第113話 一か八かの一言

 「誰かと思えば、男爵か。......その少年は?」


 どこかの城の中、最奥の玉座に腰掛ける者が居た。


 決して大きくない中性的な声は透き通っていて、遠く離れた僕らの耳元にまで届いていた。


 そしてその声の主は、雄牛のデザインが施された仮面を付けていた。


 雄牛のデザインに目が無ければ、鼻も口も無い。ただその目と思しき箇所からぐるりとねじ曲がった大きな角が生えていて、それだけで“雄牛の仮面”とわかってしまった。


 その印象を即座に抱いてしまったのは、僕が以前に――<幻の牡牛ファントム・ブル>の幹部と戦ったことがあるからだろうか。


 ただ一つ確実に言えることは、あのときの幹部の男が比じゃないくらい


 雄牛の角も類を見ないほど大きい。


 それ故に言えることは、アーレスさんから聞いた話、<幻の牡牛ファントム・ブル>の幹部は全員が雄牛の仮面を所持していて、角の大きさや太さで序列が決まっていることだ。


 「はは、ドラゴンゾンビの比じゃないな」


 思わず自分の口から乾いた笑いが漏れる。未だに馬車から一歩も踏み出すことができない僕であった。


 どう見ても以前戦った幹部の男よりも角が大きいし、太い。


 そもそもの序列がいったいどこまであって、眼前の人物がどこに位置するかすらわからない。


 「お助けくださいぃ!!」


 「ひッ?!」


 すると突然、ブレット男爵とその中年執事が馬車から下りて城内に踏み入り、額を地べたに叩きつけた。両手両足を折り曲げたその姿勢は、日本人の僕でも知っている土下座である。


 ちょ、なに、こっちまで驚いちゃったよ。


 さっきまで余裕の表情を浮かべていた男爵の顔が、今となっては必死に命乞いをするような惨めなものへと変わっていた。


 二人が進んでこの場にやってきたのに、なんでそんな許しを請う行動を取っているんだ......。


 「はぁ......男爵、前にも言ったじゃないか。【合鍵】を使ってこの場に直接来ることは禁止だって」


 「申し訳ございません! 申し訳ッございません!! 敵が! 敵が攻めてきたのですッ!! 私を人質にしてぇ!!」


 「?」


 そう言って、雄牛の仮面が微かに、馬車の中に居る僕の方へ向いた。


 マズい......。


 「この者が! 身の程を弁えずに攻め入ってきたのです!!」


 「......その少年が?」


 「はいぃ!!」


 「......。」


 これが狙いか。


 魔族姉妹の言う通り、先程まで馬車の中に居た状況だったら、僕の方が有利な立場だったんだ。でも僕は慎重にと、行動に移さなかった。


 ブレット男爵が黒と自白した瞬間に、捕らえるべきだったんだ。


 僕は思考を回転させる。魔族姉妹も発言をしないのは、相手の能力が未知だからだ。


 僕らのコミュニケーションの強みは、二人の声が僕以外には聞こえないという環境が整っている点。アーレスさんと同等の存在が現れれば、その強みとやらは意味を失くす。


 だから今は一人で考えて行動しないと。二人の指示は仰げない。


 馬車を降りれば死地なのは確定。ならば男爵も執事も乗っていない今なら、馬車のドアを閉めて城内と遮断することができる。


 なのに、


 「......くそ」


 動けない。


 一歩でも動いてドアノブに手を差し伸ばせば、閉められるその扉を引けない。


 恐怖からか、手足が震えて何もできない。


 でも玉座に座る人物とは十分な距離がある。


 大丈夫だ。すぐに行動すれば――


 「少年も下りなよ」


 「あ、はい」


 『『......。』』


 やべ。


 緊張で動けなかった僕の身体は、あちらさんのその一言で普通に行動してしまった。


 逆らったら死ぬと本能が察したのか、ホイホイと動いてしまった。


 魔族姉妹からの視線が痛い。


 ごめんね。死んだときは生き返らせて。


 他力本願百パーセントの僕は、馬車から降りた。そしてブレット男爵の横に立つ。


 そして不思議なことに、馬車の扉は勝手に閉まり、後には大きな石造りの両開の扉が顕現された。


 この重圧感のある扉こそが、だだっ広い空間の出入口なのか......。


 「敵って、少年のことかな?」


 「......。」


 僕は黙り込んでしまった。先程の即答はどこへ行ったのやら、どう答えようか迷う始末である。


 「そうです!! この者が――」


 「黙れ」


 瞬間、ズドッという不穏な音が隣から聞こえた。


 そちらへ目を向ければ、


 「っ?!」


 主と同じく土下座をしていた執事が、その背の上から一本の真っ黒な槍で貫かれていた。


 一突きで貫かれていたのは執事の男の心臓と思しき箇所だ。


 刺された男の口から、ビチャビチャと血が吐き出されているが、瞳に生気は無い。絶命したのだ。いとも簡単に、呆気なく。


 「ひぃいいいぃい!!」


 その後、土下座の状態で串刺しにされた執事の男は、その体勢を崩すこと無く、ただただ無力にその頭を垂れているだけの死体と化した。


 それを目の当たりにした男爵が悲鳴を上げる。


 敵ではなく、無慈悲に刈り取られた命が身内であったことに、絶望で顔色を染めた。おそらく次にまた失態をすれば、今度は自分の番だと察したのだろう。


 「聞いているのは男爵じゃない、少年だ」


 仮面の人物は依然として頬杖を突いたままで、僕に聞いてきた。


 ここで敵じゃないと主張すれば僕は生きて帰れるのだろうか。


 ......無理だろうな。


 目の前で、少なくとも僕の味方ではなかった執事の人が殺されたんだ。


 玉座に座る、人の命をなんとも思っていないアレに。


 なら答えは決まったようなもんじゃないか。


 「そうですよ、闇組織の拠点に襲撃するためにやってきました」


 「......。」


 ああ、僕って本当に運が無いな......。

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