尻沢無残3
びゅうびゅうと激しい風の音が聞こえ、バタバタと衣の裾が音を立てているようだ。
身体は冷たく動かない。
手足は雪に埋もれ、このままであれば凍死であろう。
唇に触れる雪はなぜか赤い。
それが鬼姫に噛まれた傷口から出血した自分の血だ、と気づいたが指先すら動かせない。
このまま死ぬのであろうか。
吹雪に吐き息が流されていく。
井戸に落ちた記憶が蘇るがここは井戸底ではない。記憶が混乱している。いつの間に外に出たのであろうか。
やがて深々と降り出した雪の中、すぶっすぶっと新雪を踏みしめる足音と共に何者かの気配が近づいてきた。鬼姫がトドメを刺しに来たのだとすればもはや抵抗する力はない。
ここで終わるのか……。
勢三郎が目を閉じようとした時だ。
「もし、大丈夫ですか?」
少女の声がした。
わずかに開いた瞳に、舞い降りる雪とともに勢三郎の顔を覗き込んでいる少女の顔が映った。
「そなたは……」
それは鬼姫ではない。
誰か? とつぶやきかけ、勢三郎の意識はすぐに遠のいた。なにより出血と鬼姫の毒がその身体を弱めていたのである。
ーーーーーーーーーー
ちりちりと音を立てゆっくりと炎が揺れている。
ほの暗い焚火の明かりがデコボコした岩の天井に無数の影を蠢かしていた。
薄い布団の中、勢三郎の上に重なるように美しい少女が寝そべっていた。その生暖かい柔肌の温もりに包まれていくのを感じたが勢三郎の体はぴくりとも動かない。
二人は裸であった。
少女は勢三郎の厚い胸に顔を埋め、その白い太ももを絡ませながら撫でまわした。柔らかく気持ち良いその素肌が勢三郎を優しく包み、その耳元に熱く甘い息が吹きかかり始めた。
朝の光が簡素な板戸から漏れ、岩窟に光が差し込んでくると、勢三郎はようやく目を開いた。その胸に抱かれていた少女が顔を上げて微笑んだ。
「良かった。やっと目が覚めましたね。貴方は丸二日も寝ていたのですよ」
少女はそう言いながら身を起こした。その白い胸でたわわに膨らむ美しい双丘が揺れた。
どうやら少女と勢三郎は一つ布団の中、裸で抱き合っていたらしい。おそらくそれが勢三郎の命をつなぎとめる手段であったのだろうとすぐに思い至るが、それだけでもないのであろうか。真っ裸の勢三郎の下半身に足を絡めたまま、少女は男の余韻に浸るかのように勢三郎の下腹に指を這わせ続けた。
「何があった? 俺は井戸に落ちたはずだ。ここはどこなのだ? 魔物はどうした?」
天上がやけに低く見えたが、どうやら自然の洞窟を家として利用しているようである。
「ここですか? ここは春の谷と呼ばれる外界とは隔絶された異郷の地。貴方は
少女は愛おしそうに勢三郎の厚い胸に頬を埋め微笑んだ。
何者か分からないが、これは一緒に深い井戸に落ちた少女ではない。岩壁に下げられた少女の着物もだいぶ古い意匠に見え、たき火にかけられた土鍋も見たことのない形をしている。
しかし、少女が邪悪な存在ではないことだけはわかる。
「今は何年の何月なのだ?」
勢三郎は予感を感じながら聞いた。
「今ですか? 年が変わって天正十二年、その一月ですよ?」
やはりそうか、と勢三郎は自分の感覚が正しいことを知った。 天正十二年は100年以上も前である。かつて同じ退治屋仲間から異界へ招かれた話や過去に行った話を聞いたことがある。
おそらくはあの古井戸を過去への扉としてこの少女あるいは何者かがここへ勢三郎を呼んだのであろう。
「俺と結ばれると申したが、お前は何者だ?」
「さあ? 何者に見えまするか?」
少女は可憐に微笑んだ。その笑みに邪悪さは感じられない。
まだ初々しさの残る美少女だが髪型からすると既に成人の歳を迎えているらしい。どことなく穂乃に似た雰囲気があり、数年後には間違いなく目の醒めるような美女になるだろう。
しかし、こんな山深い地に人の気配などあろうはずもない。春の谷という異郷の地だという言葉にも嘘は感じられなかった。ならばこの娘もまた化生の類であることは間違いがないだろう。
だが、本当にここが一体どこなのかわからない。全てが幻覚とも思えない。岩窟に触れる感覚は本物だ。
「む?」
鬼姫に噛まれた首に手を触れ、勢三郎は驚いた。
傷がないのである。
この娘は、血まみれで倒れていたと言ったではないか、であれば相応の傷が残っているはずである。その傷がまったくないということは何を意味するのか。
「お前、やはり人間ではないのだな?」
「あら? 貴方がそれをおっしゃいます? 普通の人間がこの ”時の狭間”である春の谷に来ることはありませんわ。もう気づいているはずです」
少女は面白そうに笑って身を起こしたが、その美しい裸を隠そうともしない。
まだまだその身は未成熟と言えるものだが、その二つの豊かなふくらみを照れることもなく勢三郎に晒したまま、少女は髪留めを口にくわえて乱れた髪を直した。
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