第4夜

里の雪夜1

 深夜、寝静まった村の裏道を足を引きずるように歩く老人の姿がある。左右に体を揺らしながら向かう先には深々と木々が覆う山があるだけだ。


 「火のーー用心!」

 拍子木ひょうしぎを打ち鳴らしながら、見回り当番の男がその背中に気づいた。


 「おや、権助爺ごんすけじいさんじゃねえか、こんな夜中にどうしたんだ?」

 見回りの男の声にも老人は足を止めない。

 だが、権助爺さんの耳が遠いことくらい村の者ならば皆が知っていることである。


 「おい、爺さん、そっちは山だぞ。何を寝ぼけているんだ?」

 男はその肩を叩いた。

 権助爺さんは振り返りもしない、返事もない。触れた肩はやけに冷え切っている。


 男はふと異変に気付いた。

 爺さんの両手の指先から赤い雫がぽたりぽたりと垂れている。まるで血じゃねえか、と少し怖くなった男は権助の肩を掴んだ。


 「おいおい、本当にどうしたんだ? 婆さんはどうした?」

 ぐいっと肩を引いて、権助の顔を覗き込んだ男は息を飲んだ。余りの事に悲鳴すら上げられない。


 「……」

 血まみれの歯を剝き出しにして笑う権助の顔がぬうっと振り返った。


 「ぎゃ、あぅえぐあっ!」

 男は意味不明の言葉を発すると、ぶくぶくと口から泡を噴き、白目を剥いた。その足元にじょわじょわと熱い湯気が立った。


 顔がなかった。

 いや、正確には既に人の顔とは呼べなかったのである。自ら掻きむしったのか、骨が露わになった血塗れの顔であった。


 小便を漏らして地面に崩れ落ちていく男を気にする風もなく、権助は再び山に向かって歩き始めていた。




ーーーーーーーーーー

 

 村は朝から喧騒けんそうに満ちていた。


 「何やら外が騒々しい。朝っぱらから喧嘩でもあったのか」

 造六が3杯めとなる飯をわんに盛りながら少し開けた戸口を見た。


 壺庭の石灯篭には今朝方降ったわずかばかりの真新しい雪が積もっている。


 勢三郎は既に食事を終えて椀を箱に戻している。穂乃がその傍らでお茶を淹れていた。勢三郎が落ち着いているので、危急のことはないのであろうと造六は考えていたが、勢三郎の言葉は意外なものであつた。


 「異形の者に人が殺されたのであろう」


 茶碗を勢三郎に手渡した穂乃の手が止まった。

 造六も、飯をかき込んでいた箸が止まった。


 「おい! それはただ事ならぬではないか? そんなに落ち着いていて良いのか? げ、げほっ! げほっ!」

 飯粒を口から勢いよく飛ばし、造六がむせた。


 だが、勢三郎は静かに茶の湯を飲んでいる。


 造六と穂乃はそれ以上何も言わぬ勢三郎を見た。

 勢三郎の言葉を待つ二人の真剣な顔の前、やがて勢三郎は深い息を吐いた。


 「昨夜、誰かが殺された。私が気づいて目覚めた時には既に終わっていたようだ。何が起きたか気にはなったが、真夜中に余所者の我らがうろつくのはいかにも怪しいであろう。だから今は向こうから伝えに来るのを待っているのだ」


 勢三郎の言葉が終わったか終わらないうち、宿の廊下をドタドタと世話し気に走ってくる音が聞こえてきた。

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