第7夜

尻沢無残1

 昔集落があったという尻沢の里は一面の雪で覆われていた。

 所々に廃屋とも呼べぬ柱の残骸らしきものが死んだ獣の肋骨のように雪の中から突き出し、屋敷林の黒々とした影が白い景色の中に浮いて見える。


 「あれが村の跡でしょうか?」

 穂乃が不安気に勢三郎を見上げた。


 「あそこじゃ、あそこがかつての尻沢の里じゃな」

 勢三郎は無意識に刀の柄をつかんだようだ。


 寒々しさを感じるのは風が冷たいせいだけではないのだろう。ここは人が死に絶えた地だ。山々に囲まれわずかに開けた沢合のうら寂しい場所なのである。


 「大した敵はいませんでしたな武田殿」

 「うむ、正直を申せば拍子抜けだ。だが、あそこならば良き敵がいそうだ」

 武田は唇の端を吊り上げ笑みを浮かべた。

 勢三郎らと一緒にいるのは、綿部が遣わした武田一丸とその配下の10名である。いずれも腕に覚えのある者どもだ。


 彼らは深雪を踏み越え、ようやく到着した粉雪舞う谷合いを見下ろしていた。


 「あそこを見ろ、勢三郎。沢の奥まった所の段々の上に大きな屋敷があったようだぞ」

 造六が指さした先に屋敷林に囲われた屋敷跡が見えた。沢の谷口になっている場所である。


 沢はさらにその先で両側が厳しい崖の峡谷となって山向こうまで続いており、遠くの谷から三すじの煙が細々と上がってたなびいている。この集落自体は放棄され立ち入る者もいないが、付近の山間部には所々に炭焼き小屋があるらしい。


 勢三郎は、尻沢集落の北から南に連なる山々をぐるりと見渡した。南には盆地の縁に位置する一際目立つ山がある。その一つの峰にかつての領主の城跡があるという。


 「日暮よ、鬼姫という化け物はどこに潜んでいると考えておる?」

 隣で腕組みして武田が言った。

 その太い剛腕が操るのは腰に下げた極太の刀である。本来馬斬り刀と呼ばれる物を強引に刀として使っているらしい。


 武田が引き連れている男たちの中で一人異彩を放っているのは山伏らしき男である。その男は鬼姫を祀っていた祠がどうなっているのか確認するよう命じられているのであろうか。

 山伏の隣には小さな神輿を思わせる木箱を乗せた背負子を背負った男の姿もある。壊れた祠の代わりにあれを使って鬼姫を祀って鎮めよ、というのが肝煎がこの山伏に与えて命令なのであろう。いずれにしてもそう易々と鎮まり給う御霊とは思えない。それにこの匂いは……。


 「勢三郎様?」

 穂乃は眉をひそめた勢三郎の袖を引いた。


 「う、うむ。この谷には妖しい気配が無数に漂っている。いつどこに姿を現してもおかしくはないが、あの屋敷跡か或いは城跡か、いずれにしてもこれは鬼姫一人の妖気ではない」

 勢三郎は珍しくはっとしたような顔をして答えた。

 

 「里を襲撃した鬼姫の眷属のような奴らもあそこにはまだまだいると言うことだな?」

 武田は瞳を輝かせた。

 この男にとっては強敵と戦うのが生きがいらしい。ここまで来る途中で斬った腐り犬の群れ程度では満足していないのだ。


 あの晩の襲撃で村人に多数の死傷者が出てしまった。

 肝煎の綿部は村の守りを固める一方で、本気で鬼姫を討伐しようと決意したらしい。お抱えの浪人者の他に腕の立つ者を近隣の村中から招集して討伐隊を編成した。しかも彼らの武具には全て鎮守の神職が邪気払いの術を施し、護りの護符を腰に下げている。敵が人にあらざるものだということを理解しているのだ。


 「まずは道沿いに集落跡を一軒一軒調べようぞ。行くぞ、皆の者! ぬかるなよ!」

 武田は手勢と共に峠を下り始めた。


 「我らも行くか、勢三郎」

 造六が無精髭を撫でた。

 「うむ」

 勢三郎たちは武田らの後について峠を下り始めた。


 沢に降りるにしたがって冷気が増していく。

 傍らを歩く穂乃の息も白い。

 この冷たさは雪のせいだけではないな。ぶるっと震え、造六は前を行く勢三郎が常に刀に手を置いているのに気づいた。


 おそらく敵は既に我らを見ているのであろう。

 これは鋭い刃のような敵意や憎しみの気配だ。常人ならば足が止まって動けなくなるほどの圧を感じる。

 こんな所に女人が立ち入るのは無理なのではないかと思え、造六は穂乃をちらりと見るが、さくさくと雪を踏みしめて歩く穂乃の足どりは変わらない。


 それは前を行く勢三郎という男の背中を常に見ているからであろうか。彼を見る澄んだ瞳の奥には強い絆とともに熱い想いの灯火が赤々と灯っているかのようだ。


 「ふうっ、冷えて来たな」

 そう言って造六は両手に息を吹きかけた。

 「大丈夫でございますか、造六さま?」

 穂乃は造六よりも薄着なのだが少しも寒そうな気配がない。勢三郎に聞いたところでは穂乃は雪の精をその身に秘める者だという話だったが、その様子を見ると、その美貌と共に彼女が人を超えた存在だというのが真実味を帯びて感じられる。


 「無論だ。この程度で音を上げるような修業はしておらんぞ」

 かかかか……! と造六は笑った。

 空元気でも笑えば力が湧いて体が温かくなるものだ。それにさっきから誰も話をしない。黙々と無言で歩く一団になっておる。これではそれこそ陰気臭い。敵の雰囲気に既に飲まれてしまっていると言っているようなものではないか。


 「生臭坊主! うるせぇ!」

 先頭の武田が声を荒げて振り返ったのを見て、一行にわずかに笑いが起きた。造六の意図を察したのか、勢三郎もくすりと笑った。




 ーーーー集落に入ってすぐ異常な気配が辺りに満ちていることに武田とその配下の者たちは気づいた。


 ガリガリガリガリ……骨を齧る嫌な音が廃屋のあちこちから響いていた。


 「こいつは!」

 武田とその手勢は武器を手にして息を飲んだ。


 廃屋の影にそいつらは集まっていた。

 白い雪に真っ赤な血溜まりがあちこちにできている。食われているのは、炭焼き窯の男たちだろうか。


 集まった鼠の中心にいた人ならざる化生の者が湯気の立ち昇る内臓を口に咥えて振り返った。その余りにも凄惨な光景はさすがの荒くれ男たちも肝を冷やすのに十分であった。


 「ば、化け物だ! 全て倒すのだ!」

 武田が大刀を振りかざして叫んだ。


 「武田様、廃屋の中にはまだ生存者がいるようですぞ」

 「佐一、お前は2人率いてそいつらを助け出せ! 日暮とやら、お前達は鬼姫を探し出すのだ! 見つけたら必ず俺を呼べよ!」


 「指図されなくても、こっちはその鬼姫に用があるのだ!」

 造六が鉄杵を両手で持って答えた。

 「武田殿、ここは任せる。造六、穂乃殿、あそこだ。奥の大屋敷に向かうぞ。あれがここに集まると不利であろう」

 勢三郎はキッと上流にある大屋敷をにらむと、雪を踏みしめ歩き出していた。

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