55話:こんな夜も悪くない

 それから五日後の金曜日の放課後。


「お。松原さん。なんか今日ご機嫌だね」


「今日久しぶりに未来さんの家にお泊まりなので」


「あぁ、なるほど。……頑張ってね」


「ん?頑張る?何が?」


「いや。こっちの話」


 鈴木くんに意味深なことを言われたことがひっかかりながら一度家に帰り、食事だけ済ませてから着替えを持って未来さんの家へ向かう。インターホンを押すと、天使が出迎えてくれた。生で見るのは実に二週間ぶりだ。


「うわっ。生未来さんだ。可愛い。やばい。可愛さに殺される。久しぶりすぎて眩しい」


「あはは……相変わらず大袈裟だなぁ」


 とりあえず扉を閉めて中に入り、抱きしめる。「うみゅー」と鳴った音が可愛いくて、余計にキツく抱きしめてしまうと「苦しいよ」と背中をバシバシ叩かれた。


「あはは。ごめん。可愛くてつい」


 それにしても、相変わらず柔らかくて温かくて良い匂いがする。まだお風呂入っていないはずなのに。夏なのに。風呂に入っても男臭い父や兄とは大違い。癒される。


「はぁ……未来さん可愛い……好き……」


「……学校で何かあった?」


「ううん。別に何も。ただ、未来さんに会えなくて寂しくて。はぁ……私もこっちに引っ越そうかなぁ」


「私は良いけど……親御さんは?」


「……親からは高校卒業するまでは家に居ろって言われてまーす」


「じゃあ、あと一年半待とうね」


「うえーん!未来さんは寂しくないんですかぁ!」


「私も寂しいよ。けど、久しぶりに会うとこうやって、会えなかった時間の分までいっぱいぎゅーってしてくれるから、全然頑張れるよ」


「なんですかそれ!可愛い!食べちゃいたいくらい可愛い!」


 たまらなくなり、つむじにキスをする。それだけでびくりと飛び跳ね、背中に回された腕に力がこもるのを感じた。

 それだけでムラッとしてしまった。久しぶりだから、スイッチが緩んでしまっているのかもしれない。


「……未来さん」


 胸に埋められている顔を上げさせて、顔を近づける。すると、手で遮られてしまった。


「お、お風呂入ってきます!」


 そう言って彼女は私を突き離して逃げて行ってしまった。


「えー……何あれ。可愛い」


 逃げられたショックはあるが、可愛いが勝る。しかし、どうしたんだろうか。今日はちょっと様子がおかしい。

 彼女の様子がおかしい原因を考えていると、脱衣所の方からドライヤーの音が聞こえてきた。彼女が風呂に入ってまだ十分も経っていない。いつもは長風呂なのに。やはりおかしい。


「お、お風呂、どうぞ」


「……早くない?」


「湯船浸かると暑いから……」


「エアコンで身体冷えてるだろうからちゃんと温めた方が良いと思うけどなぁ」


「い、良いから、お風呂入ってきて。……お部屋で、待ってるから」


「……はっ!そわそわしてたのってもしかしてそれ「い、良いから!ゆっくり入ってきて!」」


 脱衣所に押し込まれた。慌てるような足音が遠ざかっていく。


「……いや、ゆっくりって。無理でしょ」


 五分で済ませて、ドライヤーで髪を乾かして洋室へ。ノックもせずに入ると、ベッドに座って爪を磨いていた彼女が目を丸くして私を見た。隣に座る。


「は、早くない?」


「相当楽しみにしてるみたいだったから。急いで来ちゃったわん」


「う……ま、待って、まだ爪磨いてる」


「えー。なんで今このタイミングなんですか」


「だって……その……傷つけちゃうといけないから……」


 目を逸らしながら呟かれた言葉で、ようやく、未来さんがそわそわしていた理由を察する。


「……あの、もしかして今日、私が抱かれる側ですか」


「……うん。嫌?」


「えっと……」


 想像しただけでむず痒くなる。嫌なわけではない。けど、彼女から抱きたいと言われることなんて一度も想像したことがなかった。


「え、えいっ!」


「わっ……!」


 プチパニックになっているうちにベッドに押し倒され、彼女の身体がピッタリと重なる。私の胸に顔を埋めて、彼女はぽつりと呟くように言う。


「……咲ちゃん。私、咲ちゃんが好きだよ」


「……それは伝わってますよ」


「うん。……好きだから、したいって思ったの」


「それも……わかります」


「……もう一回聞くね。されるのは嫌?」


「……未来さんは、したいんですよね」


「うん。けど……君が嫌ならしたくないよ」


「……嫌じゃないです。ただちょっと、戸惑ってるだけです。いつも……する側だから。私はそれで満足してたし、したいなって思うことはあっても、してほしいってあんまり思ったことなくて。未来さんからしたいって言われることも想像したことなくて。ちょっと、びっくりしてます。けど、嫌じゃないですよ。全然。むしろ……嬉しい」


 彼女が身体を起こして、私を見下ろす。私の顔見て目を丸くして、そして「君もそんな顔するんだ」とふっと悪戯っぽく笑った。なんだか恥ずかしくて顔を逸らすと、するりと、彼女の手が服の中に入ってきた。少し撫でられただけなのに心臓がうるさいくらい高鳴る。


「……脱がすよ?」


「……ど、どうぞ。好きにしてください」


 パジャマのボタンが外される。

 彼女の手が、指先が、唇が、舌が、私の素肌の上を這う。

 心臓がうるさいのに、彼女の息遣いや甘い声がはっきりと聞こえる。

 どういう顔してるんだろうと視線を向けると、目が合った。近づいてきて、唇に軽くキスをして、微笑んで、頭を撫でて、またゆっくりと、一箇所一箇所丁寧に口付けながら下へ降りて行く。

 彼女の吐息が、甘い声が、リップ音が、水音が、私の甘い声が、吐息が部屋に響く。余計な言葉が無いからか、そういった卑猥な音や、彼女の感触に脳が集中してしまう。


「未来さ……ん……っ……」


「……咲ちゃん、気持ち良さそうな顔してる」


 そう言って彼女は嬉しそうに笑う。その顔を見てしまったら、やっぱり色々と無理だから交代して欲しいとは言えなくなってしまった。


「咲ちゃん可愛い……好きだよ。愛してる」


 と、ここにきて突然、耳元で愛の囁きという名の言葉責めが始まる。ヤバい。


「ここ好き?」


「う……す、好きです……」


「気持ち良い?」


「は……い……」


「痛くない?大丈夫?」


「だ、大丈夫です」


 触れ方が丁寧だ。大切にされていることが嫌でも伝わってくる。

 絶叫するような激しい快楽は無いけれど、マッサージをされているような心地よさがずっと続いている感じ。絶頂までの道のりを、手を引かれながらゆっくりと歩いている感じ。たどり着いたらそのまま寝てしまいそうなくらい気持ち良い。脳が蕩けそうだ。


「未来さ……ん……っ……」


「良いよ。たくさん気持ち良くなって」


「っ……好きです……愛してます……」


「私も。大好きだよ」


「知ってます……触れられた場所から……めちゃくちゃ伝わってきます……気持ち良すぎて……おかしくなりそう……」


「おかしくなって良いよ」


「あっ——!」





「咲ちゃん、お水どうぞ」


「……ありがとう」


 終わった。まだ頭がふわふわしている。


「……めちゃくちゃ気持ち良かったです」


「ほんと?良かったぁ」


 上手く出来るか不安だったんだと笑う彼女。最中にやたらと目が合ったのはそういうことか。


「色々調べてたらね、するのは良いけどされるのは嫌って人も居るって知って……咲ちゃんはどうなんだろうって、ちょっと不安だったんだ」


「あーなるほど。……最初は戸惑いましたけど、私は全然そんなことないですよ」


「うん。良かった」


「……」


 けど、されっぱなしは性に合わない。

 水をサイドテーブルに置く。何かを察したのか、未来さんが私と距離を取って手を構えてファイティグポーズを取った。捕まえて、抱きしめて、そのまま転がってベッドに組み敷く。


「されるのは嫌じゃなかったけど、されっぱなしは嫌なんで、仕返しさせてください」


「……やだ」


「えー」


「……いつもしてるじゃないか」


「それとこれは別でしょ」


「……むぅ。さっきまでは可愛かったのに」


「ふふ。可愛くない攻めモードの咲ちゃんは嫌いですか?」


「……好き」


「あははっ。私も。攻めの未来さんも、受けの未来さんも、どっちも好きですよ」


「うー」


 恥ずかしそうに顔を隠す未来さん。さっきまで私に可愛い可愛いと囁いていた人と同一人物とは思えない。


「たくさん気持ち良くしてもらったから、お礼に、今日は私も、いつも以上に頑張っちゃいますね」


「お、お手柔らかにお願いします……」


「ふふ」


 私はずっと、彼女が好きだった。惚れたのは私が先で、彼女は元々ノンケだった。だけど、彼女と付き合って、私ばかりが好きなんだと思ったことはない。男性も好きになれるからと、不安になったことは一度もない。


「大好きだよ。未来さん」


「私も。好きだよ。咲ちゃん」


 彼女の好きを疑う日が来ることは、きっとこの先一生無いだろう。そう信じている。

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