第455話 所詮、ここは悪の住処だから

 「くそ......こんなの割に合わないって!」


 アズザエルは本気を出した。


 敵――鈴木の実力を探っていたら、すぐに自分なんかに殺されてしまうと理解しているからだ。


 アズザエルはこの瞬間、化け物へと変身する。


 女の肉体は人の原形を捨て、<幻の牡牛ファントム・ブル>の拠点の大半を陰で埋め尽くすほど巨大化した。


 それは七つの蛇の頭を有する化け物だ。


 それは身体の所々に十四の人の顔を有する化け物だ。


 そしてそれは十二の巨大な翼を有する化け物だ。


 一言で言えば、“怪獣”。見るも悍ましい怪獣へと変貌したアズザエルは、眼下の鈴木を見下ろす。


 『どうせ見逃すつもりなんてないんでしょ』


 「......。」


 巨大化したアズザエルにそう問われても、鈴木は黙ったままだ。


 巨大化したことにより、スキルの効果範囲も飛躍的に広がっている。故にアズザエルは再び発動する。


 『【固有錬成:狂気淵酔】』


 周囲一帯、アズザエルを目にする者は、全てそのスキルの影響下にあった。


 精神に直接働きかけるこのスキルは、鈴木という一個体を弱体化させるくらい造作も無かった――


 「【力点昇華】......


 ――はずだった。


 、先程よりも黒に限りなく近い深緑色に変貌していたことに、アズザエルは気づく。


 鈴木の姿が掻き消える。


 瞬間、城とほぼ同等の大きさを誇るアズザエルの肉体が、“く”の字に折れ曲がる。


 『ッ?!?!』


 十四の人の顔が、一つも例外無く苦悶の表情を浮かべた。


 そしてその衝撃が、アズザエルという巨体を後方へ吹き飛ばすことになる。


 『ぐぁぁぁあああ!!!』


 たった一撃だ。たった一撃食らったことで、自身は後方へ木々を薙ぎ倒しながら、自然を破壊しながら飛ばされたのだと、アズザエルは理解した。


 『くそ......がぁッ!』


 アズザエルは踏ん張り、眼前を見据える。


 自身の【固有錬成:狂気淵酔】が聞いていないはずが無い。<1st>や<2nd>に対して効果はいまいちだったが、そう何度も無効化するような者が現れてたまるか。


 そう内心で苛立ちを覚えるアズザエルは、十二の巨大な翼を広げて、それぞれ禍々しい黒い魔法陣を展開する。


 『調子に乗るな......【死屍魔法:封殺槍】』


 突如として、それらの黒い魔法陣から巨大な闇の槍が、計十二本、鈴木に向けて射出された。掠りでもしたら、常人など消し飛ぶ威力を秘めた槍が、圧倒的な重量と物量を成して鈴木を襲ったのだ。


 鈴木はそれらを前に、助走をつけて一気に跳ぶ。


 そして最初の一本を宙に浮いたまま拳で破壊する。


 『え゛』


 アズザエルの口から間の抜けた声が漏れる。


 続いて、二本、三本、五本と破壊して破壊して破壊しまくった。何本か足場にして、彼我の距離を瞬く間に縮めていた。


 『ちょちょちょ! 素手で?! 素手で私の魔法を?!』


 「......。」


 そして最後の槍の一本を、鈴木は円運動を利用して、その軌道をアズザエルへと転換させる。


 「【固有錬成】――」


 また一つ、


 「【】」


 別のスキルを乗せて。


 アズザエルは眼前に迫る【封殺槍】を霧散させるべく、魔法を解除した。当然だ。自身が生成した魔法ならば、また自分の意思で消すこともできる。


 だというのに、


 『な?! 消えない?!』


 巨大な闇の槍は消えなかった。


 理由はわからないが、消せないのなら防ぐまで。現状、先程負ったダメージから回復しきっていないアズザエルは、自身の巨体を動かすことが困難であった。


 故に【魔法結界】を張った方が確実だと、そう思ったのだ。


 幸いにも【封殺槍】は極限に重量を高めるために相応の魔力を込めた一撃だが、自身が【魔法結界】を本気で張れば防げないことは無い。


 そう思っていたアズザエルに――ズドンッ。


 『......は?』


 巨大な闇の槍が、腹部を貫通して遥か後方の山へと突き刺さっていた。


 見れば、今しがた張った【魔法結界】は何の障害になることもなく、大穴が空いているではないか。込めた魔力量からして、絶対に防げると思われた矢先の一撃である。


 アズザエルの巨体に空いた穴から、黒い血が噴水の如く吹き出される。


 『がはッ』


 ズシンと大きな音を立てながら、アズザエルが前方に倒れた。


 その傷口から止め処なく流れ出る血が、辺り一帯を黒く染め上げる湖を造り上げるようだ。


 そんな中、倒れ伏したアズザエルの十四ある頭のうち一つの前に、ある者が立った。


 鈴木だ。


 「......。」


 『......ああ、くそ......転職............しなきゃ......よかった』


 少年の顔は陰っているが、尋常じゃない殺意を向けられているのは明白だった。


 アズザエルは死を覚悟する。鈴木を殺すつもりはなかった、上の命令だ、そんな言い訳は通用しない業界だ。ならば甘んじて死を受け入れよう。


 そう、アズザエルが思った、その時だ。


 「すまない、遅くなった」


 どこか中性的な声が、アズザエルの耳に届くと同時に、鈴木が何者かによって凄まじい衝撃と共に殴り飛ばされた。


 入れ替わるようにしてアズザエルの前に立ったのは――<2nd>だ。土埃が舞う中、少女は少し驚いた様子で口を開く。


 「あれれ、反応された。かなり強めに殴ったんだけどな」


 愛らしい少女の身体の一部は......腕は龍化して凶悪なものへと変わっていた。美しい蒼色の龍鱗を纏いし巨腕で、鈴木を殴り飛ばしたのだろう。


 「ボス、いきなり仕事から呼び出して化け物退治させる気っすか」


 また<2nd>と同じように別の者がアズザエルの視界に映る。


 中肉中背と声音からして青年の男だ。格好は平民のそれである。アズザエルが知らないその者は、牡牛の頭部を模した仮面を着けており、その特徴的な角が<7th>よりも少し大きかった。


 おそらく<6th>だろう。


 そんな男は飄々とした様子で、腰に手を当てて立っていた。


 「ボスの命令は絶対です。私たちはそれに従うのみ」


 <2nd>、<6th>に続いて、<7th>もまたこの場に現れた。


 相も変わらぬ修道服姿で、ただ歩く所作だけでも品性が感じられる雰囲気を醸し出している。


 そして最後に一人――<1st>が倒れ伏しているアズザエルの肩と思しき部位に、いつの間にか腰掛けていた。


 自身の醜い姿に臆することもなく、まるでその辺に腰掛けるように座っていたのである。


 「はは、悪いね。......さて、調子はどうだい? 傷は治ったかな?」


 <1st>の言葉を受けて、アズザエルは自身の腹部の状況を確かめる。そこに先程空けられた大穴は無かった。傷口が無いのである。


 おそらく気づかぬうちに<7th>が治してくれたんだろう、とアズザエルは思った。しかし身体に力が入らない。血を多く流しすぎたせいだろうか。


 アズザエルは薄れゆく意識の途中で、<1st>の声を聞くことしかできなかった。


 「ふふ。お疲れ様。後はワタシたちに任せてくれ、


 ああ、転職してよかったなぁ。


 そう思う、アズザエルであった。

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