鬼夜3
ピィー! ピィー! とあちこちで警笛が吹き鳴らされ、槍を手にした者たちが路地を右に左に駆けていく。同時多発なのであろう。行き交う役人どもの顔には余裕がない。
勢三郎も鞘を握り、柄に右手を添えたまま、長屋の裏を抜け、通りに飛び出した。
「佐吉! どうした! 正気に戻れ!」
「梅蔵! お前まで!」
刀を手にした役人が三人、正体を失った村人たちに襲われている。周囲の雪には赤い血が散り、一人は地面にうずくまり、二人は肩を斬られている。
鎌の刃のような爪で切り裂き、鋭く尖った犬歯をむき出しにして噛みつこうとしてくるのをかろうじて防いでいる状況である。
同じ村人同士、見知った相手だけに斬るのをためらっているようだが、既に相手は死人である。
「加勢いたす!」
勢三郎は二人の間に飛び込み、死人の腹を蹴り飛ばすとためらうことなくその首を刎ねた。
緑のどろりとした体液を撒き散らしながら二つの首が夜風に舞い、三匹めの死人は斬られた片腕を押さえて逃げ出した。
「この者たちは既に死人! ためらうな! 倒さねば被害が増えるのみぞ! 奴を追え!」
勢三郎は手が震えている肝煎の手下の役人たちを一喝した。
「お、おう!」
勢三郎の言葉に、役人の二人はようやく我に返って死人を追って駆け出した。そこに、綿部と吉備次郎左衛門兵衛の二人が駆け付けてきた。
「これは何事だ!」
「これは肝煎殿、このあたりの家の者が化け物になったのでございます。この者に危ないところを救われました」
腹を押さえてへたり込んでいた役人姿の男が綿部の問いに答えた。腹を死人に強打されたのか、周囲には嘔吐物が異臭を放っている。
「私の部下の命を……礼をいうぞ」
綿部は血を払って刀を鞘に戻す勢三郎を見た。
「俺がここで成すべきことをしたまでのこと」
勢三郎は息一つ乱れていない。
「さすが噂通りだな。さても吉備次郎左衛門兵衛、やはりお主の勘はあたっていたようじゃ。これ以上、我らの村を化け物に好き勝手させるでない! 始末してこい!」
「心得申した」
吉備次郎左衛門兵衛は軽く頭を下げると、ちらりと勢三郎を見て、槍を手に勢いよく駆け出した。
「ーーーーさて、退治屋、今回のこの件、お主はどう見ておるのじゃ?」
その場に残った綿部の目は鋭い。
この男、元から何か知っている風である。
「棚端山の鬼姫が目覚めた。ーーーー肝煎殿には既に心当たりがあるのではないのか?」
勢三郎は目を細めた。
その仄かに金色に光る青白い瞳が綿部を射すくめた。昼間見た時とは気配がまるで違う。一体、俺は何に対峙しているのか、と綿部ですら背筋が凍る。
だが、肝煎役の重さは伊達ではない。綿部はすぐにその畏怖を押し戻した。
「やはりそうであったか。昨年、藩の役人共が禁忌の御山に入ったのだ。新たな銀山の開発が目的との達しで、無下に断ることができなかったのだが、あ奴らめ、仕出かしてくれたらしいな。その尻ぬぐいがこれとは、まったくもって割に合わぬわ! 昔、鬼姫を鎮め祀った時は数百人が死んだというのだぞ」
綿部は腰の刀に手を置いて語気を荒げた。
「やはり、知っていたのだな」
「鬼姫は祟りを成す神として代々言い伝えられてきたのだ。あ奴が復活したとすれば、どうすれば村を守れるであろう?」
「鬼姫は、普通の武器では倒せぬ。だが、鬼姫の手下ならば普通の武器でもこのように倒せる。綿部殿は村を守れ、鬼姫は私達が何とかしよう、あれは捨て置けぬ存在だからな」
勢三郎の言葉に綿部の眉がぴくりと動いた。
「他に何かすべきことはあるか?」
「鬼姫は社が壊されたと言っていた。封じるには社を直すことも考えねばなるまい」
「ほう、そんな事を言っておったか。社とはな……」
綿部は篝火の炎を見ながら何か思案している。
「わ、綿部様! 北門でも、小競り合いが起きております! ご指示を!」
辻に姿を見せた男が息も絶え絶えに叫んだ。
「退治屋、何としても鬼姫を静めるのだ。これは肝煎としての正式な命令だ。必要な物は何でも使って良いぞ」
綿部は力のある目をして、勢三郎の肩を叩いた。
災いが現実に降りかかってきた以上、勢三郎たちに好き勝手にやらせるわけにはいかなくなったという事だろう。勢三郎たちの行動を肝煎として認め、その手綱は握っておくという意味だ。
「力は尽くす」
勢三郎は静かに答えた。
「しくじるでないぞ」
そう言って走り去る綿部を勢三郎は無言で見送った。
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