僕は妹を捨てたい

美濃由乃

第1話 僕は妹を捨てたい


「「おはよー!!」」


 ピッタリと息の合った僕たちの声が朝の教室に響くと、各々が気だるげな様子をしていたクラスメイトたちが、一斉に反応して顔を上げた。


「春香に冬真!やっときたか」

「ふたりともおはよー!」

「おはよー春香!ねぇねぇ聞いてよ!昨日大変で宿題できなくてさぁ」

「冬真!昨日貸した漫画どうだった?サイコーだったろ?」

「そうだ!春香と冬真ってあの映画もう見た?」

「ちょっと!私が先に話してたでしょ!」


 わちゃわちゃと擬音が聞こえてきそうな様子で、クラスメイトたちが一斉に僕たちに集まってくる。


 僕たち冬真(とうま)と春香(はるか)は双子の兄妹で、髪型は違うけど顔の作りは瓜二つ、ありがたいことに世間では美男美女とカテゴライズされている。持ち前の明るい性格と、双子という話題性にかかない個性で、今ではクラスの人気者だった。


「ちょっと皆落ち着きなって、私と冬真は逃げたりしませんって!ねぇ?」


 そう言って隣で朗らかな笑顔をしているのが、双子の妹、春香(はるか)だ。


 つやのある黒髪を肩まで伸ばし、前髪は眉のあたりで切り揃えられている。真面目な顔をしていれば、どこか謎めいた、それでいて妖艶な感じを醸し出しそうな彼女は、いつもにこやかに笑っていて、無邪気な幼さと親しみやすさに溢れている。


「うんうん、みんな慌てすぎ!僕と春香はどこにもいかないよ」


 僕は春香に合わせて可笑しそうな表情を作り、一緒に肩をすくめてみせる。完璧なシンクロ率。

 

「ってことで、皆の衆落ち着きなよ~。だいたいさぁ、毎朝毎朝一斉に、みんな私ら二人のこと好きすぎじゃん?私らモテキきたんじゃない冬真?」


 春香がわざとらしくナルシストっぽく発言すると、皆がぶーぶー言いつつも笑いながら反撃してくる。


「春香ジイシキカジョ~」

「モテキなんてきてませ~ん」

「お前らいつも二人でいるから、それぞれに話がある奴が集まってきていつも渋滞すんだよ」

「そうです~、だからみんな急いでるです~」


 皆の言い分は間違ってはいない。僕と春香は双子で、見た目がそっくりらしくて、明るくて、人気者だった。僕と春香の周りには常に誰かが集まってくる。人の壁に阻まれて、話がしたくても、満足にできない人も実際にいるのだと思う。


「あ~じゃあやっぱり、みんなは私と冬真のことが好きってことじゃんね?」


「だね、春香。やっぱりモテキ説あってるじゃん」


 そう言ってふたりで顔を見合わせて、いたずらっ子のように笑ってみせる。その動作は流れるように自然で、まるで打ち合わせでもしていたかのようにスムーズだった。見ていたみんなから「流石双子」と呟きがもれる。


「あ~冬真君まで春香みたいな事言ってる!」

「どんだけ息ピッタリだよ」

「だいたい、こうなってるのもお前らがいつも一緒にいるからだろ、たまには離れてくれよ」




 たまには離れてくれよ


 誰かが言った懇願が僕の頭にこびりついた。



「むり~無理で~す!私と冬真は一心同体!互いになくてはならない存在なのです!ね、冬真?」


 とびっきりの笑顔で同意を求めてくる春香、その笑顔は眩しくて、実際に周りには見惚れている男子もいたと思う。それでも僕にはその春香の顔がーー



「冬馬?」


「…っ、あったりまえじゃん!春香と離れたら栄養失調になる自信あるね!」


「いやいや!どんだけ一緒がいいのよ!」

「恐るべし双子の一体感ね」

「でも二人が一緒だと絵になるからなぁ」


 僕の言葉に、皆んながそれぞれツッコミや感想をもらしたところで、始業をつげるチャイムが鳴った。各々が自分の机に戻っていき、ようやく解放された僕と春香も自分たちの席に向かう。


 僕と春香の席は一番後ろの隣同士。

 すでにみんなは席で授業の用意を始めていて、僕たちのことを見ている人はいない。


 僕が席に座ろうとした時、春香が自然に近寄ってきて、僕の耳元で囁いたーー



「ねぇ、なんで言い淀んだの?ちゃんと言ってよ、妹がいないとダメだって」


 無表情、今の春香は一切感情が読み取れない。先ほどまでクラスメイト達と話しをしていた人物とは思えない豹変ぶり。


「……ごめん」


 僕が小さく謝罪をした時には、春香はもう、いつもの無邪気な笑顔をして席に座っていた。


 誰にも聞こえていない。

 誰にも気付かれていない。


 今のが春香の本性だった。


 親しみやすい笑顔を張り付けて、誰にでも気さくに応対する。それが表の春香。


 無表情で、僕を縛り付けているのが、裏の春香。


 春香の本性は誰も知らない。

 友達も、先生も、両親も知らない。

 僕だけが、知っている。

 僕にしか春香は本性をけっして見せない。


 だから、誰に言っても信用してはもらえない。


 僕はもう何年も春香の言いなりだった。


 いつからだっただろう、春香が本性を出し始めたのは……気がついた時にはもうこうなっていたけれど、たぶんきっかけはあの時だ。


 僕は本当は内気な方で、目立つのは恥ずかしくて嫌だった。小学校低学年の時、双子ということで何かと注目を集めていた僕は、出来るだけ一人で行動したいと春香に相談したことがあった。あの時のことは今でも覚えている。


「ふざけないでよお兄ちゃん。お兄ちゃんは私と一緒にいなきゃダメでしょ。お兄ちゃんは妹の私のためにいるんでしょ」


 一瞬で笑顔が消え、真顔になった妹に、僕は初めて怖いという感情を抱いた。そのまま瞬きすらせずに見つめてくる春香に、僕は自分の意思を貫き通すことができなかった。


「わかったよ。ごめん」


 僕が折れた瞬間、春香はニタァっと笑った。いつもの無邪気な笑顔とは違う笑顔、見たのはあの時が初めてだった。


 あの時から、春香は僕にいろいろと要求してくるようになった。常に春香と行動を共にすること、他の人の前では、春香に合わせて明るく振る舞うこと、春香の行動を観察して動きを合わせること、他にもたくさん言われたことがある。


 一人で友達と遊びに行くことも制限された。気になっていた女の子とは口を聞かないようにと言われたこともある。とにかく春香は僕の行動に干渉してくるようになった。


 とにかく四六時中、春香は僕に付き纏ってくる。それぞれに与えられていた子供部屋も、春香が両親に頼んで同室にされた。


 初めは抵抗した。僕にだって嫌なことはある。いくら双子とはいえ、片割れのために自分を殺すのは嫌だった。けれど抵抗もすぐに諦めた。



 春香は僕が抵抗すると、きまって自分を傷つけたからだ。


 いきなりコンパスの針を指に刺したこともあるし、僕の目の前で、左手の爪を全部剥がした時もあった。そして、血が流れたままの部位を僕に見せて言うんだ。



「冬真のせいだよ」



 春香は痛そうな表情は一切しない、爪を剥しているときさえ無表情だ。感情のない顔で怪我を見せつけてくる春香に、僕はただ謝ることしかできない。謝って、謝って、必死に許しをこう僕を見て、ようやく春香はニタァっと笑った。


 だから僕は春香に逆らえない。

 単純に春香が怖いし、怪我もさせるわけにはいかない。


 きっと、僕はこのまま春香のおもちゃとして、自由のない日々を送っていく、そう諦めながらも、どこか納得できない日々を過ごしていた。



ーーーーーー



 放課後、僕と春香はクラスの友人たちと一緒に遊びに行くことになった。


 みんなとどこに行くか相談しながら下駄箱まで来ると、僕の下駄箱に一通の手紙が入っているのが見えた。


「え、冬真、それって……」


 誰にも気が付かれなければあとからこっそり見ようとも思ったけど、目ざとい春香にすぐに見つかってしまった。


「なんだろ、ラブレターだったら嬉しいんだけど」


 他の人たちもいる手間、僕はいつもの陽気なキャラを演じて応える。みんなの注目も自然に手紙に集まり、この場で読まなきゃいけない雰囲気になってしまった。それに、春香にはもう見られてしまった。二人きりになってから読む方が悪い状況になりそうだ。「僕が読むから」と軽く周りを牽制して、僕はその場で手紙を開いた。


「……」


「な、なんて書いてあった?」


 焦れたみんながにじりよってくる。僕は手紙の内容を判断して、素直に打ち明けることにした。


「要件は分からないけど、放課後、屋上にきてほしいってさ」


 おぉ〜と周りから声が上がる。どうやらみんな同じことを考えているみたいだ。手紙の文字は可愛らしくて僕も少しは期待してしまった。これがラブレターなんじゃないかって……。


 春香を見る。みんながいるからか、いつもの仮面を貼り付けたままの春香。


 この手紙がなんであれ、チャンスだと思った。

 春香から離れるきっかけになる。


「一応言っておくけど、みんな付いてこないでよ!春香、僕のためにみんなをよろしくね!」


「……うん!任せて! さぁ冬真、ここは私に任せて先に行って!」


 わざと春香に頼んだ。いくら春香でもみんなの手前ではキャラがある。予想通り、春香はみんなの前でのキャラを優先した。はしゃいでいるクラスメイトたちと春香に、先に帰るように伝えて、足早に屋上に向かう。


 いったい屋上には誰がいるのか?

 どんな用件があるのか?

 どうして僕を呼ぶのか?


 気になることだらけだったけど不安はない。


 少しでも春香から離れることができたのだから、願わくば、このまま春香と離れるきっかけになってくれることを望みながら、僕は屋上への扉に手をかけたーー



――――――――



 屋上での一件を済ませてから僕は家に帰ってきた。


 途中、もしかしたら春香が待ち伏せしているかもと、警戒していたけれど、意外にも春香は先に帰り、部屋でくつろいでいた。


「おっかえり〜」


「……ただいま」


 僕の警戒をよそに、あまりにも普段通りの春香。手紙の件がなんだったのかも聞いてこない。まるで興味がないかのような様子だった。


「手紙の呼び出しの件……聞かないの?」


「聞いてもいいの? じゃあ何だった? やっぱり告白?」


 待ってましたとばかりに、キラキラとした目つきを向けてくる春香。やっぱり興味はあったみたいだけど、この反応は正直おかしい。だって、これじゃあまるで、友達の前での表の春香だ。僕は春香の様子に若干の薄気味悪さを感じながらも正直に何があったのかを話すことにした。


 屋上で待っていたのは、クラスメイトの女の子だったこと。

 要件は、みんなの予想通り、告白だったこと。

 そして――



 僕が、その告白を受け入れたこと。


 屋上で告白を受けた時、僕は覚悟を決めた。これまでの僕は春香の道具のように、春香が望んだままに生きてきた。


 この状況を変えたい! そう思ってきた僕に訪れたのが、今回のチャンスだ。正直、相手はクラスメイトだけど、あまり話しもしたことがない人だった。けれど、そんなことは関係ない。せっかくのチャンスだ。もう僕たちは高校生、これからは春香のためにじゃなく、自分のために生きたい。たとえ今回の件で春香が怒っても、僕は絶対に折れないと覚悟を決めていた。


 それなのに――



「うっそ⁉ すごいじゃん冬真! クラスメイトって誰⁉ ていうか彼女持ちなんてやる~」


「え? ぁ、あぁ、佐藤さんだよ」


「佐藤さん⁉ あの物静かで儚げな子! ひゅーひゅー!いつの間にお近づきになってたのよ?」


「いや、僕はそんなこと、あまり話しをしたことはなかったけど」



 どうして春香はこんなにもいつも通りなんだろう。いや、僕と二人きりの時の春香はこうじゃないから、いつも通りではないけれど、だからこそ不自然だった。


 まるで僕の覚悟なんて、無意味だと言わんばかりに明るい春香は、友達がいる時のキャラで僕に告白をされた時のことを聞いてくる。


 いつもはこうじゃない、いつもなら、僕が春香から離れることがあれば、無表情で怒りだして、自分を傷つけてまで僕を屈服させようとするのに……今日の春香は明らかに以上だった。



 それから、僕は春香がいつ爆発するかと、内心では警戒していたけれど、結局、春香は表の顔である笑顔を貼り付けて、僕に執着する様子は見せなかった。


 これは、明らかにおかしかった。

 春香はきっと何かを考えているに違いない。

 僕は、春香から極力離れるようにして、相手の出方を伺うことにした。


 学校では、すぐに佐藤さんの元に向かい、春香の様子を伺う。


「佐藤さん、おはよう!今日からは一緒にお昼食べようね!」


「あ、冬真君。ぅん、あのね、私、冬真君にお弁当作ってきたの」


 わざと教室中に聞こえるくらいの声で佐藤さんに話しかける。周りからはクラスメイトたちの感嘆の声や、ちゃかすような声が聞こえてくる。僕はわざと佐藤さんとの仲を知らしめるようにして春香の反応を待った。



「ひゅーひゅー!お暑いね、冬真!」


 春香は、周りの友達と一緒になって盛り上がっていた。まだ、本性を隠すつもりのようだ。


 でもきっと、すぐに本性を出すはずだ。何週間かしたら、いや、あと何日もしないうちに僕を従わせようとしてくるはず……


「……」



――――――――


「佐藤さん、週末はどこか出かけない?デートだから、もちろん二人で」


「冬真はもう佐藤さんにべったりだね~。デートプラン一緒に考えてあげよっか?」


――――――――


「佐藤さん、お弁当すごく美味しかったよ!今まで食べた料理の中で一番だった!」


「あちゃ~私も作ってあげたことあるのに完敗だ~。まぁ仕方ないよね~。」


――――――――


「佐藤さん!今日からは一緒に帰ろう! ごめん春香、もう一緒に帰れないけど」


「気にしないで~私はそんなに野暮じゃありませんよ。二人でお幸せにね!」


――――――――





 なんで……。



 なんでなんでなんでなんでなんで、なんで?


 え、なんで?どうして春香は僕を取り戻そうとしないの?


 あれからもう一か月も経つのに、春香はいつまでたっても無邪気に笑いながら僕を応援している。これまで僕がどれだけ佐藤さんとの仲をアピールしても、春香は気にも留めていなかった。いつもなら、僕を連れ出してまでして、すぐに怒るのに、どうしてそんなに笑っていられるの?僕が離れていってもいいの?


 あれじゃあまるで、僕のこと――


「……」


「あの、冬真君?元気ない? あ、今日もお弁当作ってきたよ!冬真君の好きな物たくさんいれたから、今日も一緒に――」


「……佐藤さん、今日は無理。一人で食べて」


「え? 冬真……くん?」


 僕は隣で喋っている女をおいて、春香の元に向かった。


 もう限界だった。こんなのおかしい、だって、春香は僕のことを必要としていて、僕がいないとダメなはずなのに!


「春香、ちょっとついてきて……」


「お、冬真?どうしたの?」


「いいから!」「わっ⁉」


 のんびりと座っていた春香の手を掴んで立たせる。クラス中から視線が飛んでくるけど、そんなものは気にせずに春香の腕をひいて教室を出た。


 邪魔な人がいない場所ならどこでもいい。そう思って屋上に向かった。


 春香は僕に手をひかれながら「とうま~?いきなりどうしたのよ?佐藤さんはいいの?」なんて言っていて、表の顔を崩そうとしない。僕にはそれがじれったくて、足早に屋上に出て、入り口に鍵をかけた。


「春香、これなら誰も見てないだろ!いつもの本音で話しをしてよ!」


「いや、ちゃんと本音で話してるよ。私決めたの、これからは冬真の恋を心から応援しようって、今までごめんね」


 春香は紳士な目つきで僕を見ている。

 まるで、本心を必死に伝えようとしているみたいで、僕にはそれが許せなかった。


「なんだよそれ! 今まで散々僕を利用してただろ!無理やり従わせてただろ!春香には僕が必要なんだ!なんでいつもみたいにしないんだよ!」


 僕は思いの丈をぶちまけた。僕が付き合い始めた日から春香は変わった。それが僕にはどうしてなのか、たまらなくストレスを感じていた。辛い、こんなに辛いのは春香のせいだ。春香がいつもみたいにしてくれないからいけないんだ。


 ここまで言葉をぶつけても、春香は表の笑顔を張り付けたまま口を開いた。



「私も反省したんだ。ごめんね冬真。もう大丈夫。私、冬真がいなくても平気だから!」




 冬真が、いなくても、平気?


 僕には春香が言った意味がよくわからなかったけど、身体中から力が抜けて地面に跪いた。


「冬真?大丈夫?」


 うずくまる僕に春香が優しく声をかけてくれる。けど違う、春香は、そうじゃない。


「……どうして、そんなこと言うの?春香は、僕がいないと、ダメなのに」


「そんなことないよ。私に冬真は必要ない」


「ぅ、ぅう、嘘だ!嘘だ嘘だ嘘だ!!」


 春香にはっきりと告げられて、僕はもう叫ぶことしかできなかった。認めたくない、認めるわけにはいかない、春香には僕が――




「ねぇ冬真、どうしてそんなに取り乱すの? あっ、もしかして――」






「――冬真には私が必要なの?」



 そうだ。僕には春香が必要だった。


 僕が春香に必要としてほしい……いや、使ってほしかった。いつものように、必死になって僕を引き留めてほしかった。


 自分の感情を理解した僕は顔を上げた。


 目の前にある春香の表情は無表情だった。


 嬉しかった。

 いつもの春香だ。

 僕は嬉しくて、泣きながら頷いた。


「じゃあさ、あの女捨ててきてよ」


「……うん。わかった」



 僕が頷いた時、ようやく春香は笑ってくれた。僕だけにしか見せない笑顔で……。

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