第2夜

黒森雪景1

 空は曇天、杉木立に積もった雪が不意に山の斜面を吹き上がってきた強い風を受けて細かな粉となって舞い落ちた。


 「穂乃ほの殿、足元に気を付けられよ」

 「はい、旦那様」

 勢三郎と穂乃は雪が固く踏みしめられた石段を上っている。


 もうでる人に踏まれた雪は氷のように磨かれて、ちょっと気を緩めると滑って転倒してしまう。

 坂の途中には砂袋が置かれており、その砂を柄杓ひしゃくで撒いて滑り止めにしているようだ。


 「勢三郎様、このお社には何がいるのでございますか?」

 深くかぶった頭巾の奥から穂乃の美しい目が勢三郎の背を見ている。


 「ここには古着屋が言ったように、化生けしょうの者の気配がする。しかも、この感じはただ者ではない。お前を依り代よりしろにした者にも似たものであろう」

 「退治するのでございますか?」

 わずかに不安の色を見せた瞳に、勢三郎は何も言わず刀の柄をただ掴んだ。


 山頂まで続くであろう石段は静けさに覆われている。石段の谷側を流れる溝に湧き出した水がわずかに水音を立てている程度である。


 深緑色の杉林から満ちてくる木々の匂いが神経を鎮静化するとともに集中力を高める。この山の精を長年浴び続け、この地にとどまり続けている化生の者は、知恵づいて冷徹に襲い掛かる強敵であろう。


 坂の途中に幾多ある古い木造の小社は押しつぶされそうなほどの雪に埋まり、厚く積もった雪が軒に丸く雪庇せっぴを垂している。


 出入りする者もなく、雪を降ろす人手もないのであろう。

 山の斜面には枝から落ちた雪の痕跡と獣の足跡が点々と残るのみである。


 勢三郎と穂乃は白い息を吐きながら滑りやすい石段を慎重に上った。


 「ほう、珍しい。冬に若い女連れとは」

 石段の上から声がした。


 そこにカンジキを履いて雪踏みをしていた男がいた。手には雪を払いのける雪かき用のすきを持っている。


 丸坊主で首から大きな珠の数珠じゅずを下げ、いかにも山伏といった雰囲気の体格の良い男であった。社殿の脇に粗末な庵があり、男はそこに住んでいるようだ。


 「珍しい? 若い女はここに来ぬのか?」


 「さては、他所者か、さとの者ではないな? 郷の者ならば、冬にここに女を連れて来るようなことはせぬ」

 男はそう言って無精髭ぶしょうひげを撫でながら周囲の木々を見回した。


 幾星霜いくせいそうもの間そこに起立していたであろう杉の巨木が枝に雪を抱いている。今はそのこずえを揺らすほどの風もなくなり、不気味なほどの静寂が包み込んでいる。


 「何かがいるのか?」

 勢三郎の問いに男は無言である。


 「この山は危険なのだ。早く詣でて急いで帰れ、今ならば見つからずに戻れるかもしれぬ」

 やがて男はそう言って背を向けた。


 何か知っているのは間違いないが、それ以上は勢三郎に話すつもりはないようだ。


 「旦那様、いかがいたします?」

 穂乃が勢三郎を見上げた。



 ーーーー男は雪かきをするそぶりを見せながら、二人の様子を伺った。今の話で女を不安にさせたかと思われたが、女の表情はなぎのように穏やかだ。勢三郎という若者を信頼しきっているのがわかる。


 男も腕に覚えがあるのだろう。腰の大小にもなかなかの風格がある。


 だが、ここのぬしにはかなうまい。

 神仏の加護もない人の身で山の主に敵う者などいるはずがないのだ。あれは化け物だ。あれを倒すために罠を張ってここに籠って20日、奴の気配は近づいてきている。男は雪を払いながら辺りを見回した。


 勢三郎は石段の奥に建つ大きなやしろに向かった。


 風月にさらされ表面に荒々しい皺を見せる柱が雪を被った萱葺かやぶき屋根の軒を支えている。普通の建物にはない軒柱は雪の重さに耐えるためのものなのだろう。


 社の周りには異質な気配は無い。

 二人は夫婦のように並んで物静かに社に詣でた。


 勢三郎は、黙々と雪かきを続けている男をちらりと見て、石段を降り始めた。谷に滑り落ちないよう石段を下る足は自然に遅くなる。


 「穂乃殿、待たれよ」

 不意に勢三郎が石段の途中で立ち止まり、片手で穂乃を止めた。


 「何でございましょう?」


 「気配が近づいてくる。私の背に隠れなさい」

 そう言いながら、勢三郎は耳を澄ました。

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