第438話 そして悪夢から覚めて
「ああ、本当はまだするつもりはなかったのですよ。ただ既成事実という言葉もありますし、今の王城にはそこまで脅威となる者はいませんから、今が好機という他ありません」
「誰か! 誰か助けてください!!」
「無駄ですよ、しばらく助けは来ません」
第一王女アウロディーテをベッドの上に押し倒した男、ハミーゲ・ヨーミエルはまるで聞き分けの悪い子に言い聞かせるように言った。
ハミーゲは齢十二のアウロディーテよりも歳が五つ上で、その整った容姿から異性を魅了する男であった。そんな男は、上等な貴族服を上から脱いでいき、怯えるアウロディーテの下へ近づいていく。
「なに、全て私に任せて、あなたはただ大人しくしていればいいのですよ」
「誰か!! 誰かぁ!!」
アウロディーテの悲痛な訴えが部屋中に響くが、誰もこの場には駆けつけてこない。
やはり自身の勘は正しかった。父、グラシンバ・ギーシャ・ズルムケとその臣下を除けば、この城に重鎮は居ない。そんな状況下で第一王女を狙っていたのだと、アウロディーテは考えていた。
そんなアウロディーテは震える身を押し殺して、ハミーゲを睨みながら告げる。
「私にこのようなことをしてただで済むと思っているのですか!!」
「はは。私もそこまで愚かではありません。これを使います」
そう言って、ハミーゲは懐からとある小瓶を取り出した。透明な小瓶の中身には、同じく透明色の液体が入っている。ハミーゲはにこにこと笑みを浮かべながら説明した。
「これは<サキュバスの唾液>と言って、人間にとっては男女問わず強力な催淫効果をもたらす代物です。これであなたは快楽に抗えない身体になってしまうことでしょう」
「?!」
「たしかに姫殿下は可憐で魅力的な女性とは思いますが、元々、私はあなたのような小娘相手に興奮を覚えるような男ではないのですよ」
「だ、だからそのような物を使って私を......」
「ええ。これを私たちが服用して、子を作るのです。ふふ、お望みならば、口移しで――」
そう、ハミーゲが言った瞬間だ。
アウロディーテの足が、ハミーゲの股間を蹴り上げていた。
「?!?!?!?!?!」
ハミーゲは鋭い痛みの次にやってくる激痛に、目を見開いた。
まだ成人していないアウロディーテと言えど、繰り出した一撃の破壊力は凄まじかった。
またそんな少女の足には硬く、それでいて先の尖ったヒールがあった。ある種、一種の武器にも成りうる凶器は、正確にハミーゲの御子息を捉えていたのだ。
まるで自身の下半身にある球状の何かが、二つとも破裂したような感覚に陥ったハミーゲは、悶絶して蹲る。下半身の異常は、未だ嘗て無い警笛の大音声と共に、男を呼吸困難にさせていた。
アウロディーテはすぐさまベッドから離れて、ハミーゲが床に落とした<サキュバスの唾液>が入った小瓶を踏み砕いた。
「はッ! 甘かったですね! 以前、ヘヴァイスと喧嘩したときに、病弱な私でも有効打となる技を身に着けたのですよ!」
王女の股間蹴り、まさかの弟との喧嘩から生み出されたものとは、誰が予想できただろうか。当時のヘヴァイスの苦しみを思い知ったハミーゲである。
ちなみにアウロディーテが歳不相応にヒールを好んで履くのは、過去の弟の喧嘩から生まれた趣味だ。
「こ、このクソガキがッ......」
アウロディーテがそんなハミーゲを他所に、この場を離れようとした、その時だ。
「ジュマぁ!!」
ハミーゲがその名を叫んだ。
「ひひッ。ここに」
「っ?!」
ハミーゲが呼んだ男は、どこからとなく現れ、この場から逃げようとしたアウロディーテの前に立ちはだかった。
黒い外套に身を包んでいる男で、小柄なアウロディーテと比較してもさほど体格差が無い見知らぬ人物だ。しかし纏う雰囲気は、とてもじゃないが真っ当な人間では醸し出すことのない邪悪さがあった。
ジュマの声は老人のように掠れていて、外套から見える手の皺は長く生きた者のそれだとアウロディーテは察する。
ハミーゲはジュマに命令した。
「そのガキにあの呪いを使え!!」
「ひひッ。よろしいのですか? 計画が狂うと思いますが」
「知るか! ヘヴァイスかアテラを代わりに使う! お前は私の命令だけを聞いていればいいんだ!」
「......わかりました」
ハミーゲの言葉に、アウロディーテは声を荒らげた。
「私の兄弟に何をするつもりですか!!」
「はッ。お前の知ることではない! ジュマ、さっさとその小娘に死なんて生ぬるい苦しみを与えろ!!」
その言葉に、アウロディーテは眼前のジュマと呼ばれる老人を警戒した。
ジュマは掠れた声で同情するように告げる。
「お嬢ちゃん、可哀想だねぇ。これから死にたくても死ねない、辛い思いをするんだよ。ひひッ」
「くッ」
アウロディーテがその老人から距離を取ろうとした、その時だ。
ジュマは両手をパンッと叩いて鳴らした。
「【呪法:墓無シ】」
「?!」
途端、アウロディーテの片腕が限界を越えて膨らみ、内側から破裂する。
「え......あ、あ......あぁあぁぁあああ!!」
少女の絶叫が部屋中に響き渡った。
激痛でアウロディーテが床へ倒れ伏せる様を見下ろしながら、ジュマは淡々と語る。
「ひひッ。安心して。失った腕はすぐに生えてくるよ」
老人の言う通り、アウロディーテの片腕は、破裂した断面から生えるようにして肉を生み出した。その生えた腕は元の白色よりも少し紫がかっていて、どことなく禍々しいものだった。
未だに痛みは消え去っていないが、アウロディーテは失くなった自身の腕があることに若干の安堵を覚える。
「わ、わたしの腕......」
「ひひッ。また破裂するけど」
ぱんッ。
何の拍子か、アウロディーテの片腕は再び内側から破裂した。
少女の鮮血が辺りに飛び散る。
そしてそれは片腕だけではなかった。
アウロディーテの足や頬が次々に膨らんで、破裂して、再生を繰り返し始めたのだ。またその破壊と再生を繰り返す度に、少女の肌は元の白さを失って、黒ずんだ紫色へと変わっていった。
「あぁぁあぁああああ!!」
「ひひッ。【墓無シ】を食らった者は死ねない。誰かに殺してもらうか、私が解呪するまでそのままだ。痛いねぇ、苦しいねぇ、辛いねぇ」
「あああああああああ!!」
ジュマは面白がるようにアウロディーテを見下ろす。
そして徐々に色黒く、醜く変貌していくアウロディーテは、やがて地獄のような激痛の連鎖に絶望して、叫び声を上げなくなっていった。
*****
「誰か私を殺して」
私は死にたかった。
身体の所々から、肉が内側から破裂する苦しみは絶望しかありませんでした。
もうどれくらいの月日が経ったのでしょうか。痛みに慣れることはなく、私の身体はとうに人のそれではないほど、醜く悍ましいものへと変わり果てていました。
きっとあの老人――ジュマが言う通り、私は誰かに殺されるか、解呪されるまで苦しみ続けるのでしょう。
だから私は......死にたかった。
「誰か......私を殺して......お願いだから」
暗闇の如く、光から閉ざされたこの空間で、私は常に“死”を懇願していた。
誰もでいいから、もう何も期待はしないから、私に“死”を、たった一度だけでいいから、“死”を与えてほしかった。
この絶望から解放されたかった。
なのに、
「なぜ......誰も......私を......」
誰も、誰一人として私を殺してはくれませんでした。
きっとお父様も、お母様も、私のような化け物を殺さないでいるのは、まだ希望を抱いているからでしょう。
でも私には
そんな私の声は両親に届いているはずなのに、二人は私を殺さずに生かし続けています。どれだけ苦しいのか知らないからでしょうか。だからか、私の絶望は一入でした。
やがてその感情は家族への愛情を薄れさせていきました。
「お願いだから......誰か............誰か......」
誰も、何も聞いてくれない。
“死”がこの苦しみから私を救う唯一の手段なのに、誰もそれを許してくれない。
もう......全部、全部......嫌い。
「なぜ誰もわかってくれないの......」
そう、私が誰にも届くはずのない声で言葉を紡いだ、その時です。
「やぁ。君がアウロディーテさん?」
「ッ......」
聞こえてくるはずのない、誰かの声が聞こえてきました。
そして同時に一筋の光のようなものが、その誰かの後ろから私に降り注いできました。
どこまでも優しい声音で、聞いたことのない声で、私に問いかけてくるその人物は――私とそう歳が離れていない男性でした。
顔を上げ、その方と目を合わせます。
「どうも、美少女のためのヒーローです」
その方は微笑みながら、私にそう告げました。
なぜここに人が......。それに何を訳のわからないことを......。
そう思っていると、彼は私の頬に伝う涙を指先で拭ってきました。
「ここから一緒に出ましょうか。......だからもう泣かないで」
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