サキュバス、アルパチーノとロバートデニーロの不仲説を聞いて思わずオレンジを口に含みました8

 なんだこれは、気持ちが悪い。いや、これまでだって生理現象で反応する事はあったんだ。すぐに収まるだろう。収まるはずだ……しかし、なんだこの、脳が焼き付くような感覚は。身体が熱い。心臓が高鳴る。息を吐くだけで震える。頭からつま先まで痺れている。これは、この状態は……



 ……



 ……極限の状況下でおかしくなってしまったのか俺は。どうも阿賀ヘルを殴ったあたりから、いや、その少し前から、なにやら妙に火照っている。喉が渇き、緊張にも似たような息苦しさだが、何故だか悪い気はせず……

 ……そんな馬鹿な。

 妹を殺せと言われたんだぞ。悪い気がしないわけがあるか。そうだ、そんなわけはないだろう。やはり過度なストレス下に置かれて脳が適応しようと何かしら作用したのだ。そうに違いない。



 本当にそうか?



 なんだと?


  

 そうじゃないだろう?

 分かっているんだろう?

 本当は。俺自身、この感覚が何なのかという事を。



 なにを馬鹿な。分かるわけがないだろう。この、高揚感とも不安とも似た、焦がれるような気持ち。これまで経験した事のない胸のざわつき。俺はこんな状態を知らない。経験がない。明らかに変調をきたしている。あの女にあてられ、一時的に変になってしまったのだ。



 変じゃないさ。ちっとも変じゃない。だってその感覚は誰しもが持つ普遍的なものなんだから。誰しもがそれに悦びを見出し、昂ぶり、迸る。生命エネルギーの根源的な活動といっても差し支えないだろう。人間は、いや生物は本質的にこの情動のために生まれ育まれてきたのだ。誰に教えられなくとも、刻まれた血がそれがなんであるか語りかけてくる。さぁ、耳を傾けろ。お前にだって聞こえるはずだ。自身に素直になれ。



 分からない。知らない。何故だ。何故こんな事を考える。これは本当に俺の思考か? 俺自身がこんな事を自問自答しているのか? こんな馬鹿な、益体もないような事をずっと語っているのか? いや、確かに俺だ。俺の頭の中で考えているのだから、俺以外にない。紛れもなく俺自身が俺自身に対して不可思議な問いかけを行い、要領を得ない解答を返しているのだ。だが何故。どうしてそんな事を。



 そんな事は考えなくていい。俺は俺じゃないか。それよりも、今はこの状況を正しく理解する事の方が先決なのではないか。俺の身体に何が起こっているのか、何を欲しているのか、

俺自身が正しく把握する必要があるのではないか。



 俺は何を求めているのだ。何かを求めているのか? そうだ、何かを求めている。

 何か、何かが足りない。なんだ。この満ち足りない欠乏は、渇きと焦燥は、狂おしい程求めているものの正体は。



 もう答えは出ているだろう?

 俺が求めているものは……


 もう答えは出ているのか。

 俺が欲しているものは……








「ピカ太さん!」




「……!? あぁ、課長か。どうした」


「どうしたじゃないですよ。何があったんですか? 朝からこんなところに突っ立って」


「朝……あぁ、朝か。朝だったなそういえば」


「なんですか? まだ酔っぱらってらっしゃいますか? 昨晩、羽目を外しすぎましたか?」


「そういうわけでもないんだが……いや、そうかもしれんな。すまん」


「? なんだか様子がおかしいですけれど、本当に大丈夫ですか? 精神的負担とかございませんか? 大分汗もかいているようですし、自律神経などに異変があるかも……」


「大丈夫……大丈夫だ。それより、今は何時だ?」


「今は六時前です。こんな状況で申し上げるのも気が引けるのですが、申し訳ありません。寝坊をしました」


「そうか……」



 本当に今起きたようだなゴス美。そして俺は随分意識が飛んでいたようだ。まるで夢でも見ているのかのような現実感のなさだったが、あのやり取りは俺一人が行ったものだ。

 ……本当に俺かあれは? 頭の中でやっている以上、俺でしかないのは確かなんだが、どうにも別人と話しているような、そんな感覚だった。

 ……うん? こんな事が前にもあったような気がする……そう昔でもない……というより最近だったと思うが……いつだったか……



「おや? ピカ太さん、ご飯を作られたのですか?」


「え? あぁ……違うんだ。それは……」


「!? ピカ太さん」


「? なんだ?」


「この料理、誰が作ったんですか?」


「……」



 凄いな課長。分かるのか、見ただけで俺が作ったものじゃないと。

 しかし、正直に答えていいものだろうか。ここで俺が、「阿賀ヘルが家に忍び込んで勝手に作った」などと述べてしまった場合、ゴス美が何かした行動を起こし危険な目に遭ってしまうのではないだろうか。



「……ピカ太さん」



 ここは……



「阿賀ヘルが家に忍び込んできて作っていった」



 正直に話しておこう。ゴス美も馬鹿じゃない。危機感を共有した方が、リスクも減る。



「阿賀ヘル……あの、合コンの時にいたクソ女ですか?」


「そうだ」


「なんで? なんでですかピカ太さん? どうしてあの女が他人様の家に上がり込み他人様の台所を使って他人様の食材で料理を? え? 理解できない。納得のいく答えを所望します」


「……そうだな。少し長くなるが、全て話す」


「えぇ。一つの漏れもなく正確かつ明瞭に洗いざらい全部吐き出してください。そしてしかるべく手段を検討いたしましょう。最悪、殺害です」



 ……本当にこいつに打ち明けていいのか? 少し不安になってきたな……

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