18話:この気持ちは揺るがない

 夏休みに入ってから彼女は平日は部活、土日はバイトで忙しく、あまり会えていない。最後に会ったのは夏祭りの日。今日は土曜日。あれから一週間だ。授業がある日は学校で毎日会えるのに。休みが憎いと思ったのは初めてだ。

 この間みたいに偶然会えたりしないかと期待しながら街をふらついていると、ふと、ぬいぐるみと目が合った。なんかちょっと咲ちゃんに似ている犬のぬいぐるみ。気付けば、ゲームセンターに吸い込まれていた。

 ゲームの音がうるさくて落ち着かない。一回だけやったら出ようと思いながら、先ほどのぬいぐるみが入っているUFOキャッチャーに100円を入れる。

 ぬいぐるみの首を掴むように狙ってUFOを動かす。

 スー…っとUFOが降りてきたが、爪は首には擦りもせず、背中にざくりと刺さってしまった。


「…ごめんね…わんちゃん…」


 思わず謝ってしまうが、UFOは何事もなかったかのように定位置に戻っていった。


「…うー…」


 財布を見る。100円玉はもう無い。しかし、近くには両替機。

 いや、駄目だ。多分両替したらその100円玉を使い切るまでやってしまいそうだ。潔く諦めようと台を離れようとすると「未来さん」と男性の声。声の方を向くと、咲ちゃんのお兄さんの伊吹さんが「よっ」と片手を上げた。


「あ…こんにちは…」


「ゲーセンとか来るタイプなんだ。意外」


「あ、あの……私、これ……」


「ん?……ぬいぐるみ?」


「咲ちゃんに……似てるなって……思って……」


「ほしいの?」


「あ、は、はい……」


 伊吹さんは、台をじっと見つめていたかと思えば、100円を入れてUFOを操作し始めた。横から見ながら微調整し、ぬいぐるみの真上ではなく少しずらして止めた。どこを狙っているのだろうと思っていると、UFOの爪がぬいぐるみの首輪の隙間にハマった。UFOはそのままぬいぐるみを引っ掛けて取り出し口へ行き、落とした。


「はい。どうぞ」


 ぬいぐるみを渡される。お金を返そうとするが、断られてしまう。なら大人しく貰っておこう。お礼を言って頭を下げると、バイバイと手を振って去って行った。たまたま通りかかっただけだったのだろうか。

 ぬいぐるみを抱えてゲームセンターを出る。振り返った伊吹さんにもう一度頭を下げて、ぬいぐるみを連れて散歩を続けていると、中学の同級生の琴音ことねちゃんとばったり出会った。


「フューちゃんじゃん!久しぶりー!」


「久しぶり。ことちゃん」


 フューちゃんというのは私のあだ名だ。未来を英語でいうとフューチャーだからフューちゃん。そう呼ぶのは彼女くらいだったけど。


「何この可愛いぬいぐるみ!どうしたの!?」


「ゲームセンターで取ってもらったんだ」


「取ってもらった?誰に?えっ、まさか彼氏?」


「ううん。松原咲ちゃんって覚えてる?二つ下の部活の後輩」


「あぁ、やたらとフューちゃんに懐いてた子?」


「うん。彼女のお兄さんに取ってもらったの。たまたま会って」


「たまたま?へー」


「このわんちゃん、ちょっと咲ちゃんに似てない?」


「えっ、うーん……あー……でも確かに犬っぽい子だった気がする。特にフューちゃんに対して尻尾ぶんぶん振ってたよね」


「ふふ。今も変わらないよ」


「高校でも部活一緒なの?」


「ううん。学校が一緒なだけ」


「ふーん……大丈夫?」


「?何が?」


「いや……後輩から聞いたんだけどさ、あの子……」


 言いにくそうに口籠もることちゃん。嫌な予感がした。


「あの子、レズなんじゃないかって噂があったらしいよ」


 噂じゃない。事実だ。そして私は彼女と付き合っている。そんなこと、ことちゃんは思ってもいないのだろう。そしてきっと、善意で、心配してくれているのだろう。悪気はないのだろう。だけど、悪気が無くたって、差別は差別だ。前の私ならきっと、誤魔化していたと思う。だけど、それではダメだ。


「……ことちゃん、私ね、女の子と付き合ってるんだ」


 私は何も悪いことはしていない。だから堂々としていれば良い。鈴木さん達みたいに。頭ではそう思えていても、声は震えた。彼女の顔が見れない。


「……へ?」


「女の子と、付き合ってるの。レズビアンの女の子と。レズビアン=危険な人じゃないよ。普通の人間だよ。私たちと同じ、普通の人。……だから、今の言い方は、酷いと……思います」


 言った。言えた。笑って誤魔化さずにちゃんと怒れた。

 心臓がうるさい。悪い意味でドキドキしている。大丈夫だ。琴音ちゃんとは小学生の頃から一緒だった。今更、こんなことで私を嫌いになったりはしないはずだ。恐る恐る顔を上げる。


「……冗談……ってわけじゃなさそうだね」


「うん。本当だよ」


「……そうなんだ」


「……うん」


「……ごめん」


「……うん」


「……私、用事思い出したから帰るね」


「……うん。じゃあね」


 またね。とは言えなかった。もしかしたら彼女とはこれっきりになってしまうような気がしたから。

 そうなったとしても仕方ないと自分に言い聞かせるが、夜、部屋で一人になると涙が溢れた。

 どうしようもなく、咲ちゃんに会いたくなる。抱きしめてほしい。頑張ったねって頭を撫でてほしい。衝動のままに電話をかけるが、出ない。時刻は8時。まだ寝るような時間ではない。お風呂かな。ご飯かな。それともまだ部活?いやいや、流石にこんな時間だから家にいるだろう。きっと、気づいたら彼女の方からかけてくれる。

 しばらく待っていると、スマホの着信音が鳴った。間一髪入れずに応答する。


「もしもーし。ごめんね未来さん。風呂入ってた」


 スマホから彼女の声が流れる。その声が耳に届いた瞬間、スイッチが押されたように涙が溢れてきた。


「咲……ちゃん……」


「……未来さん?どうした?なんかあった?」


「うぅ……ぐすっ……あのね……」


 昼間あったことを話す。彼女は一切取り乱すことなく、相槌を打ちながら静かに聞いてくれた。


「……そっか。……琴音先輩、ただ単にびっくりしただけじゃないかな。大丈夫だと思うよ」


「そう……だといいな……」


「……うん。でもありがとう。誤魔化さずに話してくれて」


「咲ちゃんのことは言わなかったよ」


「うん。いいよ。それで。頑張ったね。未来さん」


「……うん」


 彼女の優しい声が不安を包み込む。勇気を振り絞って疲弊した心が満たされていく。あぁ、やっぱり私は彼女が好きだ。誰になんと言われようと、好きだ。


「……会いたい」


「私も。明日、暇ですか?私はオフですよ」


「本当?会える?」


「うん。会えるよ」


「じゃあ、明日咲ちゃんの家行く」


「うち?いいけど……どこか出かけたいところとか無いの?うちでいいの?」


「……外だと……あんまり……いちゃいちゃ出来ないから……明日は一日中いちゃいちゃしたいので」


「一日中……いちゃいちゃ……?」


「あっ……へ、変な意味じゃないよ!?」


「……はい」


「あ、あの、ほんとに、そういう意味じゃないからね」


「……正直、私は、そういう意味であってほしいです」


 恥ずかしそうに呟かれた言葉の破壊力で力が抜け、スマホが手から滑り落ちた。ガタンという音に驚いた彼女が心配するような声が流れる。


「……ごめん。割れてない?大丈夫?」


「……うん。スマホは大丈夫」


「未来さんは?」


「……大丈夫じゃない」


「あはは……ごめん」


 彼女のせいで心臓がドキドキしている。伊吹さんに取ってもらったぬいぐるみに顔を埋める。全く治らない。


 その日の夜は、彼女の家に泊まったあの日の夢を見た。ことちゃんの夢は見なかった。翌朝スマホを見ると、ことちゃんから長文の謝罪文が送られてきていた。咲ちゃんの言っていた通り、びっくりしてしまっただけだったのかもしれない。夕方言えなかった「またね」は、日を跨いでしまったがなんとか言うことが出来た。また一人、私の周りに味方が増えた。敵にならなくてホッとすると同時に、同性と付き合っている人だけそんな心配をしなければいけない世の中の理不尽さにどうしようもなく腹が立った。だけどその苛立ちは「おはよう」と笑う彼女の顔を見た瞬間に和らいだ。だけど、消えはしなかった。多分この先も国が変わるまでは燻り続けるのだろう。だけど私は彼女が好きだ。だからこれからも彼女と共に戦い続けたい。

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