尻沢無残4

 「俺の他にもう一人、少女が一緒にいたはずだが?」

 勢三郎は身を起こした。


 「いいえ、貴方以外、あそこには誰もいませんでした。おそらくその娘は元の世の井戸底にいるのでしょう。あなただけが ”時の狭間はざま” の門を抜けてこちら側に来ることができたのです」


 「ずいぶん色々と知っているようだな。俺をここへ呼んだのはお前か? ……お前は、化生の者か?」

 そう尋ねながら勢三郎は自問した。化生の者にしては邪気を感じない。むしろ神聖な気配すら覚えるのである。


 「貴方にはどう見えますか?」

 娘はそうだとも違うとも言わず全裸で立ち上がった。


 臆することもなく真正面からその青白い美しい素肌を勢三郎に晒した。朝日の昇ったばかりでまだ辺りは薄暗い、焚火の明かりがその陰影を艶めかしく照らし出した。

 まだまだ若い体であるが、男であれば情欲に負けて襲い掛からぬ者はいないであろうというほどの美しさだ。

 

 「どう見ても生娘の身体だな」

 勢三郎の感情のない声に、くすっと娘は笑い、足元にあった着物を手に取った。


 「合格です。やはり色じかけには応じない男ですね。これで貴方が欲望に染まって襲い掛かっていたら、容赦はしなかったのですけれども」

 娘は着物に袖を通しながら言った。


 「そなたのような神々しい精気を内に秘めた女にうかつに手を出すほど愚かではない。そなたは何者なのだ?」

 「貴方こそ、まだ名前も素性も聞いておりませぬ」


 「俺は、名は日暮勢三郎。人に害を成す化生の者を退治する退治屋だ」

 そう言って勢三郎は壁に立てかけられている刀をちらりと見た。刀はすぐ手の届くところに見えるように置いてある。


 「私は貴方の見立てのとおり人間ではありません。けれども、あなたが思うような化け者でもありませんわ。そもそも悪しき者だったら、その毒を抜き、傷を癒したりしません。私のために貴方にはまだ死んで欲しくなかったのです」


 少女は帯を巻いて身なりを整え始めた。勢三郎に名前を聞いておきながら自らはまだ名乗る気がないようだ。


 「お前のために? どういう意味だ?」


 「貴方は時の狭間を抜けてこの世界に来た。今度は私を貴方のいた世界に……、貴女はここから私を連れ出すことができるはずです。このように逞しく雄々しき力に溢れている貴方ならば」

 少女は、勢三郎にまたがるとバッと布団を剥いだ。

 そこには勢三郎の若々しい肉体が燃えるように熱くたぎっている。


 「ほら、やはり男として素晴らしいではありませぬか。逞しく生命力に満ち溢れておりますわ。村人が山神にささげた彫り物のアレよりも猛々しく雄々しい」

 勢三郎を撫で、満足そうに少女は言った。

 その唇があまりにも艶めかしい。


 「男の体がそんなに珍しいか?」


 「まさか。ただの男だったらこれほど執着はいたしません。貴方のその特別な血、貴方が嫌悪するその血こそが貴方自身に尋常ならざる力をもたらしている……。わかっているのでしょう?」

 少女は勢三郎に顔を近づけた。その指は相変らず勢三郎を翻弄するように蠢いている。


 「これ、いい加減にせぬか。イタズラが過ぎるというものだ」


 「嫌ですわ、どこまで耐えられるか確かめただけです。こんな所でその血が覚醒しても困りますからね」

 「ならばもういいだろう」


 「そうですわね。さて貴方の着物はそこです。早々に着替えると良いでしょう」

 少女は少し微笑して勢三郎からすっと離れた。


 「お前はここから連れ出して欲しいのだな? しかし、俺にも元の世への帰り方など分からぬのだぞ」

 勢三郎は表情を変えず身なりを整え始めた。


 「それは私にお任せいただきたいですわ」

 「どういう意味であろうか?」


 「私を抱いた者には幸運が訪れるのです。二人が望めばその望みは叶うと言います。つまり、私と貴方が同じく元の世に帰りたいと望めば、私を繋ぎとめている悪縁を断ち切り、共に貴方の元の世に戻ることができるでしょう」


 「その代償はなんだ? まだ何かを隠しているのであろう?」


 娘からは神聖な気配がするが、この少女が神の眷属であったとしても簡単に話を信じることはできない。退治屋として化け物を相手にしてきた勢三郎には用心深さが身についている。


 「やはり貴方には隠しておけないようですね。そのとおりです代償がございます」


 「何だ? 申してみよ」

 「こたび、私が能力を使うにあたって、貴方も私自身も代償を払う必要があります。つまり、元の世に戻ったとして、貴方は将来、私とかならず契らなければならないのです」


 「妻にしろということか、なるほどそれはかなりの代償だ」

 「正妻である必要はございません。お側に置いていただければよろしいのです。それに既に私と素肌を合わせたではありませぬか?」


 「なるほど、傷の手当をして俺と素肌を合わせて凍死から助けたのは、そなたの幸運を私の身に呼び寄せるため、すべては計算づくということか」


 「ふふふ……、将来、夫となるべき男と決めたのです。見る目があると言ってほしいものです」

 そう言うと少女は無邪気な笑みを浮かべた。

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