織姫川百夜2

 やがて何か考えていた勢三郎が、おもむろに懐から取り出した布包ぬのづつみを穂乃に差し出した。


 「これを」

 「なんでございます?」


 「これを穂乃殿に持っていて欲しいのだ」

 穂乃がその布包を受け取ると、勢三郎は語り出した。


 「この間の白狒狒しろひひの時のようなこともある。穂乃殿、私と造六は山に入るつもりだが穂乃殿は里で待っていてはくれぬか? そなたの中に残る力を押さえる念を込め、私が手ずから彫った持仏じぶつだ。これを肌身離さず持っておれば、私が側にいなくても力が暴走することはあるまい」


 穂乃がそれを開くと布包の中には小さな観音像が入っていた。粗削りだが柔和にゅうわな御顔はどこか勢三郎を思い起こさせる。


 「それは……。それでは一緒には連れていけぬ、と言うことでございますか?」

 穂乃の反応は予想がついていた。

 その力強い目には一緒に行きたいという我儘わがままよりも、むしろ勢三郎を案じる色が強い。それと同時に、己が慕う者がまたどこかにいなくなる、という不安の色が見える。


 それは依り代よりしろになっていた時に、夫となるべき神を見失った化生が抱き続けていたいやされぬ残念、深い感情の名残なのであろうか。


 「穂乃殿、そなたを危険にさらしたくないのだ。私の気持ちを察してくれぬか」

 勢三郎は立ち止まって穂乃を見つめた。

 「ですが、勢三郎様…………」

 二人は目と目で言葉を交わしている。


 互いに寄り添って見つめあう二人に「うーーむ、しばらく待つしかあるまいな」と造六は頭をいた。





 「うわあああーーーーーーっ! 誰かっ!」


 そんな二人の世界を引き裂いたのは、誰かの突然の悲鳴であった。


 「どうした?」

 造六が悲鳴の上がった方角を見た。


 「だ、誰か、助けて!」

 川岸の暗い林の奥からその声は聞こえた。

 「勢…」

 勢三郎殿と造六が言う前に、その目の前を勢三郎が脱兎だっとのごとく飛び出していた。本能的に体が先に動くところなど、修験者しゅげんしゃであった造六以上に素早い。


 林の中に雪に尻もちをついた少年がいた。

 小枝を背負っているところから見るとたきぎ拾いに来た者であろう。


 勢三郎は刀のつばに指をかけた。

 少年の頭の周りにいくつもの青白い光がゆらゆらと漂っている。


 「頭を低くしろ!」

 勢三郎の声に少年は反射的に屈み込んだ。

 その頭上を勢三郎が身をよじりながら跳躍し、同時にその刃が横なぎに弧を描き、光を断つ。


 「逃がさぬ!」

 白い雪煙をまき上げ、鮮やかに着地した勢三郎が、奥に逃げた光に向かってせる。


 「こっちは任せろ!」

 反対側に飛んだ光の玉に向かって、造六は胸元で印を結んでいた指を立て、何かを放つかのように腕を振るった。

 修験の術なのであろう。造六の指先から飛んだ紙の鳥のようなものが、真っすぐその光を貫いた。


 「!」

 驚いて目を見張る穂乃の前で青い光が四散して消えた。


 一方、林の奥に逃げた光は、樹木の間を右に左に器用によけながらさらに奥へと逃げていく。


 「人魂とはこの時期にしては珍しい!」

 追いかける勢三郎は刀を下段に構え、跳躍と同時に下から上へ、ついに光の玉を真っ二つに切り裂いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る