7話:帰ったらご褒美をください

 今日から一年生は三日間の野外学習。

 教室の自席で勉強をしていると、スマホが鳴った。


『野外学習行きたくないよぉー!三日間も未来さんに会えないとか耐えられない!』


 スマホに送られてきたメッセージを見て苦笑いする。送り主は私の可愛い恋人。彼女は一年生、私は三年生。今日から三日間の間、彼女と会えなくなる。私もちょっぴり寂しい。だけど、彼女も同じ気持ちだと思うと嬉しくなる。


『私も寂しい』


 と送ると


『急いで帰るね』


 と返ってきた。笑ってしまう。帰る時間は決まっているから急ぐも何も無いのに。だけど、気持ちは嬉しい。


「おーはーよーっ」


「わっ!…」


 突然、後ろから肩を叩かれ、驚いてスマホを落としてしまう。慌ててキャッチした声の主は「ごめんごめん」と苦笑いして私にスマホを返した。


「お、おはよう、由舞ちゃん」


「おはよう。何朝からニヤついてんの?恋人とLINKでいちゃついてたのかー?」


 由舞ちゃんに指摘され、自分の顔を摘んで整える。そんなににやけていただろうか。恥ずかしい。


「…今日から野外学習だから…寂しいねって」


「会えなくなるなるつってもたった3日じゃないか。ラブラブだねぇ。羨ましいなぁ…」


「…由舞ちゃんは、恋人居ないの?」


 彼女とは中学から一緒だが、浮いた話は聞いたことがない。


「居たよ。過去形だけどね。高一の頃に付き合って、高二で別れた。もう別れて一年くらいになるかな」


「…そうなんだ…」


 どうして別れたのだろう。彼女は誰とでも仲良くなれるような人なのに。気になってしまうが、聞くのは野暮なのだろうと思って黙っていると、彼女の方から語ってくれた。


「…私ね、性別とか関係なく恋をするたちなんだ。初恋は女の子で、その次は男の子。別れた恋人が初めて付き合った人で、その子は女の子だった。私はきっと、彼女が女でも男でもそれ以外でも好きになっていた。だけど彼女は違うんだ。私が女だから好きになった。…その感覚の違いで、すれ違ってしまってね」


「…誰でも良い…みたいに思われちゃったの?」


「…彼女は、前に付き合っていた女の子と別れさせられたらしいんだ。恋人の親に。『お前が娘を同性愛の道に引き摺り込んだ』とか、要約するとそんなようなことを向こうの親御さんに言われたらしくてね。だから…私が性別関係なく人を好きになれると知ると『異性を好きになれるなら異性と付き合った方が良い』と言ってきたんだ。君が好きだと必死に伝えたけど、彼女には届かなかった」


 私も多分、性別関係なく人を好きになる。咲ちゃんが男性でも好きになっていた。彼女は違う。私が女だから好きになった。その違いなんて、どうでも良いと思っていた。けれど『異性を好きになれるなら異性と付き合った方が良い』という由舞ちゃんの元恋人の言葉が、世の中は異性愛主義だという事実を突きつける。自分が言われたわけでなくとも胸が痛む。私は絶対に、彼女にそんなことを言わせたくない。


「…ごめんね。不安にさせちゃったかな」


「ううん…話してくれてありがとう。…辛かったよね。私、彼女から同じこと言われたらきっと立ち直れない…」


「…君の恋人はきっと大丈夫だよ。あの子は一人じゃないから。…彼女も、ここ来てたら変わっていたかもしれないな」


 寂しそうに言う由舞ちゃん。いつも明るい彼女のこんな辛そうな顔を見たのは初めてだ。かける言葉が見当たらなくなってしまい、気まずい空気が流れる。

 すると、教室の入り口の方から私を呼ぶ声が聞こえた。明るいその声が気まずい空気を吹き飛ばす。


「可愛い後輩ちゃんが呼んでるよ。行っておいで」


 ふっと優しく笑う由舞ちゃん。これ以上は気を使う方が逆に辛いだろうと判断し、席を離れて私を呼ぶ可愛い後輩の元へ行く。


「おはよう、未来さん」


「…おはよう」


「あれ、元気無いね。そんなに私と離れるのが寂しい?」


「…咲ちゃんは…」


「うん?何?」


 彼女は、私が同性愛者でないことをどう思うのだろう。


「…私が…女の子が好きなわけじゃない…こと…どう…思う?」


 周りに人がいないことを確認してから、恐る恐る小声で問う。すると彼女は首を傾げながら「なんでそんなこと気にしてるんですか?」と問い返してきた。


「小桜さんも言ってたじゃん。鈴木くんのこと女の子だから好きになったわけじゃないって。前は男の子と付き合ってたって。同性と付き合ってるけど同性愛者じゃないとか、別にどうでも良いじゃん」


 ペチンとデコを指で弾かれる。


「…誰に何を言われたか、何を聞いちゃったか知らないけどさ、私は、未来さんが私のこと好きだって言ってくれただけで充分だよ。大好きだよ。未来さん。…出会った時から、ずっと」


 真っ直ぐな言葉に、身体の芯から熱くなる。彼女は真っ赤になっているであろう私の顔を覗き込んで、にっと笑った。


「可愛い。…三日間も会えないの寂しいな。ちょっと、充電させて」


 そう言って彼女は人目も憚らず私を抱き寄せた。二重の意味でドキドキする。


「…女同士ならこれくらい普通だよ。…だからは余計に、居ないことにされやすいんだ」


 彼女はそう、私の肩で複雑そうにぽつりと呟く。付き合っていることが噂になることを一瞬でも恐れた自分が恥ずかしくなる。


「…ごめん。…ねぇ、野外学習終わったら、ご褒美くれる?」


「ご褒美?何がほしいの?」


「…未来さんがほしい」


「私はもう咲ちゃんのだよ」


「…そうじゃなくて」


 彼女はふーと息を吐き、ぽつりと「キスしてほしい」と呟いた。

 キス。キス?キスってつまり…。

 キスの意味を脳内の辞書で引いていると、学校のチャイムが鳴る。キスの意味が載っているページを見つけた頃には、彼女は目の前から消えていた。そしてスマホが鳴る。彼女から一件のメッセージ。


『ちゃんと唇にしてくださいね』


 もらうこと前提のそのメッセージに、良いとは言っていないと返すことは出来なかった。




 それから三日間、そのことで頭が一杯で勉強が手につかなかった。


「未来さん、ただいまー!」


 学校に帰ってきた彼女はいつも通り—いや、それ以上のテンションで—私に飛び付いた。ご褒美の件は忘れたのだろうか。忘れていてほしい。そう思ったのも束の間、彼女からご褒美の話題を切り出して来た。


「…頑張ったご褒美、今日くれる?明日?」


 だめだ。断る隙が無い。覚悟を決めて、彼女を家に誘う。

 こんな日に限って、親も妹も外出していた。


「…部屋…行こうか…」


「…うん」


 部屋に招き入れ、荷物を置いて彼女と向き合う。期待するような潤んだ瞳が私を見据える。


「…目、閉じて」


「…はい」


 彼女が目を閉じる。眼鏡を置いて、顔を近づけ、鼻がぶつからないように顔を傾けて…。

 唇に柔らかい感触が伝わった。ここからどうしたら良いのだろうか。固まってしまうと、彼女がうっすらと目を開けた。目が合ってしまい、思わず突き飛ばしてしまう。


「…あ…ご、ごめんね…!び、びっくり…して…」


「…こっちこそごめん。…未来さんどんな顔してるかちょっと気になっちゃって。…もう一回、いい?」


「む、無理…心臓が…爆発しちゃう…」


「…じゃあ、私からしても良い?」


「う…」


「…駄目?」


 小首を傾げて可愛くねだられ、断りきれずに「いいよ」と返事をしてしまった。手を握られるだけで、緊張してしまい、目を硬く閉じてしまう。頬に体温が伝わり、思わず跳ねてしまう。その体温はすーっと顔を這い、耳を一撫でして唇に。


「…さ、咲ちゃん…早く…」


「…ごめん。…するね」


 彼女の気配が近づく。唇に柔らかいものが触れた。離れたところで目を開けようとすると「まだ駄目」と囁かれる。慌てて目を閉じる。すると、もう一度唇に柔らかいものが触れた。ちゅっ…と音を残して離れる。目を開けると、顔を真っ赤にして口元を手の甲で隠す彼女が視界に入った。


「…帰ります」


「え…もう…?」


「…未来さんが可愛すぎてどうにかなっちゃいそうだから…。…ご褒美、ありがとね」


 そう言って彼女はスッと立ち上がる。名残惜しくて袖をひいて引き止めてしまうと、立ち止まったまま彼女は呟く。


「…今引き止めたら私、狼になっちゃいますよ」


 意味が分からず首を傾げると、彼女は私に背を向けたまま言いづらそうに「エッチなことしたくて仕方ないってことです」と続けた。


「…言わせないでくださいよ」


「ご、ごめんなさい」


「…それでも引き止めるなら、私は遠慮しないですから」


 忠告を受け、手を離す。


「あ、で、でも、せめて玄関までは送らせて」


「…うん。ありがと」


「あと…その…今日は心の準備が出来てないだけで…その…」


「…い、言わんでいいですよ…そんなこと…でも…ありがとうございます。…私も、無理矢理はしないので。…未来さんが良いって言うまで待ちますから」


「…うん…」


 そこから顔を合わせないまま、彼女と別れる。キスだけでもこんなにも、心臓が壊れそうなほどドキドキしているのに、その先へ進んだら私はどうなってしまうのだろう。

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