4話:このドキドキは…
『先輩が好き…好きです…取られちゃうのが寂しいなら、私を貴女の恋人にしてよ…』
咲ちゃんの恋人。私が。考えたこともなかった。女の子同士だから、そういう好意を向けられるなんて、思いもしなかった。
再会したあの日
『私、先輩のこと…』
ずっと好きでした。そう言った後彼女はハッとして私を突き放した。不安そうな顔をする彼女を見て、告白だと勘違いされるかもしれないと思っているのかと判断してしまった。勘違いじゃなかったんだ。告白だったんだ。あれは。私は逆に失礼なことをしてしまった。だけど、伝わらなかったことに失望して諦めたりせずに、改めてちゃんと伝えてくれた。それくらい、好きなんだ。
『私は未来さんに触りたいよ。…私のドキドキは、そういうドキドキです。触りたい。キスしたい。…エッチなことしたい。誰にも触れさせたくない。…そういう…好きです』
触りたい、キスしたい。…エッチなことしたい。…そういう好き。
そうはっきりと言われて、気持ち悪いとは思わなかった。同じことを男の人に言われたら引いてしまうかもしれない。性欲が混じった好きだと言っても、彼女は無理矢理私を襲ったりしないはずだ。触れる時もきっと、優しく触れてくれるのだろう。
優しく、丁寧に—
—想像しかけたことを慌ててかき消す。
そんな妄想をしてしまうということは、私は彼女に触れられたいと思っているということだろうか。分からない。仮に付き合って、そういうことになって…やっぱり無理とはなりたくない。彼女を傷つけたくない。
中途半端な覚悟なら断った方がいいのだろう。だけど…彼女が、誰かに取られてしまうのは寂しい。悲しい。
それは私が彼女に恋をしているからなのか、ただの執着心と独占欲なのか。付き合ってみたら分かるかもしれないが、はっきりさせてからでないときっと、彼女を傷つけてしまう。傷つけたくない。
彼女は待ってくれると言った。だけど、それに甘えていつまでも待たせるわけにはいかない。いつまでにという期限を設けた方がいいだろう。
今日は5月3日。今週中で答えが出るだろうか。いや、もう少し欲しい。
今月中にしよう。今月中に、答えを出す。…うん。そうしよう。
食事と風呂を済ませてから、彼女にメッセージを打つ。
『咲ちゃんの告白、びっくりしたけど嫌じゃなかった。このドキドキがびっくりしたからなのか、恋なのかはまだ分からないけど、頑張って答えを出します。今月中には必ず。今日はありがとう』
…これで良いだろうか。
10分ほど悩んで『ゴールデンウィークが明けたらまた学校で会いましょう』と付け足し、送信する。すぐに既読がついた。
『ありがとう』『待ってる』『またゴールデンウィーク明けに』『おやすみなさい』と途切れ途切れにメッセージが送られてきて、最後に、布団に入って眠る犬のスタンプ。なんとなく、彼女に似てる気がする。
…もうちょっと、話したいな。でももう寝ちゃうかな。時間を確認する。10時をまわっていた。おやすみなさいと一言だけ送って、電気を消した。
ゴールデンウィークが明けて約二週間が経った。彼女とはすれ違ったら挨拶を交わすくらいで、お互いに会いに行ったりはしない。なんとなく、気まずい。
あれから私は毎日彼女のことを考えている。答えは一向に出ない。
「…はぁ」
「未来ちゃん、そうため息ばかりついてると、幸せが逃げるぞー?」
何もない場所を虫を捕まえるようにパッと両手で掴んでそう声をかけてきたのは同じクラスの
「…今、何捕まえたの?」
「未来ちゃんが逃した幸せ。手出して」
「…えっと…こう?」
手を出すと、彼女は私の手に自分が捕まえた空気を移して握らせた。
「はい。逃げた幸せ返してあげたよ。もう逃さないようにね」
「ふふ…なにそれ」
気が緩み笑ってしまうと、彼女は元気出た?と笑う。
「…うん。ちょっと。ありがとう」
「良かった。あぁ、手開いちゃダメだよ。また逃げちゃう。しまってしまって」
返してもらった幸せを、由舞ちゃんの気遣いと一緒に飲み込む。
「で?何を悩んでるの?」
「…後輩から…告白…されて…」
「ほうほう」
「…そんな風に想われてるって…知らなくて…びっくりして…返事を…ずっと考えてる…」
「ふむ。すぐに返事しなかったんだ?」
「…ドキドキ…したの。…でも…そのドキドキが…恋が分からなくて…」
「なるほど…」
相手が女の子だとは言えなかった。由舞ちゃんになら言ってもいいかもしれない。だけど…
『ねぇ聞いた?一年生にさ、女の子同士で付き合ってる子いるらしいよ』
『マジで?リアル百合じゃん』
『二次元ならいいけど、リアルでそういうのはちょっと引くなぁ…』
『何言ってんの。百合はリアルでも二次元でも尊いでしょ。BLは二次元しか受け入れられないけど』
『あれでしょ?例の王子でしょ?』
『あぁ、王子か。ならいいか』
『王子はね。むしろ男子と付き合ってる方が違和感あるわ』
そんな噂話が聞こえてきて、躊躇ってしまった。聞こえてくるのは否定の声だけではない。だけど…珍しいものとして、好奇の目で見られて、あれこれ聞かれるのは私にとってはストレスだ。それがたとえ、悪意ではなく好意や善意だとしても。下手に目立ちたくない。
『えっ、マジで?王子の相手ってあの子なの?あの子レズなの!?うわ、もったいな…俺密かに狙ってたのに…』
そんな男子の声も聞こえた。由舞ちゃんが舌打ちをして男子の方を睨む。
「王子の恋人、私の後輩なんだけど、君には勿体ないくらい良い子だよ。ほんと、君みたいなのには勿体ないくらいね」
鼻で笑いながら彼を煽る由舞ちゃん。煽られた男子はカチンときたらしく、近づいてきた。
「なんだよ。ちょっとモテるからって調子乗ってんの?」
「どう解釈したらそうなるのかな。モテないからひがんでるのか?そりゃその性格じゃモテないよ」
「あぁ!?」
男子が由舞ちゃんに手をあげようとしたその時だった。誰かがパシッと彼の腕を掴んで止めた。咲ちゃんだ。
「…な、なんだよ…お前…」
ぎろりと咲ちゃんが男子を睨む。すると先ほどまで威勢のよかった彼はヘビに睨まれたカエルのように大人しくなる。咲ちゃんが手を離し「失せろ。クズが」と一言低い声で言うと、彼は大人しく席に戻っていった。
「…未来さん、大丈夫?」
「あ…うん…大丈夫…というか…喧嘩してたのは私じゃなくて…」
「未来ちゃんは関係ないよ。私がムカついてちょっと煽っちゃっただけ。助けてくれてありがとね」
「…そう…でしたか…良かった」
「…にしても松原さん、君、只者じゃないな?先輩男子に『失せろ』って。君のあんな顔初めて見たよ」
由舞ちゃんが苦笑いしながらそう言うと、咲ちゃんはハッとして恥ずかしそうに顔を隠した。
「すみません…佐久間先輩…今のは聞かなかったことに…」
「ははは。大丈夫だよ。カッコ良かったよ。ね?未来ちゃん?」
「…うん」
今私、ドキドキしている。彼女の顔をまともに見れないくらい。
「…未来先輩?…怖がらせちゃいました?」
そう心配そうに私の顔を覗き込んだのはいつもの優しい咲ちゃんだ。
さっきの彼女は、確かに怖かった。だけど…
「…カッコ良かった…よ…」
呟き、ちらっと彼女を見る。すると彼女は口元を隠しながら恥ずかしそうに目を逸らした。さっきの顔も、その顔も、初めて見る顔だ。カッコいい。可愛い。好き。
…あぁ…そっか…好きなんだ。
「…あの…咲ちゃん」
「…は、はい」
「…今日…部活…ある…?」
「えっと…今日は…休みです」
「…そっか。じゃあ、放課後、一緒に帰ろう」
「…もしかして…」
「…うん。咲ちゃんに話したいことがあるから」
「…そう…ですか…。…私、掃除あるから…ちょっと…遅くなると思います…」
「…うん。待ってるね」
「…はい。…あ、えっと…未来さん、これ」
私に背を向けてから「忘れるところだった」と振り返り、ポケットからラッピングされた黄色い袋を三つ取り出した。
「…一ヵ月近く遅れちゃったけど、誕生日おめでとう。…会えなかった二年間の分も合わせて。…大した物じゃないけど…」
袋にはそれぞれ、"16歳の未来さんへ"、"17歳の未来さんへ"、"18歳の未来さんへ"と書いてある。
彼女が居なくなってから中を確認する。
16歳の私には<ふちっこ暮らし>という名古屋のご当地アニメのキャラクターがデザインされたシャーペンと消しゴムと手紙。中を読むと『高校入学おめでとうございます』と彼女の字で一言だけ。
17歳の私には<ふちっこ暮らし>に登場する"えびてん"というえびの天ぷらを模したキャラクターのストラップ。そして手紙。中を見る。『前に先輩が好きだって言ってたのって、えびてんちゃんであってましたか?』と書いてあった。
確かに、何気ない会話の中で話した気がする。それをずっと覚えていてくれたのか。それほどまでに私のことを想ってくれていたのか。誕生日も、一度しか話していないのに。
ストラップをカバンにつけて、最後の袋を開ける。
中から出てきたのは自分で色をカスタムできる5色ペン。これもまた<ふちっこ暮らし>のキャラクターのデザイン。赤2本、黒2本、シャーペンの組み合わせだ。シャーペンの芯の束。手紙にはこう書いてあった。
『先輩が何色を使うか分からなかったから、よく使いそうな赤と黒2本ずつとシャーペンを入れました。好きにカスタマイズして使ってください』と。
「…未来ちゃん、愛されてるねぇ」
プレゼントを見て由舞ちゃんがニヤニヤする。顔が熱い。胸が苦しい。でも、その苦しみがなんだか心地よくも感じた。
「…由舞ちゃん」
「ん?何?自分の気持ちの答え出た?」
「…うん。…ありがとう」
「いやいや。私は何もしとらんよ」
「…逃げた幸せを捕まえて返してくれた」
「ふ…あははっ!君、ほんと可愛いなぁ…後輩ちゃんも、そういうところに惚れたんだろうね」
応援してるよと笑う由舞ちゃん。私に告白してくれた後輩の正体には気付いていそうだが、言及することはなかった。
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