里の雪夜3

 「わ、綿部殿! 菊座が、菊座の奴が目を覚ましましたぜ!」


 手ぬぐいを被った小柄な男がいかにも精一杯走ってきましたという表情で宿の玄関に現れた。


 「おう、そうか、それで菊座は何か申したか?」

 綿部は振り返った。

 「へえ、消息を絶った権助ですぁ! 血塗れの恐ろしい姿をした権助爺さんに襲われて気絶したらしいです」

 かなり急いで来たのだろう。はぁはぁと肩で息をして、男はようやくそれだけ言葉に出した。


 「落ち着け。おい、水だ」

 綿部の声で、後ろの男が腰の竹筒を無造作に外してほいと投げた。


 小男はその竹筒を受け取ると、胸元まで水で零れるのも構わず喉を鳴らし、一気に飲み干した。

 「……助かりやした」


 「さて、続きを申せ」

 「へ、へぇ。火の用心で回っていた菊座が、真夜中に街はずれの道を歩く権助爺さんを見つけ、声をかけたそうです。ですが、その顔は骨が出るほど無残に切り刻まれており、菊座は驚きのあまり小便を漏らして気絶したということでした」


 「その爺いとやら、殺された婆さんの夫だったな?」

 綿部の言葉に後ろの三人が無言でうなずいた。


 「なるほど、その爺さんも何者かに顔を切られ、正体を無くしてふらついていたのか? それでその爺さんはどこへ行ったのだ? 行方はつかんだのであろうな」


 「へぇ、菊座は、爺の手が血まみれだったと言っておりやして、婆を殺した後、自分の顔も切り裂いたんじゃねえかと申しております。その爺の足取りですが、どうも山に入ったようで、山道の途中で足跡が雪で消えておりました」


 「何とも奇怪な話だな。婆さんを殺して自ら死を選んだ、心中ざた、ということであろうか」

 綿部はそう言いながら、勢三郎達が話を聞いているのを確認するかのように横目で見た。


 「いやいや、奇怪なことだ、だが、爺が山に入って生きているとも思えんし、わざわざ山狩りするまでもなかろう。第一、奇怪な物事に人が首を突っ込むものじゃない。後始末は神仏にでも祈ろうではないか。さて、蔵之介、一丸ひとつまる、作次参るぞ。婆さんの弔いの準備、それに藩への報告を書かねばなるまい。」


 綿部がそう言うと、さっそく肝煎一行は、宿屋の亭主や勢三郎には一瞥いちべつもくれず、肩で風を切って去って行った。


 「なんだありゃあ?」

 造六は肩透かしを食ったような顔をしている。


 その片わらでは宿屋の亭主が気が抜けたのか扉に背を持たれてしゃがみこんでいた。肝煎に目をつけられては宿屋など簡単に取り潰されるのだ。何かあっては不味いとかなり気を張っていたらしい。


 「あれは狸だな、さすが、肝煎だけのことはある」

 勢三郎は遠ざかる綿部の背を見送った。


 「どういう事だ?」


 「俺たちは首を突っ込まないから、怪異はお前達で何とかしろと暗に言っていたのだ」


 「はぁ?」

 「あの綿部と言う男、私が退治屋と知ったうえで言外に依頼しにきたのだ。わざわざ事件の詳細まで聞かせてな」

 勢三郎はそう言って宿屋の暖簾のれんをくぐった。


 「はぁ? どうして退治屋だとわかった?」

 「昨日、八助を助けただろう? 狭い村だ、その噂話が肝煎の耳に入ったのだろう、隣村で我らが怪異を退治したことも大方知っていたのであろうよ」


 「なんと、耳の速い奴よな」

 造六は目を細め、街角を曲がっていく綿部達を見た。

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