57話:実ちゃんのお兄さん

 それから数日後。七月も終わりに近づいて来た頃。その日は桜ちゃんが居らず、一人で食堂で昼食を食べていると、一人の男性が声をかけてきた。桜ちゃんの彼氏さんだ。


「ど、どうぞ」


「ありがとう」


 周りから視線を感じる。彼氏が物凄くモテると、桜ちゃんはよく不満そうに語っている。同級生の女の子達もたまに彼の話をしている。


安藤あんどう和希かずきです。桜の彼氏で、空美の兄です。君のことは聞いてるよ。笹原未来さん。桜と仲良くしてくれてありがとう」


「あ、は、はい。笹原未来です」


「ふふ。ごめんね急に。前から、話してみたいなぁと思ってたんだ。桜、最近君の話ばかりするから。妬いちゃうくらい」


「えっ。あ、ご、ごめんなさい」


「あははっ。冗談だよ」


 なんだか、雰囲気が空美ちゃんや鈴木さんに似ている。流石親戚だ。


「おや。珍しいな和希。君が冬島さん以外の女の子と楽しそうに話しているなんて」


 和希さんの隣に声の大きい男性が座る。


「浮気か?」


「人聞きの悪いこと言わないでくれよ麗人れいと。彼女は桜の友達の笹原さんだよ」


「笹原さん……あぁ、噂の一年生か」


「噂?」


「あぁ、いや、こっちの話だ。気にしないでくれたまえ。私は財前ざいぜん麗人れいと。和希の同級生だ」


「笹原未来です」


「麗人の妹も青商に居るんだけど、知ってるかな。君より二つ下の美麗ちゃんって子」


 財前美麗さん。咲ちゃんの同級生で、バンド仲間の子だ。父親が政治家、母親が弁護士で家がお金持ちだということで有名だった。


「あー。なるほど。麗人の親御さん、目立つ経歴だもんねぇ……」


「うむ。父も母も私の誇りだよ。正直、ちょっとプレッシャーはあるが……『他人と自分を比較しなくていいから、過去の自分と今の自分を比較しなさい』というのが父の教えなんだ」


「なるほどね。そりゃ自己肯定感の塊になるわけだ」


「む。なんだか、表現に悪意がある気がするが」


「あははっ。気のせいだよ」


 それにしても、周りの視線が気になって食事に集中出来ない。


「お。杏介が席探してる」


杏介きょうすけ! ここ空いてるよ!」


 麗人さんが叫ぶ。彼が手招きする先には一人の男性。男性はこちらを向いたが、無視をして別の場所に行ってしまった。かと思えば、どこも空いてなかったのか、戻って来て麗人さんの正面に座った。


「くそっ。ここしか空いてない……」


「この時間は混むからね」


「ははは! 残念だったね杏介! まぁ座りたまえよ!」


「うるさい……」


 麗人さんに肩をバシバシ叩かれながら不機嫌そうにラーメンを啜る彼は、一条いちじょう杏介きょうすけさん。麗人さんと和希さんの同級生で、三人は高校時代からの付き合いらしい。


『見てあれ。蒼大のスリートップが揃ってる』


『何あのモブ女。あの三人とどういう関係?』


 ひそひそと声が聞こえてくる。もしや、モブ女とは私のことだろうか。確かに、この三人と居ると何だか場違いな気がする。


『あっ。あの子あれじゃない?ほら噂のレズビアンの子』


 誰かがそう言った瞬間、杏介さんの手がぴたりと止まった。そして目が合う。


「な、何か?」


「……いや、別に」


 何故か気まずそうに目を逸らされた。


「……ねぇ、笹原さんの彼女ってどんな子?」


「お、おい。和希」


 麗人さんが「こんなところで聞く話じゃないだろ」と止める。


「ん? でも笹原さん、隠してないんでしょ?」


「は、はい」


「じゃあ良いよね?」


「はい。……あの、むしろ、普通に聞いてもらえる方が嬉しい……です。き、気を使われる方が……気まずい……です……」


「だってさ。麗人」


「そ、そう……か……すまなかった。余計な気遣いをしてしまったようだな」


「……いいえ。ありがとうございます」


「彼女さん、空美と部活が一緒なんだっけ」


「はい。えっと、空美ちゃんより一つ下です。あ、れ、麗人さんの、妹さんと、同じバンドで。えっと、ベースやってます」


「あぁ……家に来たことがあるな。ベースというと……あの背が高い子か……確か……松原さんだったか」


「は、はい。そうです」


「ん? 松原? もしかして、伊吹の妹?」


「あ、は、はい」


「ふーん……そうかぁ……なるほど」


 なんだろう。さっきから杏介さんとちらちら目が合う。私に何が言いたいことがあるのだろうかと思ったが、何も言わずに食事を終えて去っていった。




 その日の帰り。杏介さんに呼び止められた。


「この後用事あるか?」


「えっと……家に帰るだけです」


「そうか。少し聞きたいことがあるんだが」


「な、なんでしょう」


「……月島満という女を知っているか」


「月島さん……ですか?」


「あぁ。青山商業二年の月島満だ」


「えっと……知って……ます……」


「会わせてほしい」


「え?えっと……」


 急に言われても困ってしまう。


「な、何故、月島さんに?」


「……一条実のことは知っているか?」


「は、はい」


「俺の妹だ。……ここまでいえばわかるか?」


「……妹の恋人が……どんな人か知りたい……ということ……ですか?」


「そういうことだ。妹と弟には内密に頼む」


「は、はい。わかりました。月島さんと話してみます」


「あぁ。頼む。これ、俺のIDだ。教えてやってくれ」


 LINKのIDを渡して、杏介さんは去って行った。

 家に帰り、月島さんに連絡を入れる。


『実さんのお兄さん?私は会いたくないんすけど』


 即答され、苦笑いしてしまう。連絡だけでもしてあげてと、彼のIDと共に送る。『嫌なんすけど』と文字が入った、嫌そうな顔をする犬のスタンプが送られてきた。何故そこまで嫌なのだろう。問うと、どうやら実ちゃんから聞く印象があまり良くないらしい。私が話した感じだと悪い人には思えなかった。それを伝えると彼女はやれやれと両手を広げて首を振る犬のスタンプを送ってきた。そして『分かりましたよ。話してみます』と返してくれた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る