94話:君には敵わない
実家から借りてきた車を前にすると、緊張で身体がこわばる。車で迎えに行くとカッコつけてしまったが、学校まで無事に辿り着けるだろうか。
深呼吸をして、車に乗り込む。ドアのロックを確認してミラー、サイドブレーキを確認して、シートベルトを締めて——足がアクセルに届かない。そういえばこの間父と一緒に運転の練習をしたんだった。
「ふー……」
落ち着いて、気を取り直して、座席を調整して咲ちゃんに『今から行きます』と送って、エンジンをかける。
目的地を青山商業高校の近くにあるコンビニにセットしたカーナビに従って車を走らせる。
昔から、車などの乗り物の中から見る景色が好きだったが、運転していると景色を見る余裕なんて一切無い。
「はぁ……ついた……」
なんとか学校近くのコンビニに駐車することが出来た。彼女に連絡を入れて車を降りて、コンビニで飲み物を買う。気付いたらレジ横の肉まんも一緒に買ってしまった。
コンビニを出ると、ちょうどこちらに向かって歩いてくる咲ちゃんが見えた。私を見つけると、一緒に居たバンドメンバーと別れて駆け寄ってきて、私を抱きしめた。
「わっ。咲ちゃん、冷たいね」
「ふふ。そうなの。だから温めて」
「さっきね、肉まん買ったんだ。半分こしようね」
「わーい」
「……とりあえず離してくれないかなぁ」
「はーい」
車のロックを解除して、運転席に乗り込む。「お邪魔します」と彼女が助手席に乗り込む。彼女が隣に居ると思うと、行きより緊張してきた。とりあえず肉まんを食べて落ち着こう。
「あ、あれ? 半分くれるんじゃないんですか?」
悲しそうな彼女の声でハッとする。半分こするつもりがそのままかじり付いてしまった。
「なんですか未来さん。もしかして私と間接キスしたかったの? そんなことしなくても普通にキスすればいいのに」
彼女は揶揄うように言いながら、顔を寄せて、流れるように私の唇を奪った。そして動揺している隙に、私の持っている肉まんを奪い、何食わぬ顔でかぶりつく。
「あっふ……うまっ」
「も、もう! 咲ちゃん!」
「あははっ。大丈夫大丈夫。全部食べたりしないって。ほら、あーん」
彼女の手から差し出された肉まんを一口かじると、彼女はわざわざ私がかじったところから食べすすめていく。
そうして交互に肉まんをかじりあって、なくなると、彼女はもう一度私の唇を奪った。そして「肉まんの味がするキスってなんかやだね」と笑った。
「そう思うならいちいちちゅーしないでよぉ……」
「あははっ。だって未来さん、ガッチガチに緊張してるんだもん。ちょっとほぐしてあげようと思って」
「……違う意味で心臓がバクバクです」
「ふふ」
「ちょっと、落ち着いてから出発します」
「はーい。あ、先に私の家に寄ってもらっていい? チョコ置いてきたから」
「ん。了解」
「カーナビセットしますねー」
「運転中はちょっかい出さないでね」
「流石にそんな危ないことしないよ」
「シートベルト締めて」
「はい」
買ったお茶を飲んで、一息ついて、サイドブレーキとミラーを確認してエンジンをかけて、カーナビに従いながら車を走らせる。
「……」
「……」
気を遣ってくれているのか、彼女はずっと黙っている。逆に落ち着かない。
「音楽かけても良い?」
「う、うん」
音楽が流れる。沈黙よりはマシだが、何が流れているか頭に入ってこない。
「じゃあ、ちょっとチョコレート取ってきます」
「うん」
彼女の家の前で車を停めて、一息付く。疲れた。けど、ここからまだもう少しある。
「未来さん、大丈夫? 車返して、ここからは電車で行きますか? ちょうど近くだし。実家から借りてきた車でしょ? これ」
「……うん」
気を使わせてしまった。彼女の言葉に甘えて、車を実家に返して歩いて家に帰ることに。
情けない。情けなさすぎて泣けてきてしまった。たまには、カッコいいところを見せたかったのに逆効果だ。
「泣かないで。未来さんは今『カッコ悪いところ見せちゃった』って落ち込んでるだろうけど、運転してる時の未来さん、真剣な顔しててカッコ良かったですよ」
「……そんなことないよ。カッコつけておきながら結局気を使わせちゃって、今私、めちゃくちゃダサいじゃないか」
「そんなことないよ。可愛いよ」
「……カッコいいって思ってほしかったの」
「そういうところ可愛い」
「むぅ……」
「ふふ。帰ってチョコレート食べて、元気出しましょう。楽しみだなぁ未来さんのチョコレート」
綱渡りをするように縁石の上を歩きながら、彼女は楽しそうに言う。
彼女はこれくらいで冷めたりしない。分かっている。けれど、やっぱり悔しいものは悔しい。
「ドライブも良いけどさ、こうやって歩いてると、手繋げるから良いよね。車運転してたら繋げないじゃん?」
そう言って彼女は私の顔を覗き込み「ね?」と笑う。
私の失敗をポジティブに変えてくれる。こういうところが好きだ。だけど今は、私の方が二つも年上なのに悔しい。という気持ちが勝ってしまい、彼女と目を合わせられずに「そうだね」と素っ気ない返事をしてしまった。
なんだか少し気まずい空気のまま、家に着く。
「ねぇ、未来さん。いい加減元気出してよ」
「……だって」
「私は気にしてないってば」
「私が気にするの」
「んもー……可愛いって言ったのは、別に揶揄ってるわけじゃないんですよ?」
「分かってるよ。分かってるけど」
「ほら、チョコレート食べて元気出して」
そう言って彼女はカバンから小さな紙袋を取り出した。受け取り、お返しに冷蔵庫で冷やしておいたチョコレートを渡す。
彼女がくれたのはチョコレートクッキー。シンプルな丸型で、ちょっとほっとする。去年は動物型で食べづらかったから。あれも可愛くて良かったけれど。ただの丸なら遠慮なく食べられる。サクサクで美味しい。
「あれ、今年は手作りじゃないの?」
「ううん。手作りだよ」
「えっ。凄い。ちょっとお高めな専門店で売ってるやつだと思った」
「普通の板チョコで作った普通のトリュフチョコだよ」
「ほえー」
彼女の驚いた顔を見ていると、自然と笑みが溢れる。するとそれに気づいた彼女は「機嫌直りましたね」と笑う。だけどやっぱり今は、その笑顔にムカついてしまう。
今日は彼女の大人な対応にドキドキさせられてばかりで悔しい。私がドキドキさせるつもりでいたのに。どうしたらドキドキさせられるだろうかと考えていると、彼女にあげたチョコレートが視界に入る。一粒とり、咥える。
「ん」
「えっ」
「……ん」
「は、はい」
溶けちゃうから早くと急かす。流石の彼女も動揺しつつ、私の唇からチョコレートを取る。ドキドキさせるつもりが、こっちがドキドキしてしまった。
「……美味しい?」
「……味分かんないから、もう一個ください」
「じ、自分で食べてください」
「んじゃあ……」
彼女の手が私の持っている紙袋に向かって伸びる。そして取り出したクッキーを咥えると、私がしたように「ん」と差し出す。
ドキドキしながら、彼女の咥えたクッキーを口で受け取る。
「どう?」
「……味分かんない……」
「でしょ。もう一個食べます?」
「ふ、普通に食べるから良い」
「そっちからしたのに。……ほんと、あなたって、可愛い人ですね」
悪戯っぽく笑って彼女は言う。悔しいが、やはり彼女には敵わないらしい。
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