3話:告白
5月3日。
今日は先輩が
「よし。……ちょっと先輩を迎えに行ってくる」
「行ってらっしゃい」
家を出て、先輩と待ち合わせをしている駅前に向かう。腕時計を気にしながら銅像の側に立つ彼女を見つけた。走って彼女に近づきながら「未来先輩!」と声をかけると、彼女は私の方を向いて微笑み、控えめに手を振った。
「……咲ちゃんのお家、初めてだからちょっと緊張するね」
私の隣を歩きながら、細々とした声で先輩が呟く。緊張しているのはこっちだ。今日私は、彼女に告白をするつもりでいるのだから。
「ただいま!」
「お帰り。って……なんだ。先輩って女の子かぁ。気合を入れて掃除してるからてっきり彼氏でも来るのかと思って身構えてたのに」
家に入ると、父が先輩を見てほっとしたように言う。胸がチクリと痛んだ。私が同性愛者であることはまだ家族には言っていない。言わなければきっと、いつか彼氏を連れてくると思われたままだろう。いずれ言わなければ。だけどそれは今ではない。心に決めた女性が出来てから。それまでは、それとなく匂わせておく程度に止める。
私がカミングアウトをしても『やっぱりそうなんだ。なんとなく気付いてた』とあっさりとした反応でいてほしいから。ショックを受けないように、今のうちに少しずつ同性愛に対する偏見を溶かしておきたい。
「……ま……す……」
俯いてぼそっと挨拶をする先輩。多分、父には聞こえていない。首を傾げる父に、彼女の言葉を繰り返して伝える。
「あぁ、いらっしゃい。そんな緊張しなくていいよ。リラックスして」
「は、はい……」
「先輩、部屋行こうか。おいで」
緊張して俯いたまま固まってしまっている先輩の手を引き、自室へ。パタンと扉を閉めて私と二人きりになると彼女は、はぁぁ…と深くて長いため息をついた。
「……咲ちゃんのお父さん、おっきいね」
父は身長190㎝もある。横にもデカい。よく熊に例えられる。だから余計に威圧感を感じてしまっていたのかも知れない。そんな父の遺伝子のせいか、私も女子にしては背が高い方—170㎝近い—だが、三つ年上の兄は逆に小柄だ。160㎝は超えているものの、私よりは低い。先輩は兄よりさらに小柄だ。私と並ぶと先輩の方が年下に見える。
ちなみにだが、そんな私でも鈴木くんと並ぶと小さく見える。彼女の身長は180㎝を超えていると言っていた。私より10㎝以上高い。自分より背の高い女子は居たが、10㎝以上高い女子は初めてだ。
「……いいなぁ。私も大きくなりたい」
「えぇ?今更無理でしょ」
「やっぱりそうかなぁ……」
「背高くてもいいことないですよ。あんまり女扱いしてもらえないし、可愛い服似合わないし」
「……咲ちゃんは可愛いよ」
「そんなことないよ。先輩の方が可愛いですよ」
「そんなことないよ。咲ちゃんの方が可愛い」
「先輩の方が可愛い」
「咲ちゃんの方が可愛い」
と、互いに可愛いと言い合っているうちになんだか恥ずかしくなって、可笑しくなって笑ってしまう。先輩も釣られてくすくすと笑う。その笑顔がやっぱり可愛い。その可愛い笑顔を独り占めしたい。
「……ねぇ、先輩って恋人居るの?」
思わず聞いてしまった。しかし、居ると言われたらどうしようという不安は、すぐに杞憂に終わる。
「居ないよ。……男の人……苦手なの」
その理由は前も聞いた。昔、男の子に嫌がらせをされていて、中学に上がった頃くらいにその男の子に好きだと告白されたらしい。素直になれなくて嫌がらせしてしまったという謝罪と共に。彼の気持ちが理解できなくて、一度は返事もせずに逃げてしまった。その後勇気を出して告白を断ったがその後も彼にしつこく付き纏われ、別の男子が守ってくれた。その守ってくれた男子を好きになりかけたのだが……彼が陰で自分のことを『ちょっと優しくしたら簡単に落とせそう』と言っていたのを聞いてしまい、男性不信になってしまったのだという。そりゃ男性不信にもなる。
「そっか……今も男性不信は克服出来てないんですね」
「……うん。前よりは平気になったけど……恋愛的な好意を向けられると怖くなる」
内心、ホッとしてしまった自分がいる。このまま一生彼氏なんて作らないでくれと思ってしまっている醜い自分がいる。
「……咲ちゃんは……恋人いる?」
ゴールデンウィークに入る前、先輩に再会したあの日、私は彼女に好きだと伝えた。分かってはいたが、やはり伝わっていなかったようだ。
「……いませんよ」
「……そっか」
どこかホッとしたような顔をする先輩。そして「咲ちゃんに恋人が出来たらちょっと寂しい」と、ぼそっと付け足した。
「寂しい……って……」
言葉を繰り返すと、彼女はハッとして「変な意味じゃないよ。咲ちゃんは一番の友達だから、取られちゃうのが寂しいって意味だよ」と珍しく声を荒げて弁解した。
『取られちゃうのが寂しい』『一番の友達』という言葉を嬉しく感じると同時に友達というワードが気に入らなかった。
取られちゃうのが寂しいなら、貴女のものにしてくれればいいじゃないか。
「……未来先輩」
彼女を抱きしめる。彼女は「何かあった?」と心配そうに問いながら私を抱きしめ返した。言わなければ伝わらない。例え、それ言うことで先輩の側にいられなくなるとしても。言わなければ、私は一生この人に対する想いに囚われたままだ。吐き出さなければ。
「……取られちゃうのが寂しいなら、私を貴女の恋人にしても良いよ。独り占めしていいよ」
「へ……」
あぁ……言ってしまった。先輩は今、どんな顔をしているのだろう。見るのが怖くて、彼女の肩に頭を埋める。びくりと小さく跳ねたが、戸惑いながらも私を抱きしめ返してくれた。
「私が……咲ちゃんの……恋人に……?」
「……再会した時言ったじゃん。ずっと好きだったって」
「あ……あれは……そういう……意味だったのか……」
「……うん」
「……友達の……好きだと……思った……」
「うん……そう思ってると思った」
「そっ……か……」
戸惑ってはいるようだが、割と好反応な気がする。恐る恐る顔を上げ、彼女の顔を見る。赤くなっていた。動揺して丸くなっている瞳と目が合うがすぐに逸らされ、視線はキョロキョロと落ち着かない様子であちこちを彷徨く。
「び、びっくり……してる……凄く……凄く……びっくり……してる……」
「……それは、私が女の子だから?」
「それも……ある……。ごめんね……」
「謝らないでよ。そう言われるのは分かってたよ」
「……ずっと前からって……言ってたよね」
「……うん。中学生の頃からずっと。先輩が卒業してから気付いたんだ。……それからずっと、毎日、先輩のこと考えない日なんてほとんどなかったよ。会いたくて会いたくて、抱きしめたくて仕方なかった」
「……そっか」
『気持ち悪い』とか『ありえない』とか『憧れを恋と勘違いしている』とか、私の想いを否定するような言葉は彼女の口からは一言も出ない。
「わ、私も……咲ちゃんが……好き……だよ。……で、でも……友達の意味……だと思っ……てた……」
彼女は言葉を選ぶように、詰まらせながら言葉を紡ぐ。
「……思ってた?」
過去系なのが引っかかる。
「……今……ドキドキしてるんだ」
そういうと先輩は私の手を掴み、自分の胸に押し当て「わかる?」と首を傾げる。
柔らかいことしかわからない。自分の心臓の音で何も聞こえない。
「ちょ!せ、先輩!恋愛的な意味で好きってことは……その……私は……先輩に対して欲情するという意味でもあるので……あの……つまり……邪な気持ちがあるということで……だからその……胸を……触らせるのは……女同士とはいえ……その……」
きょとんとして首を傾げてしまう先輩。「手、放してください」というとようやく私の言いたいことを理解したのか、過去一大きな声にならない叫び声を上げて私の手を振り払った。
「ご、ごめんね!私、咲ちゃんのこと警戒してなかった……から……」
「……未来さん」
「は、はい……わっ……」
彼女の頭を抱き寄せ、自分の胸に押し付ける。
「……聞こえますか」
「……ドキドキしてる」
「……私のこと触りたいって、思う?」
「え、えっと……」
「……私は未来さんに触りたいよ。……私のドキドキは、そういうドキドキです。触りたい。キスしたい。……エッチなことしたい。誰にも触れさせたくない。……そういう……好きです。……気持ち悪いですか?」
「き、気持ち悪いなんて……言わないよ……咲ちゃんは……私が嫌なことを無理矢理したりはしないでしょう?」
「……未来さんの好きは、同じ好きですか?」
「……分からない」
「……そっか」
違うなら違うと、そうならそうと、はっきりと言ってほしい。だけど、真剣に考えているからこそ迷っているのなら、それはそれで嬉しい。
「……答えは今すぐじゃなくていいよ。待つから。いつまでも待つから。ゆっくり考えてください」
「……うん……」
「……課題、始めましょうか」
「……うん」
その日はそれ以降、ほとんど会話もなく、少しだけ距離をとって、お互いに黙々と課題を進めて、長い長い時間が過ぎて別れた。
夜になると彼女からメッセージがきていた。『咲ちゃんの告白、びっくりしたけど嫌じゃなかった。このドキドキがびっくりしたからなのか、恋なのかはまだ分からないけど、頑張って答えを出します。今月中には必ず。今日はありがとう。ゴールデンウィークが明けたらまた学校で会いましょう』という長いメッセージ。やはりそこに私を否定する言葉はなかった。
戸惑ってはいるが、真っ直ぐに受け止めてくれているんだ。女同士だからで終わらせないで真剣に考えてくれているんだ。その誠実さだけでもう充分だった。フラれたくはないが、例えフラれても、良い恋だったと言えるくらいに。
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