8話:私の可愛い恋人

 未来さんには妹が居る。私と同級生で、名前はあゆみ。顔や性格は未来さんとよく似ているが、彼女ほど人見知りではない。

 同級生だが、中学生の頃はさほど話す機会はなかった。仲良くなったのは最近。未来さんと付き合い始めてからだ。

 ちなみに、蒼明そうめい高校という、偏差値70越えの超難関の進学校に通っている。めちゃくちゃ頭が良い。


 歩は、私が所属している"あまなつ"というバンドのギター担当の加瀬かせいずみくんと付き合っていたが、高校入ってから別れたらしい。実は加瀬くんはゲイで、女性を好きになれないのだという。

 そのことを知って、周りに対して「私を勝手に異性愛者にするな」と心の底で憤りを感じていた私自身もまた、当たり前のように彼を異性愛者だと決めつけていたことに気付いた。鈴木くんのこともそうだ。最初、噂は誰かが勝手に広めたものだと思っていた。

 歩は彼と別れる際、彼に『LGBTと呼ばれる人達の味方になってほしい』と頼まれたらしく、未来さんと私のこともすんなり受け入れて祝福してくれた。

 鈴木くんは加瀬くんと仲が良く、歩のことは加瀬くんから聞いていたらしい。未来さんが歩に私とのことをカミングアウトした日から二人は連絡を取り合うようになったようだが、実際に会うのは今日が初めてだと言う。何故か、緊張するからついて来てくれと言われて私も連れてこられた。


「会うのは初めてとはいえ、LINKで話してるんでしょ?」


「そうですけど…彼女さんも一緒にいらっしゃるというので…」


「あぁ、小桜さんね」


「小桜さん?」


「うん。めちゃくちゃ大人っぽくて綺麗な子。北山景子さんみたいな」


「あー…<謎解きはランチの後で>の」


「そうそう。テンペストの桜庭くんが出てたドラマ。お、噂をすれば北山景子」


 見えてきた美男美女カップル—実際は女性同士だが—に向かって手を振る。


「おはよう。松原さん、歩ちゃん」


「おはよう、二人とも。こちらが未来さんの妹の歩です」


「笹原歩です」


「鈴木海菜です。こっちは恋人の百合香」


「…本当に背高いですね」


「ふふ。よく言われる」


 背が高くて中性的な顔立ち——と、真っ平らな胸——のせいで男性と勘違いされやすく、王子というあだ名をつけられている鈴木くんだが、たまに女性らしさを感じる瞬間がある。例えば笑い方とか。口元に手を当てて「ふふ」と笑う仕草はお淑やかなお姉さんという感じだ。声は低めではあるものの、男性の声ではなく、ボーイッシュなお姉さんの声。少年ボイスだ。とはいえ、女性だとすぐに分かるほど高くもない。

 なっちゃん——あまなつのリーダーの日向夏美ちゃん——は彼女のことを『()あるいは()って感じ』と、言っていたが、わかるようなわからないような。加瀬くんの言っていた『性別=鈴木海菜』の方が言い得て妙だ。鈴木くん自身も、自分の性自認はふわふわしていると言っていた。Xジェンダーというやつらしい。だから正確に言うとではなくらしいのだが、別にそこにこだわりはないようで、女性愛者と言ったり同性愛者と言ったりしている。


「じゃ、行こうか」


 カフェに入り、私と歩、小桜さんと鈴木くんの二人ずつに別れて四人席に向かい合って座る。


「…お二人、並ぶと絵になりますね」


「ふふ。ありがとう」


「失礼します。お冷です」


 水を置きに来た女性店員に対して「ありがとうございます」とお礼を言う鈴木くん。


「あ…いえ…ご、ご注文決まりましたらそちらのベルでお呼びください」


 顔を赤くして店員は去っていく。『やばい。顔が良い』と女性店員が話す声が聞こえた。


『でも隣に座ってるの彼女だよね、多分』


『めちゃくちゃ美男美女じゃん』


 噂されている二人は何食わぬ顔でメニューを広げ始めた。


「私はアイスコーヒーと…百合香、カツサンドとBLTサンド半分こしない?」


「いいわよ。私もコーヒーね」


「はーい。はい、あとそっちね」


 さっさと注文を決めて、見やすいように私達の方にメニューを向ける鈴木くん。

 コーヒーを二つ、レモネード、烏龍茶、BLTサンド、カツサンド、ナポリタン、和風パスタをそれぞれ一つずつ注文する。


「お先にお飲み物失礼します」


「ありがとうございます」


 コーヒーを啜る二人はとても同級生には見えない。


「…お二人はお付き合いされて何年くらいですか?」


「先週の月曜日で丁度一ヶ月」


「…一ヶ月…へぇ…一ヶ月!?」


 ギョッとする歩。気持ちはよく分かる。二人の間には、私達と数週間しか変わらないとは思えない熟年夫婦のような貫禄がある。絶対一線超えてると思う。鈴木くんにはともかく、小桜さんにはセクハラになりそうで聞けないが。


「元々幼馴染だったとか…?」


「いや、高校で知り合ったの」


「へ、へぇ…」


「しかも小桜さんは元々ノンケだったんでしょ?」


「ノンケ…?」


がないって意味。まぁ、わかりやすく言うなら異性愛者のこと」


「…なるほど」


「つまり、歩もノンケだね」


「そうですね…私は女性とお付き合いすることは考えられないです。小桜さんも、最初はそうだったんですか?」


「えぇ。同性に恋をする日が来るなんて思いもしなかったわ」


「…人生何があるかわかりませんね…」


「歩も次付き合う人女の子かも」


「…次…ですか…」


「…あー…ごめん。まだ引きずってる?」


「…ちょっとだけ」


「そうか…ごめん」


「…いえ。大丈夫ですよ。私、複雑だけど、嬉しかったんですよ。…言ってくれなかったら、きっと気づかないままだったから。気づかないままでいたらきっと、無意識にもっと沢山の人を傷つけていた。咲ちゃんのことも、姉さんのことも。だから…これで良かったと思っています」


 そう言える歩は優しい子だ。言えなかったとはいえ、付き合っている恋人が実は同性愛者だったと知ったら相当ショックだと思う。私が歩の立場ならきっと、そんな綺麗なことは言えない。耐えられない。愛情が憎しみに変わっているかもしれない。


「…歩は強いね。性別を理由に恋人にフラれるなんて、私はきっと耐えられない。素直に幸せを願えるほど出来た人間じゃないから」


「私も無理だなぁ…」


「…私も辛いです。でも、きっと泉くんはもっと辛かったと思う」


「…優しいなぁ」


 思わず頭を撫でてしまうと、彼女はぽろっと涙をこぼした。その一筋の涙を皮切りに、どっと溢れ出してきてしまう。

 通りかかった男性店員が彼女の異変に気づき、おろおろしていたかと思えば、空になった水を汲みにきてくれた。そして「よろしければお使いください」と一言言ってポケットティッシュを彼女の前に置いた。


「あ…ありがとうございます」


「…いえ。ごゆっくりどうぞ」


 照れ臭そうに顔を逸らし、去っていく。見た感じ同年代の男の子だ。面識はないが、歩は彼の後ろ姿を見たまま固まってしまった。


「…まさか今ので落ちたか?ちょろいな君」


「ち、違います!…彼多分…クラスメイトです」


 聞こえたのか、先ほどの彼が振り返る。歩が「ありがとう、佐藤くん」と手を振ると、彼もぎこちなく笑って手を振った。


「…ふーん」


「なんですか」


「…別にー。あーあ…未来さんに会いたいなぁ…」


 今日はバイトだと言っていたが、どこでバイトしているのだろう。本屋だとは聞いているが、どこの本屋なのかまでは知らない。


「…咲ちゃんは姉さんのどこが好きなんですか?」


「全部」


「…敢えて一つだけあげるなら?」


「難しいこと言うなぁ…うーん…雰囲気?」


「雰囲気?」


「うん。未来さんってなんか、ぽやーってしてるじゃん。喋り方とか、声のトーンとか…なんか、とにかく雰囲気が可愛いんだよね」


「あー…声可愛いよね」


「あの眠くなる感じがたまらん。はぁ…歩はいいなぁ…私も未来さんの妹に産まれて可愛がられたかった…」


「…妹に生まれていたら恋人にはなれませんが」


「それは困るけど…。私、兄しかいないからさぁ…妹か姉が欲しかったなぁ」


「分かる。私も兄しかいないから」


「意外。弟か妹がいるかと思ってました」


「うん。末っ子感ないよね」


「あはは…従姉妹とか友達の弟の面倒見てたから」


「…はっ…私と未来さんが結婚したら歩が妹になるのでは」


「…そうなるんですかね」


「んな露骨に嫌そうな顔しないでよ。お姉ちゃんって呼んでい「呼びません」」


 食い気味に断られてしまった。





 それから他愛もない話をして、鈴木くん達と別れて歩と電車に乗る。


「…今日はありがとう」


「どういたしまして。いい人だったでしょ。鈴木くんも小桜さんも」


「…いい友人に恵まれましたね」


「ははっ。なにそれ。…でもそうだね。…鈴木くんに会えなかったらきっと、未来さんと付き合えなかった。告白せずにうちに秘めたままだったと思う」


「…そうですか」


「うん」


「…私、二人のこと応援してますから」


「うん。…ありがとう。…あ、私ちょっと本屋寄ってから帰るね」


「はい。また」


「またね」


 歩と別れて近所の本屋に入る。少年漫画コーナーを物色していると「咲ちゃん?」と可愛い声が聞こえた気がした。振り返ると、天使が私に微笑み、手を振る。


「…幻か?」


「えっ!?ほ、本物だよ!?」


 天使が私に近づいて来て、手を握った。温かくて、柔らかくて、そして私より一回りも小さい。未来さんの手だ。


「…バイト先、ここなんですか?」


「うん。今終わったところだよ。…知らなかったの?知ってて来たのかと思った」


「たまたまです。…でも…会いたいなとは思ってたから。…会いたすぎて、幻覚見たのかと」


「…ふふ。…咲ちゃん、学校で初めて再会した時も本物かどうか疑ってたよね」


 おかしそうにくすくす笑う未来さん。


「そういえばそうだったね」


 そういえばあの時も幻だと思った。もうずいぶんと前のような気がするが、まだあれから一ヶ月弱しか経っていないのか。


「…ふふ。…咲ちゃん可愛いなぁ」


 そう言って彼女は一生懸命背伸びをして、手を伸ばして私の頭を撫でた。未来さんの身長は150ちょっと、私の身長は170近い。妹の歩もそう変わらないが、若干未来さんより歩の方が高いらしい。


「…どう見ても未来さんの方が可愛いよ。小柄だし、雰囲気も声もふわふわしてて。…可愛い」


 頭を撫で返す。私を見上げてえへへと笑う彼女を見ていると、可愛い以外の言葉が出なくなる。抱きしめたい。キスしたい。


「…未来さん、この後暇?ちょっとうち来ない?…キスしたい」


「…うん。じゃあ、荷物置いたら行くね」


「…うん。本買ったら迎えに行くから。また後でね」


 一旦別れ、兄に頼まれていた本を買ってから未来さんを迎えに行く。インターフォンを押そうとすると、玄関のドアが開いて少し恥ずかしそうに笑って彼女が手を振った。


「…本、何買ったの?」


「兄貴に頼まれてた少年漫画。<反撃の小人>っていう…ちょっとグロいやつ」


「…冴ちゃんが読んでたやつだ」


「あー…あの人は好きそう」


「私は苦手」


「そんな気がした」


 玄関のドアを開けて、彼女を家に招き入れる。


「先部屋入ってて、ちょっと兄貴の部屋に本投げ込んでくるから」


「…うん」


 未来さんを先に部屋に行かせて、兄の部屋をノックしてから開ける。


「ほらよ。兄貴」


「おう。ご苦労」


「…彼女来てるから、入って来んなよ。入って来たら殺す。つか、部屋から出てくんな」


「へいへい。大人しくしてますよ」


 本の代金を貰い、兄の部屋を出て自分の部屋に入る。未来さんは部屋の隅で丸くなっていた。声をかけると、ちらっと私を見てまた膝に頭を埋めてしまった。


「どうしたの?」


「…キスするんだって思ったら、ドキドキして」


「なにそれ」


「あっ…」


 小さな身体を抱き寄せる。


「…未来さん。可愛い。好きだよ」


 呟くと、腕の中の彼女は恥ずかしそうに私の背中に腕を回して肩に頭を埋めた。


「…顔上げて。未来さん」


 彼女は私にしがみついたまま、ふるふると首を振る。


「…あげてくれないとキスできないよ」


「…うん」


「…キスしたくない?」


「…ううん」


 静寂の中、心臓の音がうるさく響く。


「…今日はやめとく?」


 問うと、ようやく顔を上げてくれた。しかし目が合うとまたすぐに私の肩に沈んでしまい「うー…」と唸る。


「もー…どうしたの」


「…ドキドキしすぎて…咲ちゃんの顔見れない…」


「なんですかそれ。初めてでもないのに」


「…確かに初めてじゃ…無いけど…」


「…分かりましたよ。じゃあ口以外の場所にするね」


 長い髪をかき分け、真っ白な首筋にキスをする。すると彼女は「ぁっ…」と可愛らしい悲鳴をあげて小さく飛び跳ねた。しかし、私を突き飛ばすことはなく、しがみついて震えているだけだ。「嫌?」と問うと、黙って首を横に振った。


「…でもなんで首なの…なんか…えっちぃ…」


「…未来さんが顔上げてくれないからでしょうが」


「うー…」


 ようやく顔を上げてくれた。ぎゅっと固く目を閉じて待つ彼女の唇に自分の唇を重ねる。離すと彼女は、はぁ…と熱いため息を吐いて再び私の肩に頭を埋めた。


「…今日は…もう…もう一回は…無しでお願いします…」


 ぽつりと、彼女は私の肩で呟く。私はまだまだ足りないのだが、これ以上はどうにかなりそうだ。


「…家まで送ります」


「…うん…帰ります…」


「…明日は会える?」


「…うん」


「良かった。じゃあデートしよう。行きたい場所考えておいて。私も考える」


「…うん」


 彼女を立たせて部屋を出ると、ちょうど隣の部屋のドアが開き、兄と鉢合わせしてしまった。

 兄を見て言葉を失ってしまう未来さん。


「…あー…あのごりごりのちびヤンキーは私の兄です。怖いかもしれんけど…大丈夫だよ。怖いのは見た目だけだから」


「…笹原…未来…です」


「…咲の兄の伊吹いぶきっす。妹から聞いてますよ。世話になってるみたいっすね」


「あ…えっと…」


「兄貴にはカムアウトしてる。…親にはまだだけど…多分、なんとなく気付いてると思う。近いうちに話そうと思ってる」


「…そう…なんだ…」


「…うん。だから大丈夫だよ」


「つーか、俺の知り合いもレズ…ビアンなんすよ。妹の同級生なんすけど、めちゃくちゃ美人な彼女が居て」


 鈴木くんのことだろう。知り合いだと聞いたから私もすんなりカミングアウトできた。


「…だから、んな怯えなくて大丈夫っすよ。同性同士だからどうのこうのとか言ったりしないんで」


「…はい。…ありがとうございます」


「…咲はやんちゃで生意気っすけど…悪い奴じゃないんで。これからもよろしくしてやってください」


「…はい」


「…妹のこと、よろしくっす」


 そう言うと兄は部屋に戻って行った。まさか、わざわざタイミングを見て出てきたのだろうか。あれほど出てくるなと言ったのに。


「…行こ。未来さん」


「…うん。…お兄さんに私のこと話してくれてありがとう」


「…うん」


 高校入る前の自分に教えてやりたい。周りは案外、敵ばかりではないと。

 そして伝えたい。過去の自分はそうではなかったかもしれないが、今の私は同性愛者として生まれたことを誇りに思っている。こんなに可愛い恋人が出来たのだから。誰がなんと言おうとも、幸せでないはずがない。

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