第十四章 笑顔にしていいですか?

第460話 ギュッちゃん、消えないで!

 「起きて」


 どこか懐かしい女性の優しい声で起こされた僕は、視界に見知った美女――ギュロスさんの顔を目にした。と言っても、彼女の顔は黒のベールに包まれていて、その顔は見えない。


 あれれ、前回、ギュロスさんの世界に呼ばれてから、まだそこまで日は経ってないんだけどな。


 もう呼ばれちゃったのかぁ〜。


 ギュロスさん、なんだかんだ言って僕のこと好きすぎだから、会いたくて仕方なかったんだろう。


 「キモい」


 シンプルに酷い。


 僕は大の字になった。


 「むにゃむにゃ......起こしてください」


 「烏滸がましいにも程がある」


 そこまで言うか。息子は起こしてくれたと言うのに。


 「私じゃない。勝手に起きてた」


 わ、わかってるって。生理現象だからさ。言わせないでよ......。


 「なぜ私が悪いみたいに......」


 と言いかけた時だ。


 横になっている僕の上に、ギュロスさんが力なく倒れ込んできた。


 「?! え、ちょ、遂にになったんですか!!」


 「だから違うと言っている」


 ん???


 僕は僕の上に乗っかっているギュロスさんに違和感を覚えた。


 非常に軽い。女性一人とは思えないほど、それこそ綿のように彼女は軽かった。


 僕は慌てて身を起こして、彼女の全身を見やった。


 そして今更ながら気づかされる。ギュロスさんの身体は......腰の辺りから足先にかけて透けていたのだ。まるで幽霊のように、足先なんて輪郭すら見えていない。


 僕は驚きのあまり、声を荒らげてしまう。


 「な?! これはどういうことですか!! 下半身が透けてますよ?!」


 「ちょっと“調整”に手こずってこうなった。大丈夫、そのうち元通りになるから」


 「透けるなら、せめておパンティくらい見たかった! その先も見えてれば尚良しだったのに!」


 「この状況下でドギツいセクハラは止めて」


 いや、本当それ。自分で言っといてなんだが、それどころじゃないよ。


 僕はギュロスさんをそっと寝かした。


 しかし彼女が言った“調整”とはなんだろう。


 そんなことを思いながら辺りを見渡すと、これまた驚かされる光景が広がっていた。


 視界に広がるのは――壊れゆく世界の景色だ。


 以前、ここに来たときに見たどこまでも続く草原は、僕らを中心に百数メートルくらいまでしか続いておらず、そこから先は闇一色だった。


 満点の星空は砕け散るガラス細工のように、視界の端からひび割れている。


 そのガラスの破片が星星と重なって、ある種の流れ星のような散りばめ方をしているが、それに見惚れている状況じゃないのは確かだ。


 「な、なんだよ、これ......」


 眼前に広がる光景に、僕は力なくそう呟いた。


 もしかして、今しがたギュロスさんが言った“調整”とは、以前、僕がここに来たときに狂わせてしまった、この世界の時間の流れを指しているのだろうか。


 前回、彼女は僕に言ったではないか。僕との戦闘訓練で、この世界の時間軸の維持がままならなかったって。


 だとしたら、僕がこの世界を......。


 僕がそう考えていたら、ギュロスさんが僕の頬にそっと手を当てて告げてくる。


 「違う。君のせいじゃないよ」


 「でも......」


 「それに結果、君は強くなれたし、現実世界との時間の調整も上手くいった」


 「ギュロスさん......」


 「だから気にしないで」


 「......ちゃんと責任取りますから」


 具体的には、ギュロスさんの身柄を引き取って、将来温かい家庭を築くことを。大丈夫、下半身が透けても、僕はパ◯ズリとかフェ◯で満足できるから。


 「やっぱ全部君のせい」


 一応、ギュロスさんの調子はいつも通りみたい。


 「それで? これはいったいどういう状況なんです?」


 僕はさり気なくギュロスさんに膝枕しようと、彼女の頭をそっと持ち上げようとしたら、「イカ臭そうだから嫌」って拒否られた。


 僕は過去イチで傷ついた。


 「君が察した通り。前回、君がここに来て、私と戦った影響で色々と乱れてしまった」


 「それはその......すみません」


 「謝らなくていい。私もわかっててやったこと」


 「えっと......この世界は元通りになるのでしょうか?」


 一番の懸念事項を彼女に伝えると、ギュロスさんは夜空を眺めながら静かに言った。


 「時間はかかると思うけど、大丈夫」


 良かった......。


 ギュロスさんは僕を見つめ直して語る。


 「君をここに呼んだのは、こんな話をするためじゃない」


 「ああ、ムラムラしているからですか? 僕のは無料オプションですから――」


 「<最悪の王ワースト・ロード>について」


 僕のセクハラを無視して、彼女が真剣な声音でそう告げた。


 僕は苦笑しながら言った。


 「<月湖>のティアと接触したのはやはりマズかったんですね」


 「できれば会ってほしくなかった。事故だとしても、ね。でも遭遇したのがティアで良かった」


 「というと?」


 「実はあのまま君が王都に居たら、他の従者と遭遇してた」


 マジすか......。


 「そいつと比べると、ティアはまだ聞き分けが良い方」


 あの妖精さんと比べてアウト判定食らうとか、どんな奴だよ。


 「その者の異名は<冥途>。<冥途>のイシュターヌ」


 「い、イシュターヌ......」


 「君が“王”の資格を持っているとわかったら、問答無用で“城”に連れて行かれると思っていい」


 「絶対に会いたくないですね......」


 「うん。すごく美人だから気をつけて」


 「......。」


 「気・を・つ・け・て」


 「あ、はい」


 あ、危ない危ない、美女と聞いたら、少し迷ってしまった。


 「下半身で物事を考えるのは良くない」


 「......。」


 その通りだけど、言い方ってのもあると思う。


 「君は引き続き、ティアを言いくるめることに専念して。ティアはイシュターヌと違って、“王”というよりは君個人に執心だから、言うことは聞いてくれると思う」


 「それはまぁ、頑張りますけど......。僕、これから王都に戻っちゃマズいってことですよね」


 「うん。半月くらいしたら、イシュターヌも諦めて移動すると思う」


 マジかぁ。


 というか、なんでギュロスさんはそのイシュターヌっていう人が王都に向かっていることを知っているんだろう。


 「要件は伝え終えた。君を現実世界に帰す」


 「え」


 「あと、しばらく君と会うことは避けたい。君を呼ぶとこの世界の負担になるから」


 「ちょ、待――」


 「またね」


 そう半ば強引に告げられ、僕の意識は暗転するのであった。



 ******



 「しまった。伝え忘れた」


 ただ一人、ゆっくりと崩壊していく世界に住む者――ギュロスは夜空を見上げながらそう呟いた。


 鈴木を現実世界に送り返して、少し時間が経った頃合いに芽生えた後悔だ。


 ギュロスは虚空に向けて呟く。


 「私のことはティアには言わないように、と伝えないといけなかった」


 それからしばし静かな時を過ごしてから、ギュロスは結論づける。


 「..................ティアならバレないか。すごく馬鹿だし」


 という、あんまりな言葉がやけに辺りに響くのであった。

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