第4話


 エリザベスを先導するように男が前を歩いていた。顔が腫れ、身体中に青痣が出来た男は、真っ先に倒された男だった。彼は痛みに堪えながら手運びできる蝋燭に火を灯し、辺りを照らしながら歩く。エリザベスに脅され、領主の部屋へと案内させられていたのだ。


 エリザベスは、あちこちに目を向けている。質素な民家と変わらない、これが領主の居城だというのだから驚きだ。王城には金銀が尽くされたものや、宝石、絵画、彫刻などの芸術品が目に入らないことはない。実家である公爵家もメイドや衛兵の声が城のどこかから聞こえていた。だが、この家はエリザベスの生活してきた住居とは無縁で、廊下に燭台すらなくて暗く、体重に木の軋む音だけが響いている。


 ただエリザベスは悪印象を抱かなかった。とにかく清潔なのだ。埃は全くないと言ってよく、男が持っている蝋燭も長い、つまりは新品である。それに、ハーブのような香を焚いているのか、心地の良い空気が充満していた。歓迎されていることは明らかで、民家と変わらない粗末な家なのに、エリザベスは泥で汚れた自分が踏み入ってることに恥じる思いすらする。


「ここが領主様の部屋だ……」


「案内ご苦労様でした。面子を潰された落とし前をつけにくるのなら、いつでもどうぞ」


「男数十人で掛かっても返り討ちにされたんだ。すぐにはこねえよ。すぐにはな」


 そう言って男は、きた道を引き返していく。元々、領主の元に案内する予定だったのだから、お連れしました、と一声かけていけばいいのに、とエリザベスは思う。しかし、腫れた顔を合わせるのもバツが悪かろうとも思い、特に引き止めることはしなかった。


 エリザベスは正しい所作で扉をノックする。だが、返事がない。仕方なくエリザベスは扉を開けて部屋に入った。ぎっしりと本が詰まった棚、紙の束が置かれた机、その近くに短くなった蝋燭。そして、見目麗しい青年が机に向かい、紙に向かってペンを走らせていた。


「あの」


 声をかけてられて青年は顔をあげた。輝くような銀髪、長いまつ毛。アーモンド型の大きな瞳。どれをとっても美しく、むしろ可憐な美少女に見える。


 青年は慌てて立ち上がり、机にぶつかる。


「大丈夫でしょうか? そう慌てずとも」


「す、すいません」


 そう言って照れ笑いする声を聞いて、エリザベスはふとパイプオルガンの見事な演奏を思い出した。それくらいに声が美しいのである。


 そんな美しい青年は、エリザベスの前まできて、頭を下げた。


「遠いところをご足労いただきありがとうございました。それに使いのものをだしたのですが、貴方のような高貴な方からすれば大変粗野に映ったことでしょう。大変ご無礼を」


「いえ。やはり、彼らは使いのものだったのですね」


 エリザベスの言葉に青年は首を傾けた。


「使いのもの? 貴方は案内されてきたのではないのでしょうか?」


「ええ、もちろんです」


 青年は再び首を傾げるも、あっ、と声をあげた。


「も、申し遅れました。僕はエドワード・ド・リシチアと申します」


「こちらこそ申し遅れました。エリザベスと言います。家の名は、今は名乗って良いのかわかりませんので、そこはご容赦願いたく思います」


 エリザベスがそう言うと青年は柔和な笑みを浮かべた。そして、机の上に置いてあった書類の中から手紙を取り出した。


「名乗って良いと思います。これは貴方のお父上から手紙です」


 手紙を受け取ったエリザベスは文面に目を通す。


『王子殿下に逆らえぬ我が身をどうか怨まないでほしい。私はわざと激怒するフリをして、牢獄で一生を過ごさせようとする王子に、牢獄よりもっと悲惨なリシチア領へ送ってはどうかと提案したのだ。お前なら、リシチア領であってもやっていけると信じている。今でもおまえのことは愛している。どうか幸せに暮らしてくれ』


 エリザベスは手紙を読み終えると、ふぅ、と息をついた。


「また父に借りをつくってしまいました。それに腑に落ちないことも出てきました」


 エリザベスはエドワードを向いた。


「どうして私を迎えようと思ったのですか? 父との間に何か義理があったのでしょうか?」


「いいえ。ありません。公爵には、王子に嵌められた娘と婚約してほしい、との文が届いただけです」


「王子に嵌められた、と知っていながら、どうして私を受け入れようと?」


「断ると公爵や王家に睨まれるかもしれませんしね」


「それでも、断ろうと思えば断れたはずです。この領は一種の国と言っていい。徴税官が立ち入らず、この領地は独自に運営されている。一見、弱小領に思えますが、どこの権力も及ばない聖域です」


 エリザベスがそう言うと、エドワードは照れたように笑った。


「隠し通すのは無理そうですね。君主がころころと変わってきたこの領では、どこの王家にも忠誠も恐怖もありませんから、断ろう思えば簡単に断れます」


 そう言ってエドワードは続ける。


「気恥ずかしいので言いたくなかったのですが、言われなき罪で牢獄つなぎとめられようとしている少女を救いたかった、ただそれだけなのですよ」


 エリザベスは眉を顰めた。


「義理がないのに私を迎えたということですか?」


「はい。あっ、でも、少し自分の欲望は混ざっています」


 エドワードは顔を真っ赤にして、口を開く。


「貴方の噂はこの遠いリシチアまで届いていました。色々な方々を救ってこられたとか。そんな義を持つ貴方に、僕は惹かれたんですよ」


「救ってきた? 義を持つ? そんなものじゃありません。私は困った方々相手に商売をしてきただけです」


「それが義ではなないのですか? 困った人に手を差し伸べる。僕はそれが義だと思います」


 エリザベスは首を振った。


「違います。義とは正邪を判断し邪を正すことです」


「では、その正邪の判断は誰が下すのですか?」


「それは個人個人です。正邪の判断なんて誰もつけれはしません。だから自分の心に則って義を貫くのです」


 エドワードはこくりと頷いた。


「僕もそう思います。たとえ、多くが悪業だと思われることだって、やった本人は正しいことだと思っている。正邪の判断なんてそんなもんで、個人個人のものです。だったら、僕が貴方の行動を義と思うのも正しいのではないでしょうか?」


 エリザベスは答えを口にすることができなかった。エドワードの言葉に納得をしてしまったのである。


 エリザベスは思う。たしかに理にかなっている。義が正邪を判断し、邪を正すこと、その正邪の判断が個人個人で異なるなら、エドワードが私のシノギを義と見ても、それはそれでエドワードの中では正しいのだろう。


 ただエリザベスにそんなつもりは一切なかった。シノギはあくまでもシノギ。金を稼ぐ以上のものではない。仮にエドワードがシノギを義とするならば、私に手を差し伸べなかった顧客は恩義に報いていない、となる。それは酷く心外だ。


「たしかに、貴方の言は理にかなっています。ですが、恩義なきにして義は語れません。私はあくまで金銭の商売をしただけで恩を売ったわけではありません」


 無理やりに否定したエリザベスの心中を見透かすようにエドワードは笑った。


「恩義とは何ですか?」


「自分の何かを犠牲にして、他者を救うことです」


「貴方の興業、公爵から出資だそうですね。ならば、貴方は義理を背負ってまで、色々な人を救ったことになる。だったら貴方は、自分を犠牲にして困った人に手を差し伸べているんですよ」


 エリザベスは指を顎に添えた。


「貴方のその言、理にかなっています。たしかに私は困った人を助けるために自分を犠牲にしたことになる。でも、それは違う気がします」


 エリザベスは明瞭な答えを返すことができなかった。たしかにエドワードの言うことは筋が通っている。だがそれを認めてしまうと、やはり恩を売ってきたことになってしまう。でもそこに、エリザベスは義理があると思えない。だったら義理もないのに行動してきたということになる。


 私は義理のみで生きてきたのではなかったのか? 


 これまでずっと凛としていたエリザベスだが、明らかに揺らいでいた。それもそのはず、自らの存在、信念、信条に疑念を抱いたのだ。


「私は今まで何をしてきたのでしょう」


「貴方は義に生きてきたのでしょう。そもそもの話、何故あなたは汚れ仕事や、隙間産業となるものを興業したのですか?」


 エリザベスは振り返る。たしかに何故なのだろう。法すれすれの傭兵稼業、金融業、仲介業、もっと暗い職業だって、手を出してきた。だがそこに固執する必要性はあったのか。いや……ある。


「私は公爵令嬢として生まれてきた。それは、困っている人を救える仕事に手を出せる特権があるということです。国から与えられた特権を行使せずして、国に義理を尽くさないことは不義理にあたる」


「国に義理を尽くすというのなら、他の方法だってあるはずですよ。むしろ、貴方のしていることは、国にとって厄介になっているかもしれない」


 エドワードは柔かな物言いで続ける。


「貴方がしてきたことは一つの義にすぎません。けれどそこには大切なものがある。困っている人を助けたいと思うことのどこに、縛りや制約があるというのですか? 義理って、義務ではないし、縛られて生きることでもないと思います……ってもう、こんな堅苦しいやりとりやめませんか? 聡明な貴方ならもうお気づきな筈だ」


 エリザベスは柔らかい笑みを浮かべ、ため息をついた。それは降参を示すようだった。もうすでに、エリザベスの中で、目の前の困っている人を救いたいという意思で生きていた、という答えが出ている。そこに義やら何やら複雑で頭が痛くなるような理由をつけていただけの話だった。


「わかりました。やめましょう、こんな話。ですが、エドワード様、私は恩を着せたつもりはありませんので、皆様を悪く思うのはどうかやめて頂きたい」


 エリザベスがそう言うと、エドワードは優しい声で「大丈夫です」と話す。


「さっき言ったように、義は縛られるようなものではありません。私からもお願いです。貴方の義は素晴らしい。ですが縛られて生きないようにお願いいたします」


 そう言われたエリザベスは、身体中に巻きついていた鎖や重荷が一挙に取り払われる感覚を覚えた。ガラスが割れ、その向こうに広がる一面の花畑を見たような開放感も同時に訪れる。


「私、行かねばならぬ所があります。案内していただけますか?」


 エリザベスは笑ってそう言った。

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