12話:とある夏の日(side:咲)

 夏休みに入ったばかりのとある夏の日。

 その日、未来さんは私の家に来ていた。天気は雨。彼女が来た頃は小雨だったのだけど、未来さんが帰る頃には土砂降りになっていた。バタバタと雨風が窓を叩く。


「止まないね…」


「そうだね」


 彼女の家は徒歩で行ける範囲ではあるものの、一駅分くらいはある。この雨の中歩かせるのは忍びない。

 車を出してもらおうにも、こんな日に限って父は仕事で居ない。母は居るが、免許はあるものの、あまり運転が得意では無い。この雨だと運転を嫌がるだろう。兄も免許を持っているが……兄の運転する車に未来さんを乗せるのは不安だ。


「わっ!光った!」


 窓の外を眺めていた未来さんが不意にしゃがみ込む。その瞬間、ゴゴゴゴ…と不穏な音が聞こえ——


「ひゃあっ!!」


 ドカーンッ!と雷鳴が轟いたと同時に、彼女が悲鳴を上げた。彼女は雷が苦手だと聞いている。


「未来さん、大丈夫?」


 震える彼女を抱き寄せる。


「…大きい音、苦手なんだ」


「知ってる。…大丈夫だよ。大丈夫」


 彼女の震えが止まり始めたところで、再びゴゴゴ…と不穏な音が響く。


「…耳栓、持ってこようか」


 立ち上がろうとすると、袖を引かれ止められた。座り直りして彼女を抱きしめる。

 雷鳴はもう聞こえないが、雨の音は一向に弱まらない。

 コンコンッ、と誰かが部屋のドアをノックした。「入るよ」と母の声。許可すると扉から顔を覗かせた。


「どうしたの?母さん」


「いや、雨止みそうにないけどどうするかなと思って。良かったら泊まってく?どうせ明日日曜日だし」


「えっ…いいんですか?」


「うちは別に構わないよ。未来ちゃんの親御さんが許可してくれるなら。咲も別に良いでしょ?」


 泊まる。未来さんが家に。一つ屋根の下で一晩一緒に過ごす。


「そりゃもちろん」


 だめでしょ。と、言いたかったのだが——


「願ってもいないことですけど」


 口は本音を溢してしまった。

 気付けば母は居なくなっており、未来さんが「お泊まりしてもいいって!」とキラキラした目で私を見る。


「…未来さん、本当に泊まるの?」


「えっ。駄目?」


「いや…その…ちょっとは警戒心とか…無いんすか…私…その…」


 ようやく私の言いたいことを理解したのか、彼女はハッとして動揺するように目を丸くした。


「…狼に…なっちゃう?」


「…なっちゃうかも…しれないですね」


「…」


「…」


 沈黙が流れる。しばらくして彼女が「なってもいいよ」と小さく呟いた。

 耳を疑って聞き直すと、彼女はもう一度同じ言葉を繰り返した。


「…は?えっ、ちょ、ちょちょちょっと待って、い、意味分かって言ってる?」


「…うん」


「い、いつもみたいにキスするだけじゃ済まないってことですよ?」


「…うん」


「うん…って…」


「…私、咲ちゃんが好きだよ。…咲ちゃんとするキスも、ハグも、幸せな気持ちになる。ちゃんと、恋人として好きだよ。その先ってなると…ちょっと…正直、怖い気持ちはある…けど…咲ちゃんなら…大丈夫。…です」


 いや、未来さん、私が既に大丈夫じゃないです。心臓が飛び出そう。汗が止まらない。彼女の顔を見れない。どんな顔してそれ言ってるんだろう。


「…で、でも…お手柔らかに…お願い、します…私…初めてで…よく…分かんないから…」


 見なくてもあわあわしているのが分かる。


「いや…私も初めてなんすけど…」


「あ…そ、そうか…お互いに初めてか…そうか…そう…だよね…」


「…そうですよ。キスも…そもそも恋も、何もかも、未来さんが初めてですよ。…こんな気持ちになったのはあなただけです」


「…そうか」


「…そうです」


「…そうか」


「…はい」


 再び沈黙が流れた。


 その沈黙は食事の時間になっても、破れることはなかった。彼女との関係を知らない母は「喧嘩したの?」と心配していたが、兄は「そういうのじゃないと思う」と苦笑いしていた。


 食事が終わり、風呂の時間。私はいつも長風呂なのだが、今日は全身を念入りに洗うだけ洗って湯船には浸からずに浴室を出た。恋人が部屋で待っているのだ。呑気に浸かっている余裕なんてあるわけないだろう。

 一応ノックして部屋のドアを開ける。


「あれ、未来さん?」


 部屋に入ると、彼女の姿はなかった。部屋中を見回して、部屋の隅に不自然に膨らんだタオルケットを見つけた。突くと、びくりと跳ねる。


「…何してんの。未来さん」


「…」


「…未来さん?」


 タオルケットをめくる。潤んだ怯えるような瞳が私を捉えた。貸した私のTシャツはブカブカで、いわゆる彼シャツみたいな状態になっている。

 私は彼女が好きだ。そのの中には性欲も少なからず混じっている。だけど、性欲に負けて彼女が嫌がることはしたくない。絶対に。触れたい以上に、傷つけたくない気持ちの方がはるかに強いから。


「…今日はやめておきますか?」


 問うと彼女は、震える手で私の服の裾を握って、ふるふると首を横に振った。

「無理してない?」と問うと、彼女はこくりと頷いた。


「…じゃあ、失礼しますね」


 彼女を抱き上げてベッドに下ろし、ベッドサイドのテーブルの上に置いてあるリモコンを操作して電気を消す。少しだけ残した小さな淡い明かりが私たちを照らす。


「…最終確認ですよ。未来さん。本当に、いいんですね」


 すると彼女は私を真っ直ぐ見て「怖いから、優しくしてね」と、絞り出すように呟いた。


「…嫌だったり、痛かったりしたら蹴って良いから。多分もう…自分じゃ止めらんない」


 囁いて、唇を重ねる。キスだけならもう何度もしたのだけど、こんな状況だからなのか、たった一回、軽く重ねるだけで初めての時くらいの緊張が走った。

 見つめ合い、もう一度。

 息継ぎをしながら繰り返すたび、心臓の鼓動が早くなっていく。


「んっ…ふっ…」


 雨音をBGMに漏れる彼女の甘い声が私の理性を溶かしていく。だけど、欲望の赴くまま触れてしまったら傷つけてしまうかもしれない。そのことだけはしっかりと頭に残して、彼女の服を脱がせて様子を伺いながら愛撫する。どこもかしこも柔らかい。

 同じ女なのにどうしてこうも違うのだろうか。


「ふ…んっ…はぁ…咲ちゃん…」


「…苦しい?」


「よく…分かんない…頭…ふわふわする…身体…熱い…」


 熱っぽい視線が私の心を焦がす。あぁ…可愛い。なんでこの人はこんなに可愛いのだろう。


「…未来さん…好きです」


「私…も…好きだよ…大好きだよ…」


「…気持ち悪くない?」


「うん…大丈夫…咲ちゃんだから…」


「…そっか」


 私が告白しなかったら、あの日再会しなかったら、この熱い視線は私ではない誰かに向けられていたのだろうか。誰かの手で鳴かされていたのだろうか。

 それは嫌だ。こんな彼女は誰にも見せたくない。今までも、これからも。

 自分がレズビアンであることに絶望しかけていた過去の私に伝えたい。大丈夫だよ。私は今、レズビアンで良かったと思えているよ。未来さんを好きになれてよかったと、心から思えているよと。

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