鬼夜2

 暗い部屋の天井からミシリミシリと屋根がきしむ音がする。

 雪がさらに積もったのであろう。

 家主の弥彦は震えなから薄い布団に潜り込んで、早朝、雪を降ろさねばなるまいと薄目を開けた。


 外がやけに騒がしいのは、肝煎様達が熊を見つけたのであろうか。


 耳をすまし、寝返りをうった弥彦は何か違和感を覚えた。

 何気なく目に入った障子戸、その雪明かりに影が浮かんでいた。

 「!」

 コトっと障子戸が音を立て、弥彦の目が恐怖に見開かれた。



 ーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 「やはり現れたか、鬼姫」

 今宵、新雪が積もったばかりの屋根の上に勢三郎の姿があった。


 「ほう、お主は今日山に来た者じゃな? ここに私がいることに気づくとは、どうやらお前も普通の人間ではなさそうだ」

 美しい少女の姿をした鬼は口元の血を拭った。


 いつしか雪は降りやんで、青々として月が照り始めている。

 その月明りの下で笑う少女は、血まみれの白い指をぺろりと舐めた。美しい顔立ちに、鮮血にまみれた唇があまりにも凄惨である。


 「どうしてこのような事をする? 元は人と共に生きた山の神ではないのか?」

 勢三郎は刀の柄に手をかけて問う。


 「人と共に?」

 勢三郎の言葉を反芻した途端、少女の顔が豹変した。

 まさに鬼姫、鬼神の顔である。


 「人はかつて我を騙し、裏切った! この罪、我は許さぬのじゃ!」

 「どうしてもか? おとなしく土地の神と成りて過ごすことはできぬか?」

 勢三郎は刀の鞘を掴むと親指を鍔に掛け身を低く構えた。


 「できようはずもなかろう?」

 鬼姫は残忍な笑みを浮かべた。

 

「ならば、神の成れの果てと言えど、捨て置くことなどできぬ!」


 バッ、と新雪が舞い上り、勢三郎が鬼姫に肉迫する。

 その瞳に宿った金色の光が尾を引くように流れる。


 勢三郎の姿が月と重なった。

 見開かれた鬼姫の目。抜きざまに放たれた刃の青白い光が鬼姫を斬ったかに見えた。


 「むっ?」

 だが、勢三郎は手ごたえを感じていない。


 「!」

 着地と同時に振り向きざまに放った勢三郎の一振りが、背中から心臓を鋭利な爪で貫こうとしていた鬼姫を驚かせた。

 「ちっ! 薄汚れた人間め!」

 美眉を寄せ、反射的に鬼姫が身を引いたが、その帯の一部が切り裂かれている。


 勢三郎の剣がさらに鬼姫を追った。

 数度にわたる鋭い剣戟を鬼姫は軽やかにかわす。


 「貴様、その力、やはり。ーーーーお主が人間に味方するは間違いじゃぞ!」

 鬼姫は屋根の端に降り立ち、忌々しそうに叫んだ。


 「全て承知のうえ!」

 勢三郎が刀を中段に構えた。その立ち姿は攻守に隙がない。

 月の光がその刀身に宿るかのように、刃は青く光っている。


 「!」

 一瞬で距離が縮まっていた。刃が冷たい風切り音を発し、鬼姫の首元に迫る。

 勢三郎の瞳に鬼姫の顔が映る。

 微かに笑みを浮かべたその唇が動いた。


 突然、家の木扉が大きな音を立てて外側に倒れた。


 「何っ!」

 異常な気配に引かれ、勢三郎の刃が止まった。

 家の中から数人の人影がよろよろと現れた。両手を突き出し、何かを探し求めているかのようだが、動きが妙である。


 物音に気付いた隣の家の親父が顔を出した。


 「いかん!」

 勢三郎が叫んだ瞬間、隣の親父が襲われるのが見えた。

 騒動に気づいた肝煎の手下たちが松明の明かりを揺らして、通りを駆けてくる。


 「鬼姫!」

 ハッと振り返ると、既に鬼姫の姿はなく、雪の上に赤い血の跡が点々と残るのみである。


 「ーーーー逃がしたか、ここで奴を仕留められなかったのは悔しいが、致しかたなし!」

 勢三郎は屋根から飛び降りるや、肝煎の手下の男に噛みつこうとしていた死人の首を刎ねた。

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