鬼姫渓谷4

 「勢三郎様、あれは何です? あの動き人間とは思えませぬ」

 穂乃も気丈に木杖を構えて勢三郎の後ろに立っている。あの顔を見て気絶しないだけでも大したものであろう。


 「こいつはもはや化生の者だ。血を吸われ、毒で身体が操られているようだ」

 勢三郎は片手で刀を構えて立つ。


 「驚かせおって、化け物と分かれば容赦しねえぞ」

 造六が鉄杵を構えた。


 権助であった者は、骸骨の顔で牙を剥いて威嚇している。

 その犬歯の長さは人のものではない。おそらく毒が人間の身体を変えているのだろう。もはやその気配は鬼と言ってもいい。


 「死鬼と化したか」

 勢三郎が静かに刀を向ける。


 ぐがっ! と口を開き死鬼が襲ってきた。


 山の斜面を手足を使って駆け下りてきた死鬼の動きが、斜面に堆積していた雪を崩した。雪崩とまではいかぬが、真白い雪が舞い上がって視界を奪う。


 「この野郎!」

 造六が鉄杵を振り回すが、死鬼はひらりとその一撃をかわした。


 穂乃めがけて飛びかかるところを勢三郎が止めた。

 刀は死鬼の右肩を斬っていた。


 緑色の体液が飛び散って、周囲の雪原に点々と跡を残す。

 抜かれたと思い、勢三郎は背後の穂乃を見た。

 だが、死鬼の狙いは穂乃ではなかった。

 転がっていた自らの左手を咥え、死鬼は谷の斜面を駆け上がった。


 「!」

 目で追った三人は息を飲んだ。


 山の頂きに聳えた古杉の大木の梢の下に少女が立っていた。片手に長い錫杖を持ち、古めかしい衣装をまとっている。

 この世の存在でないことは一目でわかる。その美しい顔には邪悪な笑みが浮かんでいる。

 その笑みを見ただけで背中に氷を入れられたような感覚に襲われる。


 死鬼はその少女の足元に平伏した。

 主従関係であることは明らかだ。


 「おお、可哀想にいったい誰じゃ? この者の腕を切り落としたのは?」

 少女は三人を見下ろしている。


 「おい、勢三郎、あれは何だ? あんなのがいるなんて聞いていないぞ」

 造六ですら震えがくるような気配である。


 「あれはもはや神に近い、であれば邪悪な神であろう」

 勢三郎の目が鋭い。初めて見るような真剣な顔つきをしている。退治屋として経験豊かな勢三郎を持ってしてもこいつは強敵なのだろう。


 穂乃は、と見ると、意外にも臆していない。女は女には強いのかもしれぬ。造六は妙に納得して同時に震えが止まった。


 「お前たちは、我が祠を打ち壊しただけではなく、我が眷属をも痛めつけるのじゃな? その報いは受けねばならぬ。お前たちの長に伝えるのじゃ、村が死に絶えるまで毎晩死人がでるじゃろううとな」


 「そうはさせぬ!」

 勢三郎が走り出そうとするが、少女は片手を差し出し、舞うようにくるりと背を向けた。


 ボボボッ!と突然三人の周囲の雪に穴が開いた。

 それと同時に、とっさに穂乃を庇った勢三郎が弾け飛んでいた。両腕で頭を守った造六も、ぐぬっと呻いて膝を落とした。


 「旦那様!」

 勢三郎を吹き飛ばしたのは拳大の石である。


 少女は持っていた石礫を軽く投げ放っただけに見えたのだが、穂乃を庇った勢三郎が石礫を避けたと見えた瞬間、石が急に向きを変えて勢三郎に直撃したのである。


 三人の様子を振り返り見て、くすっと笑った少女が死鬼を引きつれて山の影に消えた。


 勢三郎は頭に石を受けたらしく、頭から血を流している。


 「造六殿、勢三郎様が怪我を!」

 穂乃は帯に下げていた手ぬぐいを外し、すぐさま勢三郎の頭に巻いた。


 造六は腹に石をくらったらしく、片手で腹を押さえながらようやく立ち上がったところだ。


 「あやつ、夜に村を襲う気だ。急ぎ村に戻って肝煎に知らせねば村人が危ない」

 勢三郎は額の傷を押さえた。


 「ちっ、なんて奴だ。あの迫力、並みの化生の者じゃねえ」

 造六が忌々しそうに言った。


 「ええ、只者ではございませぬ、それに、我が祠を壊したとか、気になることを申しておりました」

 穂乃が勢三郎に肩を貸しながら立ち上がった。

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