サキュバス、増えました1


 受難というのはいつも予兆なく突然にやってくるもので、然るに、人生というのは小舟に乗って揺蕩う水面みなもの彼方へ進むように危うく心許ない旅路が如きものなのかもしれない。

 ムー子との同棲生活も幾らか慣れてきたところにまた妙な問題が発生したのは如何なる因果であろうか知る由もなく、ただ漠然と現実という厚い壁に圧し潰されぬよう、俺は強靭な精神力を保っていなくてはならなかった。


「あ、え、うっそ! マジちょっと!? えぇ……」


 もはや仕事ビジネスとなっているVチューバー活動を終えたムー子がトンチキに喘いたおかげで飲みかけのまずいインスタントコーヒーが味が泥のように感じられた。ちなみにムー子がバ美った ユーバス・咲 の収益は月十五万程と中々のものであり、その中から五万を部屋貸し代として徴収しているのだが、スパチャの金が俺の口座に振り込まれる関係上ムー子の稼ぎは俺の副業収益扱いとなり税金額がやばそうで、そのうえ確定申告もしなくてはならなくなったため酷く面倒な事態となってしまっていた。税金に関しては無論徴収している5万で対応するつもりであるが、これ以上稼ぐようなら法人として事務所を立ち上げた方がいいような気もしてきている。工数を考えれば完全な赤字だ。やってられん。


「う“う”う“う”ん“え”え“え”え“え”え“ん”と“お”じ“よ”お“お”お“お”お“お”」


 こちらの悩みをよそにムー子は依然嗚咽交じりに項垂れている。正直相手をしたくはないが、トラブルの発生は俺も巻き込まれる可能性があるため無視はできない。聞きたくはないが、対策を立てるためにも何が発生したかは問わねばならぬだろう。あぁ嫌だ嫌だ。仕事でもないのにクソのような案件に介入しなくてはならないとは。泣きたいのは俺の方である。



「突然素っ頓狂な声を上げてどうした。気が狂れたか?」


「狂いかねない事態です……どうしよ……マジでヤバイ……」


「どうしたんだいったい。ネットストーカーにでも住所特定されたのか?」


「そっちの方がなんぼかマシですね……それなら最悪一発ヤらせてすっきりして帰ってもらえばいいし」


「お前それバレたらVチューバー活動できなくなるから絶対すんなよ?」


「え? 駄目なんですか? 自由恋愛っていう体でも?」


「オタクは処女膜から声を出してないとすぐにアンチになるんだよ」


「えぇ~アイドル声優だってきっとみんな経験済みですよぉ~絶対開通済みの穴から可愛い声出してますって」


「それはそれ。これはこれだ。そんな事より、ネットストーカーじゃなければいったい何が起こったというんだ」


「そうでした……実は私、Twitterアカウントも開設しているんですけども……」


「まぁSNSでの広告活動は基本だな。で?」


「はい。それで、ファンの方々から毎日DMが送られてくるので、それに目を通していたんです」


「律儀な奴だな。どんな内容のDMがくるんだ?」


「尿道にヴォジョレヌーボは最高ですね! とか、僕のアヌスにもジョロキア挿入してください。とか」


 どんな配信してるんだこいつ。


 そう思ったが面倒なので深入りしない事にした。


「それで?」


「はい。で、楽しく拝見していたら、こんなメッセージがきていまして」


「どれどれ……」


 ムー子がTwitterのメッセージボックス上で展開した一通のDMには次のような記載が見られた。





 拝啓。

 突然のメッセすみません。ですが、どうしても伝えたい事があったので本日DMさせていただきました。最後まで読んでいただければ幸いです。

 早速ですが、貴女、ムー子ですよね? いや、そうですよね。ムー子ですね。貴女はムー子です。私には分かります。

 ムー子。どうして遊んでいるんですか? 仕事は? かがやき ピカ太の精は取れたの? 取れなかったの? いずれにしてもどうしていつまでも人間界で遊んでいるの? 何かあったの? あったのなら連絡入れるべきじゃない? 何もかも放棄してVチューバー活動とか意味が分からないんだけど。いったい何が目的なの? クビになりたいの? 言ったよね。人手不足だって。貴女みたいなのでもいないと困るんだけど? ねぇ責任って言葉知ってる? 社会で生きている以上、みんな責任を持って仕事してるんだよ? なんであなたは責任をとらないの? 自分の仕事を全うしないの? 答えて? 答えて? 答えろ。おい。お前責任あんのかって。ふざけんなよマジで。今からお前のところ行くから股洗って待っとけよ。絶対詰めてやるからな。もう一度研修送りにするから覚悟しとけよ。




「……お前の上司はヤクザか?」


「憲法に守られている分ヤクザより質が悪いです……」


「会社に相談しろよ。パワハラ受けてますって」


「馬鹿ですねぇピカ太さん。悪魔の類がハラスメントの解決に乗り出すわけじゃないですか。いくら日本で安寧に暮らしてるからって平和ボケしすぎですよぉ間抜けですねぇ」


「……」


「あ! 嘘嘘! 痛い痛い! い“た”た“た”た“た”た“! 無理! 関節か”! 関節か“絶叫し”て“る”!」


 適当なところでスタンディングの腕挫腕固を解除して埃を払う。本当にこいつはすぐ調子こくな。


「ともかく、お前の上司がここに来るかもしれないんだな?」


「はい……その時は、あの、守ってくれますか?」


「やだよ。強制送還されてしまえ」


「うっわ! ひっど! お前それでも人の子か!? 一緒に暮らしてんだよ!? ないの!? 愛着とか情とか!?」


「ない。お前がいなくなれば税金の問題も解決するしいい事ずくめだ」


「税金!? 税金って言った今!? え、なに? 金と天秤に掛けられてんの私!? クズじゃん! 絶対地獄にいくよあんた! それにモテない! 絶対にモテない! そんなんじゃ孤独死まっしぐらだよ!?」


「うるさいぞ。次は肋骨の骨を軋ませてやろうか? 肋骨を極めると凄いぞ? 呼吸をしようとすると刺さるような激痛が胸に走るんだ。その苦しさといったらなぁ……」


「どうもすみませんでした!」


 速攻土下座に免じて許してやる事にする。まぁ、次はないが。


「なんて情けない……」


 なんだ? ムー子が平伏した瞬間、玄関で声がしたぞ。聞いたことのない女の声だ。


 嫌な予感がしたので見てみると、女が素っ裸で股を開いている。ははーんこいつがムー子の上司だな? そういうの分かっちゃう。



「痛みに屈するなんてとんだ恥さらし! 淫魔ならば苦痛も快楽に変えなさい! SMも愛の形だと研修で教えたでしょう!」


「ゴ、ゴス美課長!? もういらっしゃったんですか!?」


「いらっしゃったよ。そしていきなり部下の失態を目撃し、私は怒りで打ち震えている」


「こ“、こ”め“ん”な“さ”い“い”い“い”い“い”」


 


 泣いて土下座している奴と全裸でM字開脚して説教をかます奴。果たしてどちらの方が尊厳を損なっているのか、大いに迷うところだ。

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