凍湖の畔4

 ざざっ、と雪で枝垂れていた枝が陽光を浴びて弾ける。


 山間に日差しが差し込み、あちこちで枝が昨晩積もった雪を弾き飛ばす音が響き始めた。


 勢三郎は無言でザラメになった雪を踏みながら、南へ向かって歩いている。


 雪は人の背丈ほども積もっているのだが、膝あたりまで沈んだところで硬雪かたゆきの層にあたって足は止まる。

 だが、時折、地表に小川などが流れていると雪の下に空洞ができていて、胸まで雪に埋まることも度々である。


 道のない雪原を歩くからには分かっていたことだが、そこに見えている集落にすら中々たどり着けない。

 間違って水路の上の雪を踏み抜いたりすれば命はない。晩秋に付近の者が目印に立てた竹竿を頼りに、道なき雪の野をただ進むのみなのである。



 「ーーーーまだ、付いてくる気なのか?」

 勢三郎は足を止めて振り返った。


 穂乃は勢三郎が貸し与えたはんてんを羽織って、両手でそのえりを掴んだまま、澄んだ瞳で勢三郎を見上げてうなずいた。


 日が差してきたとはいえ、薄着にはんてんだけでは、この寒中では凍えるであろうに、穂乃はさしたる寒さも感じていないようだ。


 数え切れぬ年月をあの化生の依り代として生きてきたのだ。雪の精であった化生の者の冷気が体内に籠っているのであろう。


 「まったく……」

 そう言って勢三郎はその頬に指で触れてみた。とても冷たいがほんのりと温もりが戻っている。


 目を伏せた穂乃の頬が少し桜色に染まったようだった。


 「旦那様は好きなところに行って、人として好きなように暮らせと私におっしゃられましたが、私の身には未だに人ならざる者の力が残っております。それが怖く感じるのです。今しばらく旦那様のおそばに置いてはいただけないでしょうか? もちろん何でもいたします」


 穂乃は美しい。

 町に出れば、その美貌だけで寄ってくる男も多いはずだ。


 「そなたは美しい。私のような貧乏浪人に付いてこなくても、大商人おおあきんどの妻に収まることもできそうなものだがな」


 勢三郎の言葉に穂乃は唇を噛んでぎゅっとはんてんを掴んだ。


 「旦那様、私にこの力が残っている限り普通の人と交わり、共に暮らすことは難しいでしょう。ですが、勢三郎様は私の妖しの力を知ってなおこのようにお優しい。そのような方は勢三郎様しかおらぬでしょう。それに、今まで人を傷つけることしかできなかったこの力を、勢三郎様のお役に立てたいとも思うのでございます」


 「そうか」

 勢三郎は一言だけつぶやいて、それ以上は何も言わずに再び前を歩き始めた。


 その広い背が愛おしい。


 「ありがとうございます」

 穂乃は静かに礼をしてその背に続いた。

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