある」

 鵜飼という刑事は無表情のままずんずんと歩いていくので、白瀬もおずおずとその後に続いた。特殊部隊員が入っていたビルの中に入っていくと、中に十人ほどの刑事がいるのがわかる。そのうち一つの輪の中に見知った女性がいた。赤いヒールに黒いジャケット姿の年齢不詳の女性だ。

「こんにちは、ラッキーボーイ」

「ボーイなんて年齢じゃないですよ。塔乃さん」

 塔乃美紅。黒いショートカットに、黒色の目をした猫のような人。配属先が決まったときに一度だけ顔を合わせたが、なんというか、にこりとも笑わず、腹の内が読めない人という印象だ。

「ラッキーはラッキーでしょう? あのまま撃たれていたら、内臓に深刻なダメージが生じていたし、鵜飼が飛び出して行って犯人を撃ってくれたことに感謝することね」

「その犯人は?」

「救急車で運ばれていった。軽い傷よ。大丈夫」

「そうですか。ところで、どうして誘拐事件に義体犯罪捜査課が?」

 義体犯罪捜査課はその名の通り、義体に関わる犯罪に携わる課である。誘拐事件ならば、特殊事件捜査係の出番ではないだろうか。

「あの男、多度は薬物常習犯でありながら、薬物の売り手でもあった。普通なら厚生労働省のマトリの出番だけど、多度は両義手、両義足。普通の人間じゃ太刀打ちできない。だからいざというときのためにうちの課からお守り代わりに鵜飼を貸していたの。けどマトリの捜査網に気づいたらしく、逃走。運悪くバットトリップが重なって、人質をとってしまった。そこに白瀬が現れた」

「そういうことですか……」

 我ながら運がないな。いや、人質は助かったのだから、良かったのだろうか。

「多度からは薬物売買のルートを細かく聞く予定だったから、捕まえられてよかった」

「発砲のお咎めはなしってことですか?」と鵜飼。

「一応。人質は助かったし」

 あの状況で足を狙ったのはベストな判断だったし、正確に太腿を狙ったあのショットは見事なものだった。

「お礼を言うよ。ありがとう。あんたのおかげで助かった」

 素直な気持ちからそう言い、白瀬は手を差し出す。鵜飼は握り返さなかった。

「そう」

 淡白な性格なのか、それだけ言うと踵を返し別の刑事に呼ばれて行ってしまう。

 上手く馴染めるだろうか……。

 一抹の不安を抱えながらも、白瀬の新しい配属先での日々が始まった。


 ***


 二〇三五年、中東を舞台にアメリカ合衆国、中国、ロシア、EU、他諸国たちは核兵器以外のほぼ全てを用いて血で血を洗う戦争を繰り広げた。ある国は政治的干渉を理由に、ある国は領空侵犯を理由に、またある国は資源をめぐる対立を理由にした。どの国の発言も的を射ているようで、その実の目的はただ一つ、戦争特需で景気回復を狙うことだった。

 計画的戦争の舞台装置は義体と呼ばれた。身体機能を拡張する金属でできた鋼の鎧であり、殺戮をもたらす戦の神。多くの軍人が自身を義体に変え戦地へと向かった。しかし迎え撃つ敵国もまた義体を身に着けており、戦争を膠着状態へ導いた。痺れを切らした各国は徴兵制をはじめ、日本も二十代から四十代の一部男女、全人口の七パーセントが全身義体化を余儀なくされた。そして多くの白い人工血液が中東の戦地に流れた。

 大量投入された全身義体兵の活躍もあり、計画的戦争は一年で終結した。勝者は徴兵制を利用し特需に沸いた中国と、そのおこぼれを頂戴した日本を含むアジア圏のみだった。

 二〇四五年、現在。戦争終結から九年後。日本には第三次世界大戦から帰還した多くの元義体兵が生活している。しかしその多くの義体所有者は、人間離れした力を理由に非所有者から心ない差別を受けていた。一方で戦争のための技術だった義体は医療に用いられるようになり、多くの身体障碍者を救った。アンバランスな幸福を与え、気まぐれに不幸をもたらす新技術・義体は、今も刻一刻と人間社会に大きな変革をもたらそうとしている。

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