93話:ファンレター
バレンタインデー当日。引き出しに入れたクッキーの無事を確認してから、家を出る。
電車に乗っていると、近くの高校生の会話が聞こえてくる。女子も男子もバレンタインの話題で持ちきりだ。私も少し浮かれている。未来さんは、今年は何を作ってくれたのだろうか。去年貰ったガトーショコラの味を思い出しながら『部活終わったら行きますね』と彼女にメッセージを送る。すると『車で迎えに行くから終わったら連絡して』と返ってきた。免許を取ったとは聞いているが、大丈夫だろうか。心配すると『頑張る』と親指を立てる絵文字付きで返ってきた。『じゃあ待ってます』と返してスマホをしまうと「咲先輩」と声をかけられた。れいちゃんだ。
「お。れいちゃんおはよう」
「おはようございます。はいこれ。義理チョコです。部員全員に配る予定なので、深い意味はないです」
「あははっ。分かってるよそんなの。で、本命のチョコは?」
「……持ってますけど、見たいんですか?」
「見たーい」
「じゃあ先輩のも見せてください」
「私は家に置いてきたよ。同じ学校じゃないから持って来ても渡せたないもん」
「フェアじゃないです」
「えー。いいじゃない別に」
渋々、彼女はカバンの中からハート型のラッピングされた箱を取り出した。
「そのタイプのやつ漫画とかではよく見るけどリアルで見たのは初めて」
「は、ハートはやっぱり恥ずかしいですかね……」
「ふふ。いいんじゃない? 一目で本命だって分かるし」
「……だから恥ずかしいんですよ」
「三船さんだっけ。どんな人?」
「えっと……小桜先輩と王子先輩を足して二で割った感じです」
「なにそれ最強じゃん」
「玲楽」
「あ、
噂をすればなんとやら、隣の車両から大人っぽいお姉さんが移動してきた。なるほど、確かにこのエロ——もとい、大人っぽい雰囲気は小桜さんに似ているかもしれない。
「初めまして。
「初めまして。松原咲です」
「あぁ、音楽部の」
「うん。あまなつのベース兼作曲担当です」
「うちの玲楽がお世話になってます」
「うちのって」
「ふふ。松原先輩の話は玲楽からよく聞いてますよ。妬いちゃうくらい聞いてます」
「私そんなに咲先輩の話してる?」
「してるわ。妬いちゃうくらい。私も音楽部入ろうかしら。確か……玲楽のところ、キーボード居なかったわよね?」
「居ないけど……歌羽、絶対真面目にやる気ないでしょ」
「ふふ。大丈夫よ。冗談。けど……玲楽、可愛いからあんまり目立たないでほしいわ」
そう言ってれいちゃんに抱きつく三船さん。
「……べたべたしすぎ」
「いいじゃない。女の子同士だし」
ふと、どこからか『あの二人、絶対付き合ってるよね』『私、ナマモノは苦手だからやめて』という声。他校の女子二人。よく見ると『ナマモノは苦手』と言った方は同じ中学だった同級生だ。GL好きで意気投合したものの『リアルの同性愛は引く』と笑って居た彼女。私に気付くと、気まずそうに目を逸らし、友人を連れて去っていった。
私がレズビアンであることは、どこから漏れたか知らないが、中学の同級生の間で広まっているらしい。恐らく彼女もそれを知ったのだろう。何も知らずに『リアルの同性愛は引く』と言ったことに対する罪悪感故か、私が同性愛者であることに対する嫌悪感故かの行動かは知らないけれど、どうか前者であってほしい。
「……松原先輩も女性と付き合ってるんですよね」
「うん。そう。レズビアンなんだ。私」
近くで話していた男子高校生がこちらを見た。ニヤニヤして、こちらをちらちら見ながら『リアル百合じゃん』『マジでいるんだな』とくだらない話をしているが、三船さんは気にせず会話を続ける。
「彼女さんどんな人ですか?」
「可愛いよ。もうほんと、天使みたい」
「歳上?」
「二個上」
周りの視線も声も気にせずに惚気合う。周りに聞こえるように、だけど迷惑にはならない程度の、少し大きめの声で。私達の方を見ながらひそひそ話していた男子達を睨むと、気まずそうに目を逸らした。そうだよ。お前は聞かれたら気まずくなるような話をしていたんだ。それを自覚して一生恥じればいい。私は何もしていない。何も悪いことはしていない。恥じるべきはお前達の方だ。そう、電車が駅に着くまで毅然とした態度を貫き通した。
学校についた。れいちゃん達と別れて教室に向かう。扉を開けた瞬間、むせ返りそうになるほど甘い匂いが漂ってきた。チョコレートを配って周っているクラスメイト達のせいであることは一目瞭然だ。
「まっつんもどうぞ」
「ありがとう」
チョコレートを一粒受け取り、クラスメイト達に断って窓を開ける。ふと下を見ると、物陰に二人の男子生徒。背の高い方がチョコレートを渡すと、もう一人の背の低い男子が背伸びをして頭を撫でた。良い雰囲気だ。BL好きのクラスメイトに見つかって騒がれる前にそっと窓を閉めると「まっつん」と呼ばれた。振り返ると、クラスメイトから手紙を渡される。
「一年の女子からまっつんに渡してって」
席に戻って中身を見る。小さなチョコレートが一粒出てきた。手紙にはこう書いてあった。
『あまなつのベース担当としての松原咲先輩もですが、作曲家としての松原咲先輩が好きです。先輩の作る音楽が大好きです。これからも頑張ってください』と。
内容はどうやら、ただのファンレターのようだ。差出人の名前はない。本命だと困っちゃうけど、こういうファンレターは素直に嬉しい。頑張ろうと思える。
先輩達やデルタの三人はそのままプロを目指すらしいけれど、私達は高校を卒業したら解散する予定になっている。音楽をそのまま仕事にしたいと思っているのは私となっちゃんだけだ。なっちゃんは歌手、私は作曲家。だから、あまなつのベース担当ではなく、作曲家として評価して貰えるのは凄く嬉しい。
プロへの道はきっと険しい。だけど、私の作る曲を好きだと言ってくれる人達がいる。例えプロになることを諦める日がきても、曲を作ることは辞めないと、一通のファンレターと一粒のチョコレートに誓った。
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