第5話

「私を殴りなさい。夫の盟友たる貴方方に暴力をふるった。それは不義理にあたります」


 エリザベスがエドワードに案内してもらったのは自治農兵たちの宿舎であった。いくつものベッドが並べられ、壁に埋め込まれた蝋燭だけの薄暗い部屋には奇妙な空気が漂っていた。夜中、しかも、自らに暴行を働いた女が領主を連れて訪れたのだ。痛みがまだ引かず煮えたぎる怒りと、エドワード、そしてエリザベスの行動の不可解さに、兵士たちは困惑していた。


 兵士たちはベッドから体だけを起こして、どうしようか、と近くの人に顔を合わせる。だが、何も言えずにいる。そんな空気が一変したのはしばらくしてのことだった。


「それは本気にしてもいいんだな? 領主様も同意の上での話か?」


 そう尋ねたのはエリザベスを案内した男だった。彼は怪訝な面持ちであるが、言葉には鋭さがあり、やっていいのなら辞さないという雰囲気を出していた。


 エドワードは不安げな面持ちでエリザベスを見る。ただ案内してくれ、と言われて、この場にきたのだ。エリザベスの強い意志を感じて、彼女を尊重し、深く尋ねることはしなかったのである。だが、来てみればどうだ。先ほど義理に縛られて生きないでくれ、と頼んだにもかかわらず、エリザベスが義理を果たすために自らを殴れ、と言うのである。当然、大の男に殴られて大丈夫か、という不安もあるが、それ以上にエリザベスが苦しい生き方を続けようとしていることに不安を抱いていた。


 そんなエドワードに、エリザベスは柔らかい笑みを向けて言う。


「私は義理に縛られて生きるのはやめました。ですが、私の義に則って、夫の盟友たる方々に暴行を働いたことはゆるせません。そこに縛りや制約はありません。ただそうしたいと思う気持ちだけです」


 エドワードの表情がほぐれる。


「なら、僕は貴方の意思を尊重します」


 そんなやりとりを聞き終えた男は立ち上がり、ずかずかとエリザベスに歩み寄る。見下ろすような格好で正面に立つと、かしずいた。


「こちらこそ、ご無礼を。領主様の奥方の人格を知った今、償うべきは俺たちの方だ」


「何を仰るのですか? 貴方方には何も償うことなどありません」


「いや、領主様の奥方に無礼を働いた。まあ、返り討ちにはあったが、それでもその行いは許されることではない。殴られることが貴方の償いの方法ならば、もう一度俺を殴ってほしい」


「夫の友に暴力をふるうことはできません」


 それからは、押し問答が続き、辟易したエドワードが調停に入った。


「何があったかは大体理解できました。それでも、互いに互いを殴らなくてすむなら、それでいいじゃないですか。気の合う仲間が出来たことに祝杯をあげましょう」


 そう言ってエドワードは、こういう時のために、高級なワインを秘蔵していたのです、と部屋から出て行ってしまった。


 揉め事の中心であると言っても過言ではないのに関わらず、身勝手な振る舞いをしたエドワードに、エリザベスは頭を抱えたかった。だが、わざとこのような行動を取っていることには気づいていて、同時に魅力も感じていた。義を軽んじていない彼が、このように丸く収めるからこそ、自治農兵らは彼を慕うのだろう。


「どうやら、これ以上、話し合いを続けても無意味なようですね」


 エリザベスがそう言うと男は頷いた。


「ああ……本当、領主様は掴めないお人だよ。いつも絆されてしまう」


「そうですね。私も絆された一人に入っているのでしょう」


 二人の間に緊張感が解かれる。すると、今まで黙り込んでいた他の自治農兵達はエリザベスを囲んだ。「奥方様、先ほどはご無礼を」そんな言葉をエリザベスは浴びせられる。一人ひとりに、さっき男にかけたような言葉をエリザベスが返すと、皆は安堵の表情を浮かべた。


 謝罪の嵐が収まると、エリザベスにリーダーの男が話しかけた。


「それで奥方様、王子への落とし前、どうつけるおつもりなんだい?」


 エリザベスは顎に指を添える。少しして、ああ、と思い出した。


「たしかに、私は言われなき罪を着せられました。でも、そのお陰で今がある。だからもういいのですよ」


「そういうわけにはいかない。奥方様の名誉がかかっている。見過ごすことはできない」


「それは、義理があるからですか?」


「もちろんそうだ。だが、俺は俺の意思で、奥方様の名誉を守りたいと思っている」


 エリザベスは迷う。今更王子のことなど、どうでもいい。それに、落とし前をつけると言っても、要するには復讐だ。道徳的に考えるならば、していいものではない。ただ、決断しかねるのは、彼らの生き様のせいだった。彼らは義理に生きている。でも、縛られて生きてはいない。彼ら自身の義に則って自由に生きている。それは今の私と同じなのだ。ならば、その自由が犯されることは認めがたい。それに、試してみたかった、本当の義理を知った今、その義理が愛情に勝てるかどうかを。


 エリザベスは少しして口を開いた。


「そうですね。それなら、勉強でもして頂きましょうか」


「勉強?」


 そんなやりとりが終わる頃、抱きしめるようにワインボトルの束を抱えたエドワードが戻った。


「エドワード様、私は王子に落とし前をつけようと思います。それでもよろしいでしょうか?」


 エリザベスが問うと、エドワードは頷いた。


「王子がしたこと、そこに貴方が落としていたものがない。僕も手伝わせてもらいます」

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