9話:あなたが好きだから
ある日の休み時間のこと。廊下でたまたま未来さんを見かけた。男性が苦手なはずの彼女が、男子生徒と笑い合って歩いていた。
彼女は私に気付くと笑って手を振ってくれた。振り返して近づく。男子生徒は彼女より少し高いくらいの身長で、ぽっちゃり系のずんぐりむっくりな子だった。ネクタイの色は私のリボンと同じ赤色。一年生だ。
「…珍しいね。未来さん、男性恐怖症なのに」
「うん…でも福ちゃんは…なんか…ゆるキャラみたいだから大丈夫」
「あはは…よく言われますわ…それ…」
苦笑いするゆるキャラ男子。こじんまりしていて、話し方もゆったりしている。そして顔も簡単に描けそうなシンプルな顔。開いているのか開いていないのかわからないくらい細い目。なんというか…神様みたいな顔だ。七福神みたいな。天皇陛下みたいな。優しそうな顔。確かにゆるキャラっぽい雰囲気はある。害は無さそうではあるが…
「…福ちゃん」
未来さんがあだ名で呼ぶと言うことは相当仲がいいのだろうな。
「
「…松原咲です。クラスは三組。…君は私の彼女とどういう関係?」
「笹原先輩とはバイト先が同じなんだ。それだけだよ。ただの先輩後輩」
「ふーん…」
「…咲ちゃん、何かあった?…顔怖いよ?イライラしてる?」
「…別に。…未来さんに男友達が居たことにびっくりしてるだけです」
「…びっくりって顔じゃないよ?」
福田くんという、このゆるキャラみたいな男子は害は無さそうだ。それはなんとなく分かるのだが、未来さんに男友達がいたという事実だけでモヤモヤしてしまう。彼が未来さんのことを好きになるかなんてわからないが、仲良い男友達が居ることが嫌なのだ。周りから『あの二人付き合ってるのかな』なんて思われてほしくない。
まぁ、このゆるキャラと未来さんは付き合っているというか、姉弟にしか見えないと思うが。と思うが…男女が二人きりで歩いているというだけで付き合っていると勘違いする
こんな些細なことで嫉妬してしまう自分が情けない。福田くんは察したのか「おれはお邪魔みたいだから」と言って去って行った。未来さんは『私何かしたかな』とでも言いたげに不安そうな顔をしている。多分、素直に言わないと伝わらないだろう。察してほしいと思うのはわがままだ。わかっているが、こんな些細なことで嫉妬して、めんどくさいと思われたくない。
「…咲ちゃん…私は咲ちゃんの恋人だよ。…何かあるなら言ってほしい」
「…分かりませんか?」
「…分かんないよ。…ごめんね」
「…別に…未来さんは悪くないです。…私が子供なだけだから」
「咲ちゃんは大人だよ。私よりしっかりしてる」
「…お昼に話します」
「うん…約束だよ。一人で悩んじゃ駄目だからね」
差し出された小指に指を絡める。
「約束破ったらお仕置きだからね?」
「…お仕置きって…何してくれるの?」
「えっと…。…じゃあ、一週間口聞かない」
それはガチで辛いやつだ。
「…えー…お尻ぺんぺんとかそういうやつじゃないの?」
「…叩くのは可哀想だから」
なんだそれ。優しすぎるだろ。
「無視される方が辛いです」
「…じゃあ…お尻ぺんぺんにする?」
変更してくれるとか優しすぎる。そして可愛い。
「…未来さんがそれ言うとなんかえっちだね」
「…咲ちゃん、変態さんなの?」
変態さんって。可愛いがすぎる。苦笑いするその顔も可愛すぎる。
嫉妬していたはずなのに、こうして少し話しただけで苛立ちはすっかり和らいでいた。やっぱり未来さんには癒し効果があるのかもしれない。
「…抱きしめていい?」
「…もう怒ってない?」
「未来さんが可愛すぎてどうでも良くなった」
「何それ。結局なんでイライラしてたの?…あ…もしかして…」
「気付きました?」
「…これ言ったらセクハラになっちゃう」
「…うん?」
「…えっと…お、女の子の日なのかなと思って。…それはちょっと言いづらいよね…ごめんね…無神経だった…」
言われてみればそれもあるのかも知れない。
「…半分正解です」
「…半分?」
「…お昼までに考えておいて。答え合わせするから。…じゃ、また後でね」
「…うん。またね」
未来さんは嫉妬すること無いのだろうか。だとしたら尚更自分が恥ずかしい。もっと余裕のある大人になりたい。
約束の昼休み。未来さんは先に中庭のベンチに座っていた。お弁当を抱えてボーっと虚無を見つめている。
「…未来さん」
声をかけるとハッとして私を見て、そしてぎこちなく笑った。何かあったのだろうか。
「…何かあった?」
「…ううん…何もないよ」
「…私には一人で悩むなって言ったくせに」
私が言うと彼女はハッとして「ごめん」と呟いて深いため息を吐いた。そしてぽつりぽつりと紡がれるか細い声に耳を寄せる。
「…咲ちゃんがイライラしてた理由、考えてたの。…でも、分かんなくて。…ごめんね」
そう言って俯いてしまう未来さん。今朝のことでずっと悩ませてしまっていたのだろうか。ずっと、悩んでくれていたのだろうか。堪らなくなり、彼女を抱きしめる。
「ごめん…本当に…ごめんね…大したことじゃないんだ。本当に…ただ…未来さんに男友達が居たことが嫌だなって…思っただけなんだ。妬いてたの。福ちゃんに。未来さんに異性の友達が居るのが嫌なの。未来さんは浮気しないって、分かってるよ。そんなこと、疑いもしないけど、しないけど…男女が二人きりで居るだけで付き合ってるって勘違いする馬鹿って、どこにもいるじゃん。私達は女同士ってだけでただの友達にしか見られないのに…未来さんの恋人は私なのに…」
「咲ちゃん…」
「…ごめん。めんどくさいこと言って。ごめんね」
「…そっか。…そっかそっか。そうなんだね」
未来さんは私を責めることなく、私を抱きしめ返して優しく頭を撫でてくれた。
「…好きだよ。咲ちゃん。…大好きだよ。めんどくさいなんて思わないよ。大丈夫だよ」
「…悩ませてごめん」
「ううん。いいよ。…正直に話してくれてありがとう」
優しい声が私の心のモヤモヤを包み込んで溶かしてくれる。好きだ。私はこの人が好きだ。こういう優しいところが、どうしようもなく好きだ。
「私も好き…大好きです…未来さん…」
「…うん」
「…キスしていい?」
「う——学校だから…駄目…」
「…今日、部活無いから…放課後、未来さんの家行っていい?」
「…うん」
「…未来さんからしてね」
「えぇ…!?」
「…私からしたら止まんなくなっちゃいそうだから」
「…それは…困る」
「…でしょ。だから、今日は未来さんからして」
「…頑張る」
「うん。…ご飯食べようか」
「…うん」
放課後。約束通り未来さんの家にやって来た。
「…じゃあ、するね」
「…好きなだけどうぞ」
「…見られてるとできない」
「はぁい」
座って目を閉じる。彼女の気配が近づいて、唇に柔らかいものが触れた。うっすらと目を開ける。彼女はぎゅっと目を閉じて震えていた。まつ毛が長い。可愛い。
床に置かれた小さな手に手を重ねる。びくりと跳ねて、目が開いた。ばっちりと目が合うと、動揺するように瞳孔が揺れて、とんっと身体を押され突き放された。
そして彼女は近くのクッションに顔を引っ張り出して抱きしめ、顔を埋めて丸まってしまった。
「…見ないでって…言ったじゃないかぁ…」
クッションに顔を埋めたまま文句を言う彼女。可愛い。可愛いが過ぎる。キスしたい。けど、今私からしたら止まらなくなりそうで怖い。
でも、したい。したくて堪らない。
「未来さん…ごめん。嫌だったら止めて。蹴っても…殴ってもいいから…」
「へ…」
クッションを剥ぎ取り、唇を奪う。彼女は一瞬驚いたように目を見開いたが、すぐにぎゅっと閉じて重なった手を握った。
「…ん…」
「っ…!」
歯を立てないように気をつけながら彼女の唇を甘噛みする。彼女はびくりと大きく跳ねたが、抵抗はせずに、恐る恐る真似するように私の唇をはむはむと甘噛みした。あぁ…可愛い。柔らかい。気持ちいい。
「んっ…」
彼女の可愛い声が、熱い吐息が、唇の感触が、私の理性を溶かしていく。
「…咲…ちゃ…ん…もう…もうおしまい…」
「…もうちょっとだけ…」
「ちょ、ちょっと…だよ…」
「うん…」
もっと深くまで触れたい。だけど、先走って彼女を傷つけたくはない。どこかへ行ってしまいそうな理性を必死に手繰り寄せ、彼女を離す。
半開きの口からはぁはぁと熱い吐息を漏らし、真っ赤な顔でとろけたような表情をする彼女が視界に入り、慌てて身体ごと彼女に背を向ける。
「…ごめん、未来さん。私からはしないって言ったのに」
「…ううん…嫌じゃなかったよ」
「…そっか」
「…うん」
気まずい空気が流れる。
ふと、背中に重みと温もりを感じた。腰に彼女の腕が回される。
「い、今は…あんまり甘えられると…困ります…」
「…ごめん…でも…咲ちゃんは私が嫌がることはしないって信じてるから」
「…強引にキスされたばかりなのによく言えますね」
「今のは…嫌じゃなかったからノーカウントってことで…」
「…なんですかそれ…」
「…今、私、君が愛おしくて仕方ないんだ。…だから…もうちょっとだけこのままでいさせて」
「…仕方ないですね」
彼女の方を向き直し、抱きしめる。触れたくて仕方なくて、どうにかなりそうだったのに、今はこうやって抱き合っているだけで満たされてしまう。激しい嫉妬心も、性欲も、彼女と話しているうちにどこかへ行ってしまった。
「…あのね、福ちゃんは…私達が付き合ってること知ってるんだよ。私が話したんだ」
「…話せちゃうほど仲良しなんですね」
逆に、話せてしまうほど無害な人ということでもあるとは思うが、やはり気に食わない。
「う…で、でも…ただの友達だよ」
「分かってますよ。…でもあんまり、勘違いされるようなことしないでね。彼は勘違いしなくても、周りは未来さんの恋人が女だと思っていない人も多いだろうから」
「…やっぱり私達も、鈴木さん達みたいに、カミングアウトした方が良いのかな」
「…そうだね。私もそのことは考えてた。けど…今は、しなくても良いかなって思ってる。…今まで通り、信頼できる人にだけって形でいいと思うな。鈴木くんのおかげで学校の空気が変わり始めて…言わなくても察してくれる人が増えてきたし…異性と付き合ってる人達はわざわざそのことをカミングアウトしたりしないじゃん。…だからなんか、わざわざこっちから言ってやるの…悔しくてさ…そっちが察しろよって思っちゃうんだよね」
鈴木くん達を見て『LGBTの人達は積極的にカミングアウトした方が良い』と言う人も居るが、私はその意見に関しては反対だ。カミングアウトした方が良いなんて、上から目線にもほどがある。そっちが勝手に私達を異性愛者にしているくせに。
鈴木くんもそれには反対していて『私は全ての人にカミングアウトを強制させるつもりはない』と言ってくれている。『異性愛者の人達はわざわざ自分が異性愛者だと言わないでしょう?』と。相変わらず怒っているか分からない不気味な笑顔で諭してくれている。
まぁ、カミングアウトした方が良いと言う意見も分からなくはないのだが。世の中を変えるためには必須だとは思う。しかし、それを強制するのは絶対違う。マジョリティに紛れて生きることは決して悪いことでは無い。悪いのは隠れないと生きられない世の中の方だ。鈴木くんはそれを変えるために自ら矢面に立っているのだろう。私も、出来ることはしたい。
「…そっか」
「…うん。だから、向こうから『同性と付き合ってるの?』って聞いてきたら否定せずに認める。『そうだけど、それがどうかした?』って堂々とする。…それで充分だと思う」
「…うん。分かった」
「…ありがとね。私のこと気遣ってくれて」
「…好きだから。…君の不安そうな顔を見ていると辛くなるんだ。君には笑っていてほしい」
「…私も同じ気持ちだよ。未来さんが辛いと私も辛い」
「ふふ…相思相愛だね」
「…ふふ。そうだね」
自分より一回り小さな身体をきつく抱きしめる。彼女を好きになって良かった。彼女に出会えて良かった。
私は今、凄く幸せだ。この幸せが一生続いてほしいと思うほどに。
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