第2話


 王城に備えられた塔の一室、エリザベスが軟禁されているその部屋には、十数名もの学生たちが詰めかけている。隙間風が寒く、硬い石造りの床だけの殺風景の部屋には怒りの声が響いていた。


「エリザベス様がリシチア領にだなんて!?」「あそこに送られた徴税官は皆帰ってきていません」「何でも、自治農兵を名乗る野蛮な賊が闊歩している領地だとか」


 悲哀や激怒の表情を浮かべる学生達に、エリザベスは柔和な声で語りかける。


「皆、気にしなくても良いのです。大したことではありませんから」


「気にしないわけにはいきません! 貴方は病気の母を救うために希少な薬を恵んでくださった!」


 男子学生が大声を出すと、それを皮切りに、続々と声が上がる。


「山賊で苦しむ我が家に、エリザベス様の傭兵隊を送ってくださった。貴方がいなければ、我が領の男は殺され、女は犯され、生きていく糧を全て奪われていました」


「私の家もです。財政難に苦しむ家を救うために、土地を高値で購入していただきました。それに融資だって快く引き受けてくれました」


「それを言うなら俺だって。エリザベス様は、跡目を継げない僕の弟の仕事を斡旋してくださいました。貴方がいなければ、弟は乞食にでも身を窶していたでしょう」


 エリザベスはため息をつく。


「はあ。私は隙間産業、汚れ仕事をしているだけです。それであなた方は顧客でしかない。困っている人に欲しがっているものを売るのは当然のこと。だから恩を感じる必要はないのですよ」


 それでも、と食い下がる学生達に、エリザベスは肩を竦めた。


「私の稼業の元手は父からの出資です。私を育ててくださり、ここに存在するのも父あってのものなのです。その父が私に、リシチアに赴け、と言うのなら、呑まないわけにはいきません。それが義に報いるということですから」


 エリザベスの言葉に皆が黙り込んだ。彼女が信条を曲げられないことは誰もが知っていたからである。だがそれでも、一人の男子生徒は口を開いた。


「あんまりです。エリザベス様はリシチア領がどれほど危険かご存知なのですか? 言われなき罪で飛ばされるには酷すぎます」


「もちろん知っています。元は周辺諸国の紛争地帯。時政治性で君主が入れ替わり立ち代わりになり、相次ぐ徴税に苦しんだ農民達が反乱を起こしている領地です。かと言って要衝地なので、国際問題に発展することが懸念されて派兵することも叶わぬ場所です」


「そこまで知っているのなら、どうして行かれるのですか!? この際、我が家で匿いましょう! 王家には睨まれますが、エリザベス様の安全には変えられない!!」


 熱くなる男子学生に向けてエリザベスは柔和な笑みを浮かべた。


「貴方は一、貴族の子弟でしかない。そのような方に私みたいなものが迷惑をかけてはいけない」


 エリザベスは、それに、と続ける。


「死の危険があろうとも、義には報いる。それが私なんです。さあ、それでは皆さん、殿下の顰蹙を買う前にここから出て行ってください」


 学生達はおろおろとして、しばらく止どまっていたが、渋々といった様子で部屋から出て行った。


 一人だけになるとエリザベスは、冷たい石壁に背を預けるようにして座り、天井を仰いだ。


「さて、命あるうちに、稼業の跡目を決めておかないといけませんね。なにしろ、私がいなければ、混乱、果ては崩壊してしまうでしょうから」


 エリザベスは身に隠していた紙とペンを取り出した時、ふと疑問を覚えた。跡目を決める必要があるのか、リシチアに赴けば、様々な稼業は手から離れることになる。だとすれば、跡目を指名せずとも、勝手に誰かが引き継いでくれる。それが自然の成り行きで、私がしようとしていることはお節介にあたるのではなかろうか。それに私の稼業が続こうが続くまいがもはや関係ない。


 いや、私が興業したのだ。跡目争いが起こる可能性を見捨て、何もしないのは不義理にあたる。ならば、もはや関係がなくなろうとも、義理は果たさねばならない。


 エリザベスはそう思うと、ペンを走らせた。しかし、心の中に渦巻く疑問は消えない。


 そもそもどうして私は、ここまで義理に固執しているのだろうか。生まれた時にはすでに王子の婚約者として国を支える宿命を与えられていたからか? そしてそのように育てられてきたからか? 恐らく全てであろう。公爵令嬢として生を受けたことこそが、私を私たらしめている。義理を尊重する人間に、いや、そんないいものではない。義理しか知らぬ人間になっているのだろう。


 その結果どうだ、婚約破棄され、危険な地域に飛ばされる。それは義理が負け、愛情が勝ったということだ。


 エリザベスは王子に言った言葉を撤回したくなる。敗北は知ったのだった。

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