第3夜

織姫川百夜1

 織姫川おりひめがわという名の川岸をゆっくりと山に向かって歩く三人の姿があった。


 白い雪に覆われた山は奥深く連なって、重なり合った山々が鉛色の雲に覆われている。


 その岸辺には村々をつなぐ心細い道が続く。

 いや、道と呼ぶには語弊ごへいがあろうか。単に人が歩いた幅の分だけ道のようになった無数の足跡が続いている。

 雪は固く踏み絞められているが、ちょっと足がずれると膝まで埋もれることもしばしばである。


 「しかし、織姫川とはまた優雅な名前よのう」

 鉄杵てつぎぬを軽々と肩に担いだ造六が振り返った。


 その後ろを勢三郎と穂乃が静かに歩いている。その様子ははたから見れば夫婦に見えるであろう。


 あまり感情を表さない勢三郎はともかく、穂乃は勢三郎を好ましく思っているようだ。穂乃が勢三郎を見るときの目は見ている方が恥ずかしくなるほど輝いている。あの瞳を見れば誰もがその秘めたる想いに気づくであろう。


 「優雅か……地元の者は織姫川と申すが、元は鬼姫川と言うらしい。その名のとおり、これから向かうあの山には人にあだ成す鬼姫が棲んでいたということだ」

 勢三郎は笠を少し上げ、まだまだ遠い雪山を見つめた。その山の名は棚端たなばた山、山裾には昔銀山で栄えた村があるという。


 二人には話をしていない。だが、あの山並みは勢三郎の血をうずかせる。勢三郎にとっても払いがたい呪いのような由縁ゆえんのある土地なのである。自身の汚れた血、その仇である者の足跡があそこに残っている。


 勢三郎の目はいつになく厳しい。

 その目には既に化生けしょうが立ち上らせている妖しい気配が見えているかのように造六には思えた。


 「鬼姫でございますか? 女の化生なのでしょうか」

 穂乃は襟元えりもとを掴んで勢三郎の方を見た。


 「かもしれぬし、そうでないかもしれぬ。殺した女の着物を着て衆人しゅうじんを惑わす化生もいるからな」

 そのような化生を見たことがあるのか、それともかつて戦ったことがあるのか、勢三郎は唇を固く結んだ。


 「そうでございますか」

 穂乃は遠い空に群れを成して飛ぶ白い鳥を見た。


 一面に広がる真っ白な雪原は、田畑なのであろう。

 川沿いには黒々とした林が残っている。


 それ以外に高い深緑の木々がぽつりぽつりと見えるのは、神社か寺があるのであろうか。屋敷は山裾に集まって集落を成しているらしく、散村地帯のような屋敷林は一切見えない。


 「穂乃殿は不安か? 大丈夫、俺も付いておる。鬼姫など勢三郎殿が本気を出せば、容易たやすく退治できようぞ」

 造六は片手で刀を振う動きを真似て見せた。


 「これ、造六、私はまだ折れた骨も完治しておらぬ、そんな事を申して、また私に無理をさせる気ではなかろうな」

 造六は勢三郎の真面目すぎる反応が面白いらしく、度々勢三郎をからかっている。


 「まあ」

 穂乃はそんな二人を見て、くすっと笑った。

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