第470話 雨粒に背を押されて

 「ごふッ......スズキ、生きてっか」


 「かはッ......一応」


 現在、僕とヴェルゼルクは並んで、仰向けになって空を見上げていた。


 僕ら二人とも、身体はボロボロだ。吐血してるし。瀕死の状態と言っても過言じゃない。


 視界に映るどんよりとした灰色の空を見ていると、もう時期雨が降る予感がした。そんな曇天の下、辺り一帯はクレーターのように大きく窪んでいて、僕らはその中心で大の字になって倒れていた。


 無論、この大きくて深い溝は自然発生したのではない。僕がやったのだ。


 【固有錬成:狂化水月・浮世】とかいうよくわからんスキルを使って。


 なんだったんだろうな、あの力。ティアの力ってことくらいしかわからないや。


 『王サマ、大丈夫?!』


 右耳の耳飾りからティアの心配するような声が聞こえてくる。


 「うん。なにあれ」


 『し、知らないで使ったんだ......。王サマは権能を使って、ティアの【固有錬成】を使ったんだよ』


 け、権能ってなんだ......。たしかにそんなこと言った覚えはあるけど。


 「ティアの【固有錬成】って?」


 『【狂化水月・浮世】は簡単に言うと、任意の空間を別世界に切り取るの。それは両方作用し合っていて、そこを王サマが拳を叩きつけたから、ここら一帯は空間がぐしゃって歪んだんだよ』


 「つまりヴェルゼルクどころか、空間ごと攻撃して自滅したってこと?」


 『うん。そこの鬼牙種の奴もだけど、よくぺしゃんこにならなかったね』


 マジか......。えぐいな、この【固有錬成】。安易に使わないようにしよう。


 まぁ、おかげでヴェルゼルクの攻撃を食らうことは無かったけど。


 すると、ヴェルゼルクがひょいっと立ち上がった。


 「うし。まだ身体は動くな」


 「......もしかしてまだやるの?」


 「あ? 終わった気でいたのか?」


 ......。


 僕は無言で立ち上がった。


 もうへとへとだ。身体中に負った怪我や疲労感がすごいのなんの。


 それでも今の僕は【賢愚精錬】によって強化された【闘争罪過】のせいで、殺戮衝動は収まっていない。


 やっぱこのスキル、最悪だな。この状況でも普通にヴェルゼルクを殺さないと、どうにかなってしまいそうな感覚に陥る。


 でも僕らは【狂化水月・浮世】で強制的に相打ちみたいなのを食らったから、今は却って落ち着いた気持ちになっている。まぁ、今だけだろうけど。


 ヴェルゼルクが僕から少し距離を取ってから口を開いた。


 「スズキ、俺にはまだ奥の手がある......って言ったらどうすんよ」


 「死ね」


 「ははははは! じゃあ見せてやっか!」


 こいつ......。


 ヴェルゼルクは右手を横に伸ばした。


 「知ってんか? 俺ら鬼牙種には【種族固有魔法】っつうもんがあんのをよ」


 「......。」


 僕は押し黙る。


 知ってた。ヴェルゼルクの言う【種族固有魔法】が何なのかを。だってルホスちゃんが言ってたから。


 僕の沈黙を肯定と受け取ったのか、ヴェルゼルクが出し惜しみすることなく、静かに唱えた。


 「ぶった斬れ......【棍牙】」


 ヴェルゼルクの右手に一振りの歪な大剣が音も無く生成された。


 直感だ。直感で、僕は“大剣”だと思った。


 それは黒紫色に輝く結晶の塊のようなものだったけど、荒々しい牙の如き刃を有していたから。


 それは柄の部分すら形が整っていないが、巨漢はそこを力強く握っていたから。


 そしてそれは――次の瞬間にも僕を叩き斬る未来を幻視してしまったから。 


 今までの気迫はどこへ行ったのやら。ヴェルゼルクが静かに、それでいて確かな闘志を滾らせながら言う。


 「こいつを使うのは人生で二回目だ。一回目はガキの頃にな。種族的に使えるって大人たちから聞いたからよ。試しにって感じで使ったんだ」


 「......今日まで使わなかったんだ」


 「ああ。使う機会が無かったからな」


 苦笑するヴェルゼルクは少し寂し気に見えた。


 たぶん全力で闘うことが無かったからなんだろうな。


 ヴェルゼルクはその大剣の切っ先を僕に向ける。


 「正真正銘、これが俺の全てだ。この黒い角生やして、【固有錬成】を駆使して、この【棍牙】でてめぇをぶった斬る」


 そんなことを宣言するヴェルゼルクに対し、僕は鼠色の空を見上げた。


 そして呟く。


 「そろそろかな」


 「?」


 僕の言動を不思議に思ったのか、ヴェルゼルクも同じく空を見上げた。


 すると遠くからものすごい勢いで、こちらに向かってきている何かが見えてきた。


 「僕はあんたら<龍ノ黄昏ラグナロク>が鬼牙種の集団って聞いてから、【棍牙】のことを危惧してたよ」


 【種族固有魔法:棍牙】。それは鬼牙種にのみ使える魔法で、ルホスちゃんはそれを使って格上相手を瞬殺した。


 だったらルホスちゃんと同じ鬼牙種のヴェルゼルクは?


 ルホスちゃんが使えて、ヴェルゼルクが使えないなんてことはないだろう。


 だから僕は戦闘の途中から


 ドラちゃんが僕の狙いに気づく。


 『ご、ご主人ッ。もしかして!!』


 「ヴェルゼルク、安心しなよ。まだ僕には......あんたの全てに真っ向からぶつかれる力がある」


 やがてその武具は――<三想古代武具>のインヨとヨウイは僕の方へ飛んできた。


 ―――ヤマトと共に。


 「『え゛』」


 『『マスター!!』』


 『ぬおぉぉおお!!』


 ズガガガガッ。僕は豪速で降ってきたヤマトの巨体を受け止めようと踏ん張るも、勢いを殺しきれずに後方へ押され続けた。


 一瞬、理解が追いつかなかったけど、今の僕は強化された【闘争罪過】や【力点昇華】が発動中だから、大きな黒い虎を受け止めることくらい訳なかった。


 ヤマトは口に武具化したインヨとヨウイを咥えていた。


 僕はそんなヤマトさんをそっと下ろした。武具化しているインヨとヨウイの声が聞こえてくる。


 『マスター! マスター!!』


 「な、なんでヤマトさんまで居るの?」


 『あいつらが吾輩に子守を任せたのだ』


 燥ぐ武具のロリっ子たちと、何を言っているのかわからないヤマトさん。


 もしかしなくても、王都からインヨとヨウイを咥えたまま、空を飛んできたというのだろうか。神獣的にそれってどうなの。尊厳とかその辺の。


 『くそう......皆して我輩を......くそう......ぐすッ』


 「......。」


 なんか居た堪れない気持ちに駆られた。


 これ以上聞くのは全て終わった後にしよう。


 ヤマトさんは再会した僕には何も言わず、とぼとぼと歩き出してこの場から離れていった。その背がすごく哀愁漂っていたのはいうまでもない。


 彼女は一体ここへ何しに来たんだろうか。


 僕は気を取り直して、インヨとヨウイに話しかける。


 「二人とも久しぶり......ってほどじゃないかな」


 『マスター! 私たちは寂しかったと告げます!』


 『マスターの居ない夜は辛かったです!』


 二人は相変わらずって感じだ。だからか、僕は思わず苦笑してしまう。


 そんな二人を見ると、インヨとヨウイを結びつけるように、二本の棒は鉄鎖で繋がれていた。既に双節棍の状態だったのだ。


 ......姉者さんか。気を使って、予め鉄鎖を作ってくれていたんだな。


 僕がインヨとヨウイを必要とする状況を予想して、得意な戦法を取れるように......。


 ほんと、姉者さんには頭が上がらないな。


 僕はインヨとヨウイを手にして、軽く振り回した。ジャラジャラと鳴る鉄鎖と空を斬る音が心地良い。


 「ん。いいね。やっぱ二人は最高だよ」


 『『えっへん!』』


 「なんだ、その武器」


 と、ヴェルゼルクが僕が手にした武器を見て、そんなことを聞いてきたので、僕は素直に答える。


 「双節棍。意外と知らない人が多くてびっくりだよ」


 「へぇー」


 僕は静かに告げる。


 「ヴェルゼルク、次で最後にしようか」


 「......おう」


 ヴェルゼルクは【棍牙】を構える。


 僕もインヨとヨウイを構える。


 お互い、立っているのがやっとってくらい傷だらけでへとへとなのに、僕らは武器をかまえて対峙している。


 「「......。」」


 静かな時が流れた。まるでこの世界の時が止まったみたいだ。


 破壊の限りを尽くした景色の中で、僕らは呼吸を整える。冷えた風が肌を撫でる感覚は心地良くて、また乾いた口の中が不快だった。


 下手に踏み込めば殺られる。


 踏み出さなきゃ殺せない。


 きっとあいつも同じことを考えているに違いない。


 瞬きも許されないこの状況下で――その時はやってきた。


 開始の合図となったのは......雨だ。


 一滴の雨粒が僕らの背を同時に押して、最終決戦は始まった。

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