13話:とある夏の日(side:未来)

 夏休みに入ったばかりのとある夏の日。

 その日、私は咲ちゃんの家に来ていた。天気は雨。私が来た頃は小雨だったのだけど、帰る頃には土砂降りになっていた。


「止まないね…」


「そうだね」


 家は徒歩で行ける範囲ではあるものの、一駅分くらいはある。この雨の中歩くのはちょっと辛い。窓の外は真っ暗だ。大袈裟かもしれないけれど、この世の終わりみたいでちょっと怖い。そう思っていると、暗闇を光が照らす。


「わっ!光った!」


 反射的にしゃがみ込む。その瞬間、ゴゴゴゴ…と不穏な音が聞こえ——ドカーンッ!と雷鳴が轟いた。


「ひゃあっ!?」


 大きな音に驚いて悲鳴をあげると、咲ちゃんが「大丈夫?」と私を抱き寄せた。彼女は全く動じていない。


「…大きい音、苦手なんだ」


「知ってる。…大丈夫だよ。大丈夫」


 彼女は優しくそう言って、私を安心させるように背中をとんとんと叩く。

 彼女はカッコいい。昔からそう思っていたけど、付き合い始めてから尚更そう思う。

 この間だって、一部始終しか見ていないけれどきっと、彼女は迷わず一条さんを助けに行ったのだろう。私にはできない。助けに行きたくても足が動かなかった。

 実際に私もナンパされたことは何度かあるのだけど、その度に私は誰かに助けられている。手を振り払って逃げればいいのに、出来ない。逆上して殴りかかってきたらどうしようとか、色々考えてしまって怖くて声も出なくなる。

 だけど守ってもらってばかりじゃ嫌だ。私も強くなりたい。大切な彼女を守れるように。自分の身くらい自分で守れるように。

 …何か、武道でも習おうかな。


「っ…」


 と、再び、ゴゴゴ…と不穏な音が響く。怖い。


「…耳栓、持ってこようか」


 呟いて、彼女が立ち上がる。思わず袖を引いて止めてしまうと、ふっと優しく笑って、座り直りして私の意図を察して抱きしめてくれた。

 あぁ、やっぱり彼女はかっこいい。多分、彼女は自覚していないだろうけど。


 ふと、コンコンッ、と誰かが部屋のドアをノックした。「入るよ」と彼女のお母さんの声。彼女が許可すると扉から顔を覗かせた。


「どうしたの?母さん」


「いや、雨止みそうにないけどどうするかなと思って。良かったら泊まってく?どうせ明日日曜日だし」


「えっ…いいんですか?」


 それは願ってもいないことだ。


「うちは別に構わないよ。未来ちゃんの親御さんが許可してくれるなら。咲も別に良いでしょ?」


「そりゃもちろん、願ってもいないことですけど」


 すぐに母に連絡を入れる。しばらくして『迷惑かけないようにね』と返ってきた。


「お泊まりしてもいいって!」


 誰かの家にお泊まりするのは初めてだ。ちょっとわくわくする。

 しかし、彼女はあまり嬉しくなさそうに「本当に泊まるの?」と確認してきた。


「えっ…駄目?」


「いや…その…ちょっとは警戒心とか…無いんすか…」


 そうだ。私と彼女は友達ではない。恋人だ。私は今から、恋人の家に泊まるんだ。


「私…その…」


 ふと『エッチなことしたい』と、以前彼女にはっきり言われたことを思い出してしまう。彼女が私に向ける好意はそういう感情なのだ。


「…狼に…なっちゃう?」


「…なっちゃうかも…しれないですね」


「…」


「…」


 沈黙が流れる。付き合ってからもしばらくは、私の中にも彼女に対してそういう気持ちがあるのか分からなかった。けど、初めてキスをした日、私にも彼女を求める気持ちがあることを知った。


「——なってもいいよ」


 自分の口から出た言葉に自分でも驚いてしまう。彼女が耳を疑って聞き直す。


「…なっても…いいよ」


 息を吐き、同じ言葉を、今度は無意識ではなく自分の意思で繰り返す。正直、私も、キスのその先に興味が無いわけではない。


「…は?えっ、ちょ、ちょちょちょっと待って、い、意味分かって言ってる?」


「…うん」


「い、いつもみたいにキスするだけじゃ済まないってことですよ?」


「…うん」


「うん…って…」


 真っ赤になった顔を両手で押さえ、はぁー…と深いため息を吐く彼女。


「…私、咲ちゃんが好きだよ。…咲ちゃんとするキスも、ハグも、幸せな気持ちになる。ちゃんと、恋人として好きだよ。その先ってなると…ちょっと…正直、怖い気持ちはある…けど…咲ちゃんなら…大丈夫。…です」


 沈黙が流れる。我ながら、大胆なこと言ってるなこれ。恥ずかしくなってきた。けど、嘘は言っていない。咲ちゃんなら、私が嫌がることを無理矢理したりはしないだろうから。


「…で、でも…お手柔らかに…お願い、します…私…初めてで…よく…分かんないから…」


「いや…私も初めてなんすけど…」


「あ…そ、そうか…お互いに初めてか…そうか…そう…だよね…」


「…そうですよ。キスも…そもそも恋も、何もかも、未来さんが初めてですよ。…こんな気持ちになったのはあなただけです」


 私だけ。その言葉がたまらなく嬉しく思う。


「…そうか」


「…そうです」


「…そうか」


「…はい」


 再び沈黙が流れた。


 その沈黙は食事の時間になっても、破れることはなく、彼女のお母さんは「喧嘩したの?」と心配していたが、お兄さんは「そういうのじゃないと思う」と苦笑いしていた。お兄さんは私たちが付き合っていることを知っているが、親にはまだ話していないようだ。私もまだ、家族は妹しか知らない。


 食事が終わり、風呂の時間。彼女がいつも使っているであろうシャンプーやボディソープを借りる。自分の身体から彼女の匂いがして落ち着かない。


「…」


 身体を洗い流し、鏡に写る自分を見つめる。私はあまりスタイルがいい方ではない。至るところについた肉が気になる。胸も。一部の女子からは羨ましがられるけれど、私はあまり好きじゃない。男性からやらしい目で見られるから。咲ちゃんも多分そういう目で見ているのだろうけど、不思議とそれは気にならない。やはり、好きな人だからなのだろう。

 しかし、やはり腹や太ももの肉は気になる。彼女はスタイルが良い。背が高くて、足も長くて、出るところは出ていて引っ込むところは引っ込んでいて——きっと彼女は大袈裟だと言うだろうけど、モデルさんみたいだ。

 私の身体を見て、彼女は幻滅してしまわないだろうか。まぁ、今すぐにお腹の肉を取るなんて無理だから諦めるしかないのだけど。


 ——これから私は彼女に身体を見られる。そして触られる。そのことを改めて意識してしまった瞬間、全身から火が出るのではないかと思うほど身体が熱くなる。湯船に浸からなくとも温まってしまった身体を冷ますために軽くシャワーを浴びて浴室を出る。

 脱衣所に置かれていた彼女のTシャツを着る。ぶかぶかだ。なんだかカレシャツみたいだ。彼じゃなくて彼女だからカノシャツか。しかし、シャツはぶかぶかなのに、短パンは割とぴったりだ。

 やはり、痩せるべきだろか。




 彼女に断って、先に部屋に入る。私はこれからこの部屋で彼女に——。

 落ち着かない。そわそわしてしまう。

 気を紛らわせようとして漫画を手に取ろうとすると、足音が聞こえてきた。早すぎないか。さっき入ったばかりなのに。

 ノックをする音とともに「入るよ」と彼女の声。何を思ったか、ベッドのタオルケットを引き出し、隠れる。


「あれ、未来さん?」


 部屋のドアが開く気配がし、彼女の気配が近づいてきた。


「…何してんの。未来さん」


 呆れるような声と共に、つんつんとタオルケットの上から突かれる。


「…」


「…未来さん?」


 タオルケットをめくられる。覗き込んだ彼女はいつも通りだ。平然としている。


「…今日はやめておきますか?」


 私の不安を察したのか、彼女は優しく私に問う。首を振って意思を示すと「無理してない?」と問われる。無理なんてしていない。彼女に合わせているわけじゃない。してもいいと言ったのは私の意思だ。


「…じゃあ、失礼しますね」


 身体が宙に浮いたかと思えば、ベッドの上に下ろされる。ふっと電気が消え、彼女が私の上に乗った。ぎし…とベッドが軋む。僅かに残る明かりが私達を——真剣な顔をする照らす。


「…最終確認ですよ。未来さん。本当に、いいんですね」


 ここでいいと答えればもう後戻りはできない。怖いけど、大丈夫だ。彼女だから。答えは迷わない。


「怖いから、優しくしてね」


 すると彼女は優しく笑った。


「…嫌だったり、痛かったりしたら蹴って良いから。多分もう…自分じゃ止めらんない」


 彼女はそう囁いて、顔を近づけた。唇が重なる。それだけで、心臓の鼓動が一気に加速した。

 一度離れ、見つめ合い、もう一度。

 息継ぎをしながらなんども繰り返す。


「んっ…ふっ…」


 彼女の手がシャツにかかる。


「…いいよね?」


「…うん」


 シャツを脱がされる。手で隠そうとすると「駄目。見せて」と囁かれて腕を頭の上でまとめられてしまった。

 彼女の唇が、指先が、私の身体を優しく愛撫する度に体温が上がる気がした。喉の奥から熱い吐息が込み上げてきて漏れる。


「ふ…んっ…はぁ…咲ちゃん…」


「…苦しい?」


「よく…分かんない…頭…ふわふわする…身体…熱い…」


 けど、不快ではない。


「…未来さん…好きです」


「私…も…好きだよ…大好きだよ…」


「…気持ち悪くない?」


「うん…大丈夫…咲ちゃんだから…」


「…そっか」


 あの日、彼女が告白してくれなかったら、私は彼女の気持ちに気付くことはなかっただろう。同性から恋愛感情を向けられることなんて、ましてや付き合うことになるなんて思いもしなかった。男性が苦手な私には恋愛なんて出来ないと思っていた。

 だけど今私には好きな人がいる。相手は異性ではないけれど、この感情は紛れもなく恋であり、愛だと、私は確信している。

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