75話:モヤモヤも一瞬で吹き飛ぶほどに

 翌日。今日は文化祭二日目。なのだけど、今日は体調が良くない。


「うー……ごめんね咲ちゃん……」


「良いですよ。兄貴が動画撮ってくれるから、後で送らせます」


「ありがとう……」


「お大事に。文化祭終わったらすぐに行くからね」


 電話越しの彼女の優しい声が沁みる。こういうところ、本当に好きだ。それにしても、こういう時一人暮らしは不便だ。看病してくれる人が居た有り難さがよく分かる。


「……昨日の咲ちゃん、なんだかいつもよりカッコ良かったなぁ」


 昨日彼女達が披露したのは、さまざまな人の恋をテーマにした曲。人の恋心を否定するなという強い怒りが伝わってくる曲だった。

 ボーカルの夏美ちゃんも、彼氏のことを悪く言われることは少なくないらしい。彼氏の森くんはいつも可愛らしい服装をしている。メイクをして、スカートを穿いて、声を聞かなければ女の子にしか見えない。ゲイなのかとか、トランスジェンダーなのかとよく勘違いされるが、心も身体も男性で、異性愛者。私も最初はトランスジェンダーの女の子だと思っていた。けれど、それもまた偏見だったと気づいた。由舞ちゃんの恋人はトランス女性だけれど、いわゆる女性らしい格好は苦手らしい。一人称はで、女性口調は使わない。物腰が柔らかいけれど、話していると落ち着いた大人の男性という感じだ。だからなのか、心が女性だと話してもあまり理解して貰えないのだとか。男らしさ、女らしさとはなんだろうと最近つくづく思う。


「いたたたた……うー……」


 毎月くる生理が嫌で、男の人が羨ましいと思ったことがある。初めて生理がきた時、お母さんに赤飯を炊かれてお祝いされて困った。けれどそれは、性別違和とは違う。こういう風習や体質が嫌なだけで、手術を受けて戸籍を変更したいとまでは思えない。そもそも生理があることが嬉しいと思う女性なんてほとんど居ないと思う。

 自分の性別に違和感があるとはどういう感覚なのだろうか。多分、それは私には一生理解出来ないだろう。けれど、それで良いのだと由舞ちゃんの恋人は言っていた。理解した気になられる方が厄介だと。理解は要らないから、そういう人間なんだなと認めてくれるだけで良いと。

 彼女の気持ちはよくわかる。私も「私はレズビアンに対して理解があるから大丈夫だよ」と言われるとモヤっとしてしまう。気を使わずに今まで通り接してほしい。そもそも私は女性と付き合っているだけで、レズビアンではないと思う。じゃあ何なのかと問われると、はっきりとはわからないし、上手く説明出来ないから、レズビアンだと思われてもなかなか「違うよ」と言いづらい。正確には違うけれどめんどくさいからそれで良いかなと思ってしまう。けど、本当にセクシャルマイノリティに対して理解がある人なら、女性と付き合っている女性が全員レズビアンであるわけではないことは分かっているはずだ。

 差別は無知から生まれる。鈴木さんの口癖。私はその言葉に何度も救われてきた。けれど最近は思う。知っていても差別してしまう人はいるのだと。知ることも大事かもしれないけれど、自分の心の中にも存在している差別心や偏見を認めて向き合うことも大事なのだと思う。鈴木さんや咲ちゃんは多分、私より先にそのことに気づいていたと思うけれど。


 鈴木さん達に出会わなかったら、咲ちゃんが私に恋をしなかったら、私はどんな人生を送っていたのだろう。セクシャルマイノリティとは無縁な人生を送っていたのだろうか。男性に対する苦手意識を克服して、男性と恋愛をしていたのだろうか。今ではもう想像もつかない。


 ふと、スマホの通知音が鳴る。咲ちゃんからだ。お弁当の写真が送られてきた。もうそんな時間か。お腹は空いているが、作る気力はない。コンビニで何か買ってこようかと思い、重い腰を持ち上げて家を出る。

 十月だというのに、まだ残暑が厳しい。秋が待ち遠しい。しかし、寒くなったら寒くなったで、今度は春が待ち遠しくなるのだろう。

 日曜日だからか、街には学生らしき人も少なくない。


『あれ。笹原さんじゃない?』


『笹原さん?あー、例の?』


『女と付き合ってるっていう?あれ、マジなの?』


 なんだか、私の噂と思われる話が聞こえてきた。声のした方を見ると男女グループの中の一人と目が合い、逸らされた。

 私は昔から、あまり目立つタイプではない。むしろ、空気だったと思う。咲ちゃんと付き合っていなかったらここまで注目を浴びていただろうかと思うと複雑な気持ちになる。ただでさえ憂鬱な気分なのに。さっさとご飯買って家でゆっくりしよう。


「ありがとうございましたー」


 コンビニでおかゆを買って家へ。

 買ってきたおかゆをレンジで温めて口に運ぶ。割と本格的な味がする。中華料理屋のメニューにありそうだ。値段はちょっとするけど、まぁ、妥当な味だ。お店で食べたらもっと高くつく。


「ごちそうさまでした」


 片付けて、時間を確認する。彼女からもらったプログラムによると、文化祭が終わるのは午後三時。あと二時間もある。勉強も読書も何もする気が起きない。お腹いっぱいになったら何だか眠くなってきてしまった。食べてすぐ寝るのは良くないが——




 ——インターフォンの音と、スマホの着信音で目が覚める。誰からの着信か確認もせずに出ると「あ、良かった。生きてた」と、咲ちゃんの笑う声が聞こえた。


「文化祭終わったから来ましたよ。今、家の前にいます」


「開けに行く。ごめんね。ちょっと寝てた」


「待ってまーす」


 玄関を開けると、彼女が「おはよう」と笑う。女性と付き合っているというだけで注目の的になることは正直辛い。けど、そんなことで彼女を手放せばきっと一生後悔する。こんな素敵な人、二度と出会えない。大切にしたい。


「わっ。なに? 何かあった?」


「……甘えてる」


「寂しかった?」


「寂しかった」


「そっか」


 玄関を閉めると、彼女は私を抱き上げてベッドに座った。そして髪を撫でて笑い、唇を重ねる。唇の柔らかさ、彼女の体温、頭を撫でる優しい手つき、私を呼ぶ甘い声——何もかもが愛おしい。


「咲ちゃん。好き」


「私も大好き」


 そう笑い合ってまた口付けを交わす。


「咲ちゃん」


「ん?」


「これからも、よろしくね」


「はい。よろしくお願いします」


「ふふ」


 苦しいこと、モヤモヤしてしまうことは多い。けれど、そのモヤモヤなんて些細なことになってしまうくらい、私は彼女から幸せをもらっている。

 何とでも言えば良い。何を言われたって私はそう簡単にはこの子を手放したりしない。そう思えてしまうほどに。

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