サキュバス、親父にもぶたれた事ありませんでした13

 気持ち的に少し楽にはなっているがいざ本番となると緊張感は隠せない。精神体だから手の震えとかはないけど多分きっと心は揺れているだろう。くそぉ、もう一人の俺はどうだろうか。一人進む道にある不安の影に怯えていないか。しかし道はどこまでも、どこまでも進んでいくのである。例え暗闇に包まれていようとも、その先は何処かへ繋がっているのだ。




 この道を行けば どうなるものか。

 危ぶむなかれ 危ぶめば道はなし。

 踏み出せば その一足が道となり。

 その一足が道となる。

 迷わず行けよ 行けばわかるさ。



 元気ですかーーーーーーーーー!

 いくぞーーーーーーーー!

 一! 二! 三! ダァ―――――――――!







「ピカ太さん、突然猪木出すの止めてもらえませんか? 緊張感が削がれるんですが」


「猪木? なにを言っているんだ課長」


「? 今ピカ太さん、アントニオ猪木の事考えてましたよね?」


「そりゃお前、俺の心の中にはいつだって猪木がいるが、それにしたってこのタイミングで……あ、いや、あーいやいや。いたいた。いたわ猪木。頭の中で元気ですかー! って叫んでたわ」


「……ピカ太さん、大丈夫ですか?」


「なにが?」


「いえ、緊張でおかしくなってないかなと」


「そんな事ねーよ。ただちょっとあれだ、今、もう一人の俺がひたすらビルを進んでいるから、ふと猪木の道が頭を過ぎっただけだ」


「えぇ。存じてます。心の中読んでいるので」


「まずさ、それやめよ? ハマーンも言ってたよ? ”よくもずけずけと他人の心の中に入る。恥を知れ、俗物”って」


「中の人はその台詞嫌いって言ってましたね」


「育ちがいいからなあの人は……」


「なんですかピカ太さん。私の育て方は間違っていたとでも言うつもりですか?」


「微塵もそんなつもりねーよ。突然地雷足元に投げてくるような真似はやめてくれよ。回避できねーよ」


「では迂闊な事を私の前で喋るのはお止めなさい。かつて誤解で戦が始まった例もあるんですからね」


「方広寺の鐘じゃねぇんだから……」


「お話し中申し訳ございませんが、そろそろあの男の前に到着しますよ皆さん。準備はよろしいですか?」


「嘘だろ? もう着いたの? ついさっきまで外だったじゃん」


「輝さん、本当に大丈夫ですか? 緊張感も集中力も皆無のようですが」


「お前が術に失敗しなけりゃ多分もっとまともな精神状態になっていたよ」


「おっと責任転嫁ですか。嫌ですね。労働者階級の方はすぐに上流を非難する。ルサンチマンから産まれるものは妬みによる破滅のみですよ?」


「上流の人間は下流の労働者によって支えられていると自覚すべきだ。っと、色々言いたい事はあるが、マジでそんな時間なくなってきたぞ。悪いが一旦黙るから、お前も喋りかけるな」


「了解です。くれぐれもしくじらないようにお願いしますよ」


「分かってるよ」



 前提として親父から聖書を奪う事は絶対にミスできない。最初にして最大の関門だが、ここさえ突破してしまえば後は何とでもなるだろう。後は手筈通りに事を進めてヴァケーションと洒落こみたいところだ。日本人の「死にたい」は「ハワイ行きたい」と同義なんていうけど、実際ハワイなんて行っても一時凌ぎの現実逃避にしか過ぎないよな。人生って苦しみの間に楽しみとかがあるわけ。ずっと息継ぎしながら海を渡っているのと一緒よ。なんだか辛くなってきたなぁ。毎日毎日仕事仕事でさぁ。休みの日なんかもサブスクで映画かアニメ観てプラモ作るだけ。ゲームでさえ最近億劫になっちまった。歳を取るって、こういう事をいうのかな。楽しい事がどんどん抜け落ちていって、生きるためだけに苦行のような仕事をするだけの毎日に慣れていってる。夢も希望も目標も生き甲斐も何一つなくなって、残っているのはクソを放るだけの肉袋。特に社会に貢献するわけでもなく、有限である地球資産を食い荒らして無駄に消費しているだけ。誰にとっても、俺自身にとっても価値のない人生。死にたいとは思わないが、ハワイに行きたいとも思わない。思う事はただ、楽になりたい。それだけ。あぁ、人生が辛い……




「ちょっと! ちょっとちょっとピカ太さん! 大丈夫ですか!? こんな時になんでそんなネガティブになってるんですか!? え? 術!? 術は!? 専務と私の術の効果はどうしたんですか!? まさかもう切れた!? そんな馬鹿な!」


「あぁすまんすまん。なんかちょっと最近情緒不安定で」


「ちょっとレベルの問題じゃない心の闇でしたよ!? 疲れ切って笑い方さえ忘れてしまった人間の思考回路だったんですが!」


「大丈夫大丈夫。死ぬこと以外かすり傷」


「致命傷を自ら負いに行こうとしている感じでしたが!?」


「大袈裟なんだよ。働いてりゃみんなそうなるだろ。ほら、空見てると涙が出てくる事とかあるだろ?」


「そんな域を超えてましたが……曇天を死んだ目で眺めているような人間の感情でしたが……」


「そこまで言う事ないだろう」


「そこまでの事考えていたんですよ!」


「鳥栖さん。輝さん。いい加減集中していただいてよろしいですか?」


「も、申し訳ございません専務……」


「……輝さん。大丈夫ですか? もう、目の前にいらっしゃいますよ?」


「……あぁ」



 さすがに本気で集中しよう……OK。切り替えた。で、今もう一人の俺が見ている場面は……











「よく来たな。息子よぉ」


「いらっしゃい、ピカちゃん」


「……ピカお兄ちゃん」







 皆様勢揃いだな……


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る