10話:少し前の彼女と今の彼女

「ラ〜♪ララ〜♪」


 7月に入ったある日の放課後。たまたま音楽部の部室の前を通ると、鍵盤の音とともに、ハスキーな歌声が聞こえて来た。咲ちゃんの声だ。思わず立ち止まって窓から中を覗く。キーボードを弾く彼女がそこに居た。

 彼女は元吹奏楽部で、パーカッション—つまり、打楽器をやっていた。バンドに入っていると聞いた時はドラムを叩いている姿を想像したのだけど、パートはベースらしい。

 しかし今はキーボードを弾いている。部活の時もそうだった。咲ちゃんは割と、なんでも卒なくこなしてしまう天才肌だ。

 演奏が終わると、立てていたスマホを少しいじってからキーボードを避けてドラムセットを持ってきた。足でリズムを取ってから叩き始める。演奏が終わるとスマホをいじって、次はギター、そしてベース。それぞれ同じテンポで演奏をする。

 もしや、一曲の全ての楽器のパートを一人で演奏しているのだろうか。

 ふと、ギターを弾き終わったところで彼女が私の方に目を向けた。目が合ってしまうとにこりと笑って手招きをした。扉を開けて中に入る。部屋の中にはカチコチとメトロノームの音が響いている。


「…今日は一人なの?」


「うん。後から先輩たち来ると思うけど…今は一人。曲作ってたんだ」


 そういえば、中学生の頃も彼女は即興の鼻歌をよく歌っていた。


「曲作れるの?」


「実は、中学生の頃から本格的に作曲始めたんだ。未来さんが卒業した後くらいから独学で勉強して打ち込みで曲作ってた」


「凄い」


「当時の曲聴く?」


「聴きたい」


 カバンの中からイヤホンを取り出してスマホに挿し、私に渡す。イヤホンを耳に挿すとギターの音が聞こえてきた。

 しばらく聴いていると、ギターの音色に合わせて、ハスキーな歌声が流れてくる。


 好きだって伝えたらあなたは

 どんな顔をするのかなぁ

 私も君が好きだよって笑うのかなぁ

 付き合いたいって伝えたらあなたは

 どんな顔をするのかなぁ

 女同士なのにって驚くのかなぁ

 冗談だと思うのかなぁ

 恋は男女でするものだって辞書には書いてあったけれど

 最新の辞書からは男女の文字は消えていた

 だから私の想いは恋で合ってると思う

 同性あなたを好きになることは間違いじゃない


 だけど認めるのが怖い

 大好きなあなたに拒絶されるのが怖いよ

 だけど誰かに取られてしまうのも嫌で

 私だけを見ていてほしくて

 恋って意外と醜いんだね

 もっと綺麗だと思っていたのに


 ねぇせんぱ—


 プツンと音が途切れる。スマホからイヤホンを引き抜いた咲ちゃんの顔は真っ赤になっていた。


「う、歌は…聴かんといてくださいよ…」


「…咲ちゃんが流したんじゃないか」


「再生するやつ間違えたんすよ。歌入ってないやつ流したと思ったから…」


 私から目を逸らしながらごにょごにょ喋る咲ちゃん。珍しい表情だ。可愛い。


「…歌入ってるやつ他にもある?」


「黒歴史なんで全部闇に葬りました」


「私に対する歌だけ残してたの?」


「…消し忘れてたんすよ。今消します」


「あ…待って。聴きたい」


「聴かれたくない」


「…どうしても駄目?」


「うー…もうっ!一回だけですよ!一回聴いたら消しますからね!」


「うん」


 再び、スマホと繋がったイヤホンを耳に挿す。


 ねぇ先輩あなたは今何をしてますか

 ねぇ先輩今好きな人はいますか

 ねぇ先輩今でも男の人が苦手ですか

 ねぇ先輩女同士の恋愛ってどう思いますか

 ねぇ先輩好きだって言った困りますか

 付き合ってほしいって言ったら困りますか

 独り占めしたいって言ったら困りますか

 こんな私気持ち悪いですか

 ねぇ先輩嫌いにならないでください

 ねぇ先輩…


 あなたを怖がらせてしまうならこの気持ちは隠し通すよ

 だからどうか どうか笑っていて

 私の願いはただ それだけです


 それが強がりだなんて どうか察しないでください


「…聴き終わったよね。消しますよ」


 彼女はそうぽつりと呟いてスマホの中の音源を削除した。歌詞の中の先輩が私のことを指していることなんて、聞かなくても分かる。私と付き合うまでずっとこんな不安な気持ちを抱えていたのだろうか。


「…咲ちゃん」


 抱き寄せ「好きだよ」と囁く。彼女は黙って私を抱きしめ返した。


「…咲ちゃんが好きだよ」


「…うん。知ってる」


「もう大丈夫だよ。咲ちゃん」


「…うん」


「…あの日、勇気を出して告白してくれてありがとね」


「…うん」


 音源データはもう消してしまったし、彼女はもう二度とあの曲を歌うことは無いかもしれない。だけど、彼女の切ない歌声が頭から離れない。


「…もう二度と不安にさせないからね」


「…なんかそれ、プロポーズみたい」


 私の肩に頭を埋めたままくすくすと笑う彼女の声を聞いて、恥ずかしいことを言ってしまったことに気づく。

 真っ赤になっているであろう顔を彼女の肩に埋めて隠すと彼女の頭が起き上がり耳元で「今の言葉、一生忘れないから」と囁く。

「私も今の曲一生忘れないよ」と返すと彼女は「それは困ります」と言って再び私の肩に頭を埋めた。

 彼女に告白された時、同性同士であることに戸惑いはあったけれど、受け入れて良かったと今は心からそう思う。

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