織姫川百夜3

 「林の中はどうであった?」

 造六が戻ってきた勢三郎に気づいた。


 穂乃は雪の上に座り込んだ少年の介抱をしていた。少年は驚きのあまりまだ声も出せないで震えている。


 「林の中は薪拾いでよく人が入るのであろう。雪が踏み固められていたおかげで追いついた」

 そう言いながら勢三郎が穂乃の隣にしゃがんだ。


 「傷はどうだ?」

 「ええ、驚いて転んだだけです。大したことはありません。それで今のあれは何でございましたの?」

 穂乃は擦りむいた少年の膝に丁寧に布を巻いている。


 「あれは成仏できぬ霊魂がさまよった幽魂ゆうこんというもの。化生になるほどの力もなく、人を驚かせる程度のものだが、余りに多く一所に集まれば人に害を成すものに変わる時がある」


 「ほれ、夏であれば火の玉とか人魂とか申すではないか、あれに似たようなものだ」

 造六が勢三郎の説明に付け加えた。


 「造六、この先に林の中に首のもげた石地蔵が何体もあった。あの荒れた墓地が原因であろう。弔ってやれぬか?」

 林は、しょっちゅう人が薪拾いに入っているにしては陰気くさい気配が漂ってる。それが勢三郎の言う荒れ果てた古い墓地のせいなのだろうと造六はすぐに納得した。


 「うむ。これでも荒法師でもあった身、念仏の一つでも唱えてやろう。二人はこいつを先に村へ送っていくと良い」

 そう言って造六は立ち上がった。


 「さて、坊主、立てるか?」

 造六の姿が林の奥に消えた。それを見送った勢三郎はようやく震えの収まった少年の腕を掴んだ。


 「坊主じゃありません。これでも14歳です」

 その少年が答えた。目に生気が戻り、受け答えもしっかりしてきたのでもう大丈夫だろう。


 「そうか」

 勢三郎は微かに笑った。

 幽魂は集団で少年の若々しい精気を吸い取っていた。中々声が出なかったのはそのせいだろう。数が少なくともたちの悪い幽魂が混じっていると場合によっては精気を吸い取ったうえで憑りついてしまうことすらある。勢三郎は少年の首に触手のようなものを伸ばしていた邪悪な幽魂を真っ先に斬ったのである。


 「こらこら、まずはお礼をいうのが先ですよ」

 穂乃に柔らかにさとされ、少年は二人に礼を述べた。


 幽魂に襲われていた少年の名は、八助やすけと言う。小柄なせいか14歳には見えない。野良鍛冶屋の見習いで、毎週薪拾いにあちこちの村持ち林に出入りしているが、この場所に一人で来たのは始めてだったらしい。


 山麓に見える村の外れに鍛冶屋があり、近隣の村々で使われる農工具の鍛冶を一手に引き受けているらしい。

 八助の師匠は元は名のある刀鍛冶で、腕の良さで知られているのだと自慢気に語った。


ーーーーーーーーー

 

 「八助、手を貸しましょうか?」

 「いえ、お構いなく」

 膝が痛むのか時折足を引きずるので、穂乃が手を差し出すと八助はちらりと穂乃を見上げ、手を振って断った。


 「そうですか?」

 「八助、やせ我慢はするなよ」

 勢三郎は八助が集めた薪の半分を肩にかついでいる。 


 「やせ我慢じゃないですよ。俺なんかの汚い手で奥方様のそんな白い手を握れるわけがないじゃないですか」

 八助は少し頬を赤くした。


 「見てくださいよ、この手! 毎日槌を振うから豆だらけで醜い手です。他の誰もこんな手はしていませんから。……それにしても勢三郎様の剣は凄かった。俺もあんな風になりたいものです」


 八助はその手に劣等感を感じているのであろう。

 それを誤魔化すためか、背中の薪の一本を手に取ると、刀に見立ててぶんぶんと振り回した。


 「あら、さっき八助は、師匠に負けない鍛冶職人になると言っていたのではなくて?」

 穂乃に突っ込まれ、八助はさらに顔を赤くした。


 「いや、鍛冶職人が剣の達人であっても別に良かろう?」

 八助は苦し紛れに言ったが、おお、それは良い考えかもしれぬと自分でも思ってしまう。


 「人を斬る剣よりも、命の糧を生み出す鍬や鎌の方が俺にはずっと好ましい。そんな物を生み出せるお前の手は美しい、俺はそう思うがな」


 思いがけず勢三郎に褒められた八助は、棒を振り回しながら少しの間無言になった。勢三郎のような侍がそんな風に思っているなど考えもしなかったのだ。


 穂乃もまた勢三郎の何気ないその一言が心に深く染み入ったのか、何かを確かめるかのように胸を押さえ微笑んだ。

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