14話:実さんと姐さん
部活の先輩である一条実さんと一条柚樹さん。二人は双子だが、顔はともかく、性格はあまり似ていない。実さんは上品なお嬢様という感じだが、柚樹さんは女好きで貞操観念が無い遊び人という感じだ。社長令息らしいけど、坊ちゃんらしい上品さは皆無だ。
今日、8月8日はそんな二人の誕生日ということで、部室でお祝いパーティーを開いていた。プレゼントを渡して、私達あまなつと、もう一つの一年生バンド、デルタはこの日のために作ったバースデーソングを披露した。
パーティーは無事に終わって、昼休み。実さんのヴァイオリンの音が止まると同時に部室の扉がガラガラと開いた。入ってきたのは姐さんだ。手には紙袋。
「おっ満ちゃん。何?誕生日祝いに来てくれたの?」
柚樹さんが嬉しそうに言う。姐さんはこの間実さんと一緒にいるのを見かけたが、柚樹さんとも交流があったようだ。
「うん。そう。ほい、あんたにはこれね」
姐さんが紙袋から袋を二つ取り出し、柚樹さんに渡す。随分と小さい。
「わーい。って…二つ?何?誰から?」
「弟」
「マジで?
弟とも仲良いのか。というか、姐さん弟居たんだ。…やっぱごりごりのヤンキーなのだろうか。
「なんだろうなぁー…おっ!ピックケース?と…お…爪切りと爪ヤスリ」
「どっちが私のだと思う?」
姐さんが聞くと、柚樹さんは迷わず「こっち」と爪切りとヤスリが入っていた袋を上げる。
「…正解」
「やっぱり?
「そうっすかね」
「ありがとね。新くんにもお礼言っておいて」
確かに柚樹さんは爪の手入れは念入りにしている。おしゃれに気を使っているわけではなく『女の子の身体はデリケートだから』といういかにも遊び人っぽい理由だ。まぁ、そこまで気を使っているからこそモテるのかもしれないけれど。遊んでるといっても、この間のナンパ男みたいに嫌がっている女性に無理矢理迫るようなことは絶対にしない人だし。正直、最初はこの人は、私がレズビアンだと知ったら『男を知れば変わるかも』とか言うタイプだと思っていた。しかし、全然違った。『セクシャルマイノリティなんて俺の知り合いにゴロゴロいるし、俺もマイノリティだし、大丈夫大丈夫』と明るく笑い飛ばしてくれた。噂では女性を弄ぶクズだと散々言われている人だけど、接してみれば善良な人間だった。貞操観念はぶっ飛んでいるけど、レズビアンに手出そうとしないし、恋人がいる女性にも手出さないし、嫌がる女性に強引に迫ることもない。その辺のクズ男とは違う。
「…んで、実さんにはこれね」
余った紙袋を実さんにそのまま渡す姐さん。
「えー。なんか実のデカくない?俺のとの差」
袋を覗き込んでぶーぶー言う柚樹さん。袋の中から出てきたのはノートと箱だ。
「そのノートが弟から。で、箱は私」
「…ありがとうございます」
「あ、取り出す時トゲに気をつけて」
「…何入れたんですか貴女」
「んな警戒すんなよ。ほら、開けて開けて」
顰めっ面でラッピングを解く実さん。中を見ると眉間のシワが消えた。箱から出てきたのは小さなサボテンと小さなジョウロ。
「…サボテン…ですか…」
「サボテン嫌いだった?」
「…いえ。別に。…ありがとうございます」
「枯らさないでくださいね」
「あ、部室でお世話する?」
部長でクロッカスのリーダーのきららさんが提案するが、実さんは首を横に振った。
「…いえ。部屋で、私一人で世話します」
そう言ってそっぽを向いた彼女の横顔は、赤くなっているように見えた。照れているのだろうか。
「失礼します。ちる、部活始まるよ」
部室のドアをノックして、背の高い男子が入ってきた。
「私今部活行く気分じゃないんだけどー」
「だからっていつまでも音楽部の部室にいたら迷惑だろ。帰るよ」
「今日、実さんと柚樹さんの誕生日なんだよ。お祝いしなきゃだろ」
「人の誕生日を口実にサボろうとするな。ほら、帰るよ」
そう言って男子はひょいっと姐さんを担ぎ上げた。
「軽率にこういうことしてると、浮気してるって噂されんぞ」
「もうされてる」
「マジかよ。どこのどいつだ。締めに行くわ」
「本当に物騒だな君…けど、小春は君のこと知ってるから外野が何言おうと関係無いよ」
「お前のためじゃねぇよ。私がムカついてんだよ」
「暴力反対」
「言葉の暴力に物理で対抗すんのは別に問題無いだろ」
「…君、この間上級生投げ飛ばして生徒指導受けたばかりだろ…」
「投げてねぇよ。転がしたんだよ。怪我させてねぇし、向こうから突っかかってきたし、正当防衛」
などと物騒な会話をしながら二人は部室を出て行った。
「…な、何あのギャップの塊女子」
目を丸くして呟いたのは、うちのドラム担当の"こなっちゃん"こと
「あの子もしかして、最近噂の子かなぁ〜」
間延びした喋り方でそう呟いた、少しぽっちゃりめのぽやっとした女の子が雛子。一部からはぶりっ子だとか、男に媚びているとか言われているが、男性は苦手らしい。私のカミングアウトを聞いて『まだ分からないけど、もしかしたらヒナも女の子の方が好きかもしれない』と言っていた。
「噂?」
首を傾げたポニーテールの背の高いズボン姿の女子が炎華。その隣で一緒に首を傾げているボーイッシュな短髪の女子が雫だ。
「聞いたことない〜?三年生の男子にブチ切れて『失せろ』って言った一年女子の噂〜」
それは姐さんではなく私の話だ。…いや、姐さんの可能性もなくは無いけど。
「…怖っ。近寄らんとこ」
「確かに月島さんはちょっと口悪いけど、悪い子じゃないよ」
彼女を庇ったのは同じクラスの加瀬くんだ。クラスメイトだから姐さんの良いところもよく見ているのだろう。クラスは違うが仲のいい美麗さんやなっちゃんもうんうんと頷いていた。しかし実さんは苦笑い。「そうかしら」とでも言いたげな顔をしている。姐さんは実さんのファンだと言っていたが、実際はどういう関係なのだろう。もしかして、隠れて付き合っていたり…?
あまりしつこく聞かない方が良さそうなのは何となくわかるが、気になって仕方ない。
それから数日後のある日。その日はいつもより早めに家を出た。
部室に一番乗りかと思ったが、部室は電気が付いており、中からヴァイオリンの音色が聞こえてくる。ヴァイオリンを使うのは実さんくらいだ。たまに柚樹さんが弾いている時もあるけど、二人の音色は全く違う。この音は実さんの音だ。朝早くから練習しているのだろうか。
邪魔をしないように演奏が終わるのを待ってから、部室のドアを開ける。
「おはようございま——!」
そこには実さんの他にもう一人居て、実さんが彼女に覆い被さるように乗っかっていた。
実さんと目が合ってしまう。明らかに動揺している目で私を見つめている。
「…えっと…入って…大丈夫ですか?」
「…構わないわ。別に、やましいことしてるわけじゃないから。寝てしまったから横にしてあげただけよ」
そういう彼女の声は震えていた。よく見ると、すやすやと寝息を立てているのは姐さんだ。
「…この子、わたしの演奏聴くと寝るのよ。必ず。…ファンだとか言うくせに」
寝息を立てる姐さんのデコを弾きながら実さんは不機嫌そうに言う。
「…わざわざ早く来て彼女のために弾いてたんですか?」
「…そんなんじゃないわ。私が朝練していたら彼女が勝手に来ただけ」
「…へー」
「…音出してしていいわよ。どうせ、一度寝たらなかなか起きないから」
「…ぶっちゃけ聞いて良いですか?」
「…わたしと彼女の関係でしょう。…この間も言ったけど、彼女はわたしのヴァイオリンのファンなの。…それだけの関係よ。わたし達は友達でも恋人でもなんでも無い」
そんな関係なら、わざわざ誕生日を祝ったりするだろうか。いや、ファンなら祝うか…。しかし、とてもそれだけには見えない。
「…貴女、自分がレズビアンであることは家族に話してるの?」
「親には…まだですけど…兄には言ってあります」
「…親は受け入れてくれそう?」
「…わかんないですけど、多分大丈夫だと思います」
「…そう。…良かったわね。わたしの親の元に生まれなくて」
それはどういう意味かなんて、聞かなくても何となく察してしまった。実さんの妬むような視線が突き刺さる。
「…実さんは…」
「えぇ。そう。わたしも貴女や鈴木さんと同じよ」
「…そうですか」
どうやら私の察したことは間違いではないようだ。
「…貴女のことは妬ましい。けど、別に邪魔したりはしないわ。八つ当たりする相手はもう居るから必要無いもの」
その八つ当たりする相手というのは姐さんのことだろうか。
「彼女に…何させてるんですか」
「…貴女には関係無いわ」
「…心配ねぇよ。八つ当たりっつーか、にゃんにゃん甘えてくるだけだから」
眠そうにあくびをしながらむくりと起き上がった姐さんの一言で、殺伐とした空気が一瞬にして吹き飛んだ。
「にゃん…にゃん…?」
「そう。ネコだけににゃんにゃんって」
「ネコだけに…?」
「…月島さん、余計なこと言わないで」
「へーい。じゃあこれ以上口を滑らせる前に部室戻りますよ。あ、咲ちゃん、一応、実さんがドネコだってことは内緒な。タチだと思いたいらしいから」
「月島さん!」
言い残して去っていく姐さん。そういえば、姐さんは柚樹さんとも仲が良かったが、まさか——。
「あ、なんか誤解されそうだから付け足しておくけど、私、柚樹さんと違って女しか抱けねぇから」
わざわざ戻って来て私の想像を否定して、また去っていく姐さん。
「女しか抱けねぇ」って。可愛い顔してサラッと凄いこと言うなあの人。
あと柚樹さんと違ってという部分も凄く引っかかる。触れていいのだろうか。いや、やめておこう。
「…分かってると思うけど、わたしと月島さんの関係は口外禁止だから」
「分かってますよ。言われなくたって、誰にも言ったりしません。アウティングされたくない気持ちは私にも分かりますから」
「…あと、わたしの前では極力惚気ないで。…嫉妬で狂いそうになる」
「…好きなんですよね。姐さんのこと」
「…だったら何?素直になれば良いのにとでも言いたいのかしら」
言いたい。けど、言えない。きっとそれはあまりにも無責任な言葉だから。
「…私に出来ることがあったら言ってください」
「…じゃあ、嫉妬で狂いそうになるから今すぐに彼女と別れてって言ったら別れてくれるのかしら」
苛立ちに満ちた低い声で、彼女は言う。凍てつくような視線で睨まれ、悩んで絞り出した言葉も軽率な発言だったとすぐに察した。
「…ごめんなさい」
「…わたしのことは放っておきなさい。同じだからって、勝手に同情しないで」
「…はい」
「…わたしこそごめんなさい。ちょっと、外の空気吸ってくるわね」
そう言って彼女はヴァイオリンを持って出て行った。
私は鈴木くんから勇気を貰って、今、未来さんと付き合えている。私も彼女から貰った勇気を誰かに分け与えたい。だけど、今の実さんに渡したって押し付けになってしまうのだろう。私が実さんに対して出来ることはきっと、何もない。強いて言うなら何もしないことかもしれない。実さんのことはきっと、姐さんに任せるしかないのだろう。
しかし、姐さんは、彼女の気持ちに気付いていながら関係を持っているのだろうか。もし、知っていて利用しているなら私は彼女を一生軽蔑する。けど、多分彼女はそういう人ではない。今はまだ信じているとはっきりとは言えないが、そう信じたい。どうか、彼女にも幸せになってほしい。自分を責めないでほしい。そう願うことはエゴだとか偽善だとか言われるかもしれない。だけど、願わずにはいられなかった。
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