第437話 [アウロディーテ] あの日の悪夢

 「私を王にしてくれませんか、アウロディーテ姫殿下」


 そう、とある男性が私にお願いをしてきました。


 いつの日のことだったか、王城の庭の木陰で本を読んでいた私は、隣に座る男性にそう言われて、視線を手元の本からその男性へと移しました。


 その男性は私より五つほど年が上で、事ある毎に私の側に居ました。また周囲には誰もおらず、少し離れた所に使用人と護衛の騎士が控えている程度です。


 彼は貴族の中でもかなりの権力を有している公爵の一人息子で、目的のためには手段を選ばないことと、非常に執念深い性格の持ち主であることは、幼い私でも覚えさせられていた事実でした。


 当時、なぜ王族でもない彼が私にそのような願いをするのかわかりませんでした。


 だから私は至極真っ当な返答をしました。


 「王になるのは王族の血が流れている者のみです」


 男はまるで太陽のような明るい笑みを浮かべて言います。


 「ええ、ええ。よく理解しておりますとも。ですが必要なのは国王の権力で、国王そのものではない。私が望むのは、この国を牛耳る国王の権力です」


 「国王は神ではありません。何でも好き勝手できる存在ではありませんよ?」


 「それは違いますね。実は何でもできるのですよ」


 「? お父様はいつも臣下に相談してますけど......」


 「ふふ。やはりまだ考えに至りませんか」


 そう言って、男は私に向き直ってから、私の頬にそっと手を当てて優しい声音で告げます。


 「あなたは非常に優秀だ。きっとお父上の意志を継ぎ、正しくこの国を、民を導くでことしょう。しかし――病弱だ」


 彼の手はすごく冷たくて、まるで直に氷を当てられたときのような痛みすら感じる体温でした。


 「知ってますか? 我が国の王家は先祖から代々呪いを受け継いでいることを」


 「......少しだけ」


 「ならば話は早い。どういう呪いかまでは説明する必要がありませんね」


 男の言う通り、実は、王家の者は代々呪いをかけられています。その呪いとは、先代よりも優秀な子が生まれるという呪いです。


 それは決まって一番最初に生まれてくる赤子のみ、呪いは働きます。つまり第一王女である私がその呪いの対象で、他の兄弟は呪いを受けません。


 そしてその呪いを受けた者は――人よりも短命であること。


 そのせいか、私の身体はよく不調に陥り、丈夫ではありません。


 しかし短命であっても、優秀な子が生まれてこなければならない。


 この国を導くため、子孫は先代を超えなければならない。


 そのための呪いで、私の命で......宿命です。


 現に私は大した努力をしてもないのに、ヘヴァイスやアテラよりもずっと優秀です。無論、身体が病弱という点だけを除けば、ですが。


 男は天を仰いで、わざとらしく言いました。


 「ズルムケ王家は過酷な運命を課せられているのです! ああ、この国に尽くすためにその命を削るとは......」


 「......王家の呪いは、王家が抱えていくものです。あなたには関係ありません」


 「そんなご無体な。それに私は無関係ではありません。なぜなら私は......あなたの夫となる者なのですから」


 「っ!!」


 にちゃり。気色の悪い笑みを浮かべた男に、私は背筋を冷たいものでなぞられたような感覚に陥りました。


 思わず立ってしまい、一歩、また一歩と下がります。


 「はは。何をそんなに怯えているのですか。アウロディーテ姫殿下、より優秀な子を生むためには、夫もまた優秀でなければならないことは当然のこと。ならば私めが妥当でしょう」


 「だ、誰があなたと!! それにまだ私の婚約者があなたと決まったわけではありません!」


 「いいえ。断言しましょう。私が殿下の婚約者になる者です。......


 「っ!!」


 私はその場から離れ、護衛や使用人が居る者たちの下へ向かいました。


 そんな私の後ろ姿を、男はただじっと立って見つめているだけでした。



*****



 「お、お父様、今なんと仰いましたか」


 それから幾日か経ち、公務をしていたお父様に呼ばれてその部屋に向かった私は、既に居たお父様以外の男と対面しました。


 その男は数日前、私と将来結ばれることを宣言した貴族の者でした。


 私がもう会いたくないと思っていた者です。


 お父様は部屋の中央にある席に着いたまま、再び口にします。


 「聞こえなかったか? ここに居るヨーミエル公爵の次期当主ハミーゲを、アウロの婚約者にすると言ったんだ」


 彼が......私の?


 ハミーゲは相も変わらず、にこにこと笑みを浮かべながら私を見つめてきます。


 「そ、それはどういうことですか!!」


 「落ち着け。いきなり婚約者が決まったと聞かされて動揺する気持ちはわかるが、我々は王族だ。アウロの次代のことを考えれば、優秀な者と結ばれた方が良いだろう」


 「私はまだ――」


 「そう簡単に納得できない気持ちも理解しているつもりだ。しかしお前にはヘヴァイスやアテラと違って、残された時間はそう多くない。わかっておるな?」


 「そ、そうかもしれませんが......」


 「それにハミーゲは既に父ワギーケと共に外交の面で活躍している。他国に依存するつもりはないが、協力し合う関係を築くためにも、彼はお前の力になってくれるだろう。な? ハミーゲよ」


 「はい。私の全てを王家に捧げ、生涯を賭けて尽くすと誓います」


 「はっはっはっ! 期待しているぞ」


 笑い合う二人を前に、私は疑問を拭い切れませんでした。


 なぜお父様が彼......ハミーゲを私の婚約者にすると言い出したのでしょうか。それも当人を同じ部屋に呼んで......。


 実際、ヨーミエル公爵はこの国の繁栄に多大な功績を残しているのは確かです。お父様が彼を候補に選ぶのも理解できます。ですがあまりにも急すぎます。


 それにこのような大切な話の場に、お母様が居ないのはおかしいです。お母様が他国へ出向いている今を狙った行動のように思えます。


 何かがおかしい。お父様の様子も違和感を覚えます。


 そう思った私は、この場を早々に後にしました。



*****



 「タフティス総隊長の下へ向かいます。準備なさい」


 自室に戻った私は、使用人にそう告げました。使用人は私に従い、準備に取り掛かるため、私の下から離れていきました。


 嫌な予感がした私は、早急に行動を取りました。


 この王城で何かが起こっている。まだ勘の域ですが、もはや確信に近いため、このまま一人で抱えていては対処しきれないと思った次第です。


 まずは<三王核ハーツ>として長年生きてきた王国騎士団総隊長のタフティスさんを頼ります。


 不老不死の彼は他の<三王核ハーツ>と違って代替わりしないため、私たち王家の者にとっては先祖代々より頼るほど重宝する存在です。


 「一体いつからお父様はあのような考えを......」


 ヨーミエル公爵は何を狙っているのでしょうか。王家に取り入るのは貴族としてわからなくもない考えですが、それにしても行動があまりにも大胆過ぎます。


 私がそう考えた、その時です。


 「やはり勘が鋭いですね、アウロディーテ姫殿下」


 「っ?!」


 誰も居ないはずの後ろから男の人の声が聞こえ、私は慌てて振り返りました。


 そこには先程、お父様と笑い合っていた男――ハミーゲが居ました。


 私は底知れぬ恐怖を感じ、震える身体を押し殺して吠えます。


 「きょ、許可なくこの部屋に立ち入るとはどういう了見ですか!!」


 「まぁまぁ。私たちは近い将来結ばれる関係なのですから、何も問題は無いでしょう?」


 「っ!! そのようなこと――」


 「黙れ」


 パンッ。頬に生じる鈍い痛みと、じんわりと熱が込み上げてくる感覚を覚えながら、私は今しがた自分がされた行為に目を見開いていました。


 そして先程までニコニコと薄気味の悪い笑みを浮かべていたことが嘘のように、男は冷徹な視線を私に向けていました。


 「......お父様に何をしたのですか」


 「いやはや、齢十かそこらの子供に勘づかれるとは、優秀すぎる次代の女王も考えものだな」


 私が部屋の外に居るはずの兵を呼ぼうと口を開いた、その時です。


 ハミーゲは余裕の態度を崩さずに言いました。


 「無駄ですよ。既に人払いはしていますから。助けは期待できません」


 「っ?! 一体どうやって!!」


 「ふふ、秘密です。それよりも......」


 ハミーゲは私をベッドの方へ乱暴に押し倒しました。


 「きゃ?!」


 私は無様にも力なく倒れてしまいました。ハミーゲは自身の貴族服のボタンを外し始めます。


 そして私の上に跨り、下卑た笑みを浮かべながら告げました。


 「あなたにはこれから私の子を孕んでもらいます」

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