第2話 ありがとさん

そんな二人をつなげている痛みがあった。


周志は妻を病気で亡くしていて、真緒も5歳の時、父親を事故で亡くしていた。

だからか、バイトを始めた時にはもう常連だった周志に、真緒は何だか父親の影を見たような感じがしていた。


真緒は、毎日、栄養ドリンクを1本だけを買って、静々帰っていく周志を何となく観察するようになった。


すると、周志は毎日、毎日、ドリンクを手にした時、何とも冴えない、深い溜息をついていた。それはもう、実年齢より老けて見える、定年間近のしょぼくれおじさんだった。


「ありがとうございました」

「ありがとう」


レジ対応していた真緒に、レジの店員にはほとんどの客が無視していく中、周志はドリンクを握りしめ、ゆっくり、『ありがとう』と言う。

その『ありがとう』が、真緒にはたまらなく心地よかった。



真緒は、自分の中でだけ、周志を〈ありがとさん〉と呼び、心の中で、慕うよになる。



(ありがとさん、毎日なんかとっても疲れた顔してるな…。お仕事、大変なのかな?)

真緒は、周志を観察していると、だんだん心配になった。

そして、真緒はありがとさんの疲れた『ありがとう』を、元気な『ありがとう』に変えるには、どうすればいいかを考える。その答えは、一つだけしか思い浮かばなかった。


ポップだ。


真緒は、ありがとうおじさんの為に、栄養ドリンクの売り場にポップを書くことにした。


【今日も頑張ったの?そう。えらいえらい】


最初は遠慮がちにそう書いた。すると…、


「おぉ…えらいですか…ありがとうございます」


周志が、ポップに向かって話しかけていた。

とても優しい表情で。

思わず、真緒はクスっと笑った。

ちゃんとそう言うのを見てくれてる所や、ポップに話しかけている姿がなんともおじさんらしくなく、可愛い。


「井戸川さん、もうあがっていいよ」

「あ、はい」


しばらく周志の姿に見入っていると、バイトの時間が終わった。周志はレジでいつも通り、真緒ではなく、その日のレジ担当の先輩に『ありがとう』と言うと、店を出て行った。

(ありがとさん、優しそうな人だな…)

そんな事を思いながら、真緒は家まで帰った。



(明日、どんなポップにしようかな?ありがとさん、どんなポップだと嬉しいかな?)

…と、頭の中はポップとありがとさんの事だけだった。



「今日飲むこの栄養ドリンクはなんだかいつもより効きそうだ…」

アパートに帰って、テレビをつけ、エアコンのスイッチを入れ、そっと小さな部屋のテーブルに身を落ち着かせると、周志はボソッと呟いた。


真緒はありがとさんを元気づけたかったし、喜んでもらいたかったが、真緒の予想以上に、周志の中であのポップは輝いて見えた。


『頑張れ。負けるな。大丈夫』


そんな言葉が、『えらいえらい』の一言で、全部まとめて贈られてきた宝物のように見えた。


「はーぁ…」

ドリンクを飲み干すと、周志はまた深い溜息をつく。

柚木ゆき、今日のドリンクはおいしいな。お前を亡くして明日でもう10年だ。私も今年で定年だよ。時間が過ぎるのは早いな…」

遺影を見ながら、周志は独り言を言う。それが日課だった。

嫌な事、辛い事、悔しい事、全部今でも柚木に聞いてもらっていた。

が、今夜はドリンクがおいしい…。そう、柚木に報告した。

周志自身でも気が付かない変化だ。


「ありがとう」


真緒のありがとさんへのありがとうが届いた日だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る