68話:可愛いって言って
九月も終わりに近づき、体育祭の競技練習が増えると同時に、七希くん、こなっちゃん、雛子あたりのため息が増えてきた。体育苦手組だ。七希くんはちょっと意外だけど、運動は苦手らしい。しかし、ダンスだけは得意なのだとか。
「体育祭なんて必要ないと思う」
「分かります」
「ヒナも体育祭苦手だなぁ〜……足引っ張っちゃうからぁ……」
「まぁ、やれることを頑張ればいいよ。私達がカバーするから大丈夫」
「やぁーんまっつんイケメーン。好きになりそう」
「雛子にはパンちゃんが居るだろ」
「えへへーあんまりこういう冗談言ってると怒られちゃうねー」
夏休み中に色々あったらしく、雛子は今パンちゃんこと米田小麦ちゃんと付き合っている。夏休み入る前は失恋して落ち込んでいたが、今はもうすっかり吹っ切れて次の恋を楽しんでいるらしい。
「はー。恋してぇー」
「ありゃ。ななちゃん、また彼氏と上手くいかなかったの?」
「うん。『姉と俺どっちが大事なわけ?』って聞かれたからお姉ちゃんって答えたらフラれた」
「それはフラれるわ」
と、苦笑いしながら言ったのは空美さんだ。
「しょうがないじゃん。お姉ちゃん以上に好きな人なんて出来ないもん……」
「あはは……」
「……ちるもポチと実さんどっちが大事かって聞いたらポチって即答しそうだよな」
なっちゃんがぼそっと呟く。するとヴァイオリンを片付けていた実さんから「そうね」と返ってきた。
「うわっ、聞こえてました?すみません」
「良いのよ。別に。わたしだって、満より新の方が可愛いと思ってるし」
「分かる。弟の方が素直で可愛いよな」
一条兄妹に真顔で褒め倒され、戸惑う新くん。柚樹さんは本気かもしれないが、実さんの方はただ拗ねているだけのように見える。しかし、姐さんはなんだかんだで実さんのことが好きだと思う。好きじゃなかったら付き合ってないだろうし。まぁ、弟の方が大事というのも本音かもしれないけど。
「実さん居るー?って、おい。柚樹さん、人の弟に何してんだこら」
噂をすれば姐さんがやって来た。赤を基調としたドレスを着て、髪型もいつもと違う。編み込んで横に流している。
「あ、姉ちゃん。衣装出来たんだ」
「おう。だから実さんに見せに来たんだけど……」
実さんは姐さんを見て固まってしまっている。それを見て姐さんは「見惚れちゃった?」と悪戯っぽく笑った。実さんはハッとして「そんなわけないでしょう」と真っ赤になった顔を逸らした。相変わらずツンデレだ。
「満ちゃんは今回何役なの?」
「ロミジュリのジュリエット」
それを聞いた瞬間「『家の事情とか知るかよ』とか言ってロミオのこと連れ去りそう」「絶対モンタギュー家に正面から乗り込むでしょ」「追ってくる両家の人間片っ端から殴り倒しそう」「ロミオに背中預けて戦ってそう」「ロミジュリってバトルアクションだっけ」と、私が思ったことと似たような感想が次々と部員達から上がる。
「好き勝手言いやがって」
「そもそも貴女、恋したことないくせに、ジュリエットの気持ち分かるの?」
実さんが姐さんの方を見ないまま意地悪く言う。
「正直理解は出来ない。私がジュリエットなら、正面から殴り込むもん」
部員全員の「でしょうね」という声が綺麗にハモる。
「確かに私は恋のことはよく分からない。だからジュリエットにもロミオにもティボルトにも共感出来ないし、どうしてあんなに必死なのか理解出来ない。けど『どうしてあなたはロミオなの』と言いたくなるジュリエットの気持ちは分かるよ」
「貴女に分かるわけないでしょう。そういう気持ちになったことないくせに」
「無いよ。でも分かる。『何もかもを捨てて貴女と一緒になりたい』っていう重っ苦しい感情を、私自身が誰かに抱いたことはなくても、あんたから散々向けられてきた。そして受け止めてきた。だから、ロミオを想うジュリエットがどういう表情をしているかはちゃんと想像出来てるよ。見てきたから」
姐さんが真剣な表情でそう言うと、実さんの顔がみるみるうちに真っ赤に染まっていく。聞いていた私も恥ずかしくなってきた。
「思ってないわよそんなこと!自惚れんなクズ!馬鹿!もう帰って!」
「えー。まだ可愛いって言われてないんすけどー」
「可愛くない!何一つ可愛くない!」
「もっと素直になってくれても良いんですよ。二人きりの時みたいに」
「もー!うるさい!さっさと帰って!」
顔を真っ赤にしながら姐さんを部室の外に押し出す実さん。そのまま鍵をかけると、顔を抑えてその場にしゃがみ込んでしまった。
「ちる姐さんドSだからなぁ」
「まぁ、ツンデレ弄りが楽しいのは分かる」
と、空美さん。空美さんも割とドSなところはある。彼氏もよくいじられている。
「……いじってたというか、今日の姉ちゃんはただ、拗ねてたように見えたけど。実さんが可愛いって言ってくれないからじゃないかなぁ」
「……絶対言ってやらない」
「言ってあげてくださいよ」
「嫌。絶対嫌。絶対調子乗るもの」
「意地っ張り」
「ふんっ」
「意地張ってばかりだと愛想尽かされちゃいますよー」
新くんにそう諭されると、実さんはため息を吐き、部室を出て行った。しばらく外で何か言い争っていたかと思えば、顔を真っ赤にしながら帰ってきて、再び鍵をかけて顔を隠してしゃがみ込んでしまった。
「もうやだ……なんであいつ今日あんな可愛いのよ……」
と、口から本音が漏れてるが、聞かなかったことにしておこう。
ちなみに、帰りにすれ違った姐さんは鼻歌を歌いながら歩くほど上機嫌だった。新くんの言う通り、可愛いと言って貰えなくて拗ねていたのだろうか。意外と姐さんにも案外めんどくさくて可愛いところがあると知って、ますます彼女のことが好きになった。まぁ、未来さんの可愛さには勝てないけど。
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